nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

寧ろGM・フォードにとって脅威のトランプ大統領-米自動車メーカーの失われた20年―本当の狙いは農産物だったりして

1月3日 フォードモーターはメキシコ工場の新設撤回を発表しました。

まるで「メキシコ製品に35%の関税を課す。」というトランプ大統領の発言に応えるかのようでした。

1月3日を境に大統領のメキシコに投資する企業への「口撃」は激しさを増しました。

 

フォードのせいで流れができてしまった。トランプにすり寄った業界の裏切り者だ。

フォードは自動車業界の鬼っ子になってしまいました。

トランプ大統領に反発する人はフォード車の購入を避けるのではないか。

 

難民の入国を制限する大統領令にEU加盟国ではトランプ政権への反発が広がっています。その巻き添えでフォード車の欧州での販売に影響するのではないか。

権力に擦り寄るのも考えものです。

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1月5日、トヨタのメキシコ投資計画を「ありえない!」とツイッターに投稿。

1月23日 日米の自動車貿易を「不公平だ!」と表明。

事実としてアメリカから日本に輸入する際、関税はゼロです。

逆に日本からアメリカに輸出する場合は関税が2.5%かかります。(ピックアップトラックは25%という高関税)

不公平だと言うのであれば、アメリカに輸出する場合も公平に関税ゼロにするのでしょうか、そうはしないでしょう。事実を説明しても最初から分かりきっているのですから関係ないでしょう。別の取引材料にするのでしょう。

 

日本市場がどんなに開放的になっても売れるのは※ドイツ・ブランド車でありアメリカ・ブランド車ではないことは分かりきっているのですから、アメリカ自動車メーカーのために言っているのではありません。自動車をダシにして2国間交渉で農産物・金融・医療の解放を迫るための手段です。

自動車に気を取られて日本の自動車産業、市場の正当性を主張したところに返す刀で足元をすくいにくるのではないか。

タフな交渉になりそうです。

(※ドイツ車ではなくドイツ・ブランド車と表記した理由は、日本で売れるドイツ車とはメルセデスベンツBMWフォルクスワーゲンといったドイツ民族資本の車だからです。

アメリカ資本のドイツ・フォード、オペル(ドイツGM)は日本での販売から撤退しました。)

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日欧韓メーカーの現地生産進出で、生産を減らした米国メーカー

 

日本経済新聞 2017年1月30日 6面)

「米国内の自動車生産は2015年に1210万台と、ピークだった99年の1305万台に比べて95万台減った。」

「大幅に生産を減らしたのは米国メーカーである。」

99年 1003万台 →2015年 641万台  減少幅 361万台 

(米国内での雇用を減らしました。)

 

日系は149万台、欧州系は70万台、韓国系は75万台の生産増

(米国内での雇用を増やしました。)

 

トランプ大統領の掲げる「米国人の雇用」に貢献しているのは外資系なのです。

輸出国を批判する。→アメリカに進出して生産する。→その分米国メーカーの生産が減る。という構図になりました。米国メーカーを保護することにはなりませんでした。

日本を叩く、批判をさけるために日系メーカーが現地生産を拡大する。米国のユーザーが米国メーカーではなく外資系の車を選ぶ、外資系であっても米国で開発し生産して雇用を生んでいるのだから愛国心も壁にならない。ますます米国メーカーの生産が減ることになる。

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「その間、米国メーカーが生産を増やしたのはメキシコである。」

 

2007年 106万台 →2015年 163万台 57万台増加

生産した分の75% 116万台が米国系のメキシコ工場からアメリカに輸出されました。(日系は43%)

トランプ氏の路線に近いのは寧ろ外資系の方でした。

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日本経済新聞 2017年1月27日 11面

「フォードはトランプ大統領の就任前から環太平洋経済連携協定(TPP)からの撤退を主張、トランプ政権にドル高の是正を求めている。」

「背景には稼ぎ頭のピックアップトラックのシェアを死守したいという狙いがある。」

「ガソリン安が続く米国では、ピックアップトラックや大型SUVの販売が伸びている。」

フォードはピックアップトラックへの依存度が高い、TPPなど関税撤廃を目指す協議や、ドル高が進むと日本からの競合車の流入が進む、ピックアップトラックに頼るフォードにとって死活問題になる。という。

「フォードがトランプ政権にすがり、TPPからの離脱やドル高修正を訴える理由はそこにある。」

「日本嫌いで有名な会長のビル・フォード(59)(創業者 ヘンリー・フォードの曾孫)がトランプに近づき、日本たたきの流れをつくったとされる。」(同日2面)

 

今はよくても、長い目で見ればフォードの首を絞めることになるのではないか。

トランプ政権にすがる。政権が外資系を批判する。外資系が米国内でピックアップトラックと大型SUVの生産を拡大する。その結果、フォードの稼ぎ頭の売上が食われる。

自らの立場を苦しくするだけではないのか。

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外資系であっても米国人のエンジニアが設計し、生産現場で働くのが米国人なら政権は批判できない。

政権に助けを求めるよりもユーザーに選ばれる製品・サービスを実現するのが先ではなかったのか。

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「1995年 ※クリントン政権は日本車13車種の輸入に100%の関税を課すと突然通告した。」

 

「関税引き上げや米国製部品調達の強制を丸のみすれば、発足したばかりの世界貿易機関WTO)を台無しにしかねない。」

(※ヒラリー・クリントン女史の夫君はトランプ氏に先駆けてWTOを骨抜きにしようとしていたのです。)(トランプ氏と同様、交渉の手段だったのかもしれません。)

ビル・クリントンドナルド・トランプも選挙人総数の過半数の票を取れなかった少数派の大統領です。)

「日本側が窮余の策としてひねり出したのはメーカーが現地生産や部品調達を拡大する「自主計画」だった。」

「カンター米通商代表部(USTR)代表と橋本龍太郎通産相は、100%関税の発動期限である95年6月28日に、自主計画の尊重という形の合意に達した。」

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クリントン政権時代からリーマンショックまでの間、フォードは繁栄を謳歌しました。

 

その利益でジャガー、ランドローバー、アストンマーチンボルボといった欧州の名門を傘下に収めました。

しかし、アメリカ流の車づくりで価格は名門という商売でブランドの旧来のユーザーが離反しました。

(FFエンジン横置きの欧州フォードのモンデオやアメリカフォードのリンカーンをベースにジャガーを仕立てるという素人目にもかなり乱暴なことをしていました。それで価格はフォードではなくてジャガーでした。)

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日本のマツダもフォードの傘下になりました。バブル崩壊で経営危機に陥ったマツダを提携関係にあったフォードの資本注入により再建することになりました。

現フォードCEOのマーク・フィールズ氏(56)はマツダの社長でした。通勤車はRX-7というカーガイでした。

マーク・フィールズ氏の経営の時代にマツダのラインナップはアテンザアクセラデミオ、RX-8、MX-5(ロードスター)、MPV、プレマシーという現行に近いものになりました。

アメリカや欧州の場合とは異なり、日本では経営資源は性能と品質の向上に投入されました。

 

マツダ再建の実績を買われてCEOに抜擢されたのではないか。

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リーマンショックで経営難に陥ったフォードは欧州の名門ブランド、そしてマツダの株を手放すことになりました。

 

米自動車メーカーが繁栄を謳歌している時代に資金を欧州ブランドを買い漁ることに使わずに、その分も技術開発や品質向上に投入していたら今日のような事態を招くことにはならなかったのではないか。

 

バブル崩壊後の日本経済は失われた20年と言われました。

クリントン政権の強力なバックアップを受けた1995年から2015年まではアメリカ自動車メーカーにとって失われた20年だった。

 

優秀な学生はデトロイトではなく、ウォール街シリコンバレーを目指すようになった。

欧州、日本のメーカーを※シリコンバレーと連携したイノベーションで凌駕する機会をみすみす逃したのみならず、政権の支援を受けても先行き不透明な立場に追い込まれてしまった。

(※今日では当然、外資系もシリコンバレーと提携している(トヨタマイクロソフトと、ホンダはグーグルと提携)ので米国メーカーに比較優位性はない)

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藁のハンドル (中公文庫―BIBLIO20世紀)

藁のハンドル (中公文庫―BIBLIO20世紀)

 

 

「金をサービスに優先させるのは本末転倒」ヘンリー・フォード

 

「利潤とは、仕事が立派に遂行された場合、結果として、後から生じるものと考えている。」

「先に利潤を決めるのは馬車を馬の前につないで馬車を走らせようとするのと同じである。」

「すべての企業にとって余剰金とは過去の業績に対して支払われたものではなく、将来の進歩を保証するための基金なのです。」

「不景気の種は私たちが好況期に犯す過ちの中にある。」

「不景気に対する私たちの処方箋は、常識に反し、価格を下げ、賃金を増加させることである。」

 

ヘンリー・フォードの精神は忘れ去られたのでしょうか。

 

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大統領の会見で質問を許されなかった記者の映像が話題になりました。

www.cnn.co.jp

 

「CNNは嘘つきだから質問を許さない!」

CNNの記者はトランプ大統領から質問することを許されませんでした。

 

質問をさせてくれないのなら、独り言を言えばいいんです。

「おいっ何を言ってるんだ、質問していいとは言ってないぞ。」

「独り言(ツィート)です。」

「独り言は許さん!出て行け!」

記者は目をキラキラさせて「独り言(ツィート)はいけないんですか?」

「そうだ!」

嬉しそうに出て行くんです。

 

それではまた。

 

追記(日本経済新聞 2017年3月13日 朝刊 4面)

米国 トランプ大統領「ドイツ車は米国でよく売れるが、米国車はドイツでは見かけない。アンフェアだ!」

ドイツ ガブリエル外務大臣「米国がもっとましな車を作ればいい。」

 

言ってくれましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

 

アクセルとブレーキを踏み間違えにくい車

ニュースでコンビニやスーパーに車が突っ込んだ映像が流れる。

ドライバーの証言によるとアクセルとブレーキを踏み間違えたと言う。

ドライバーの不注意と言われる。ドライバーの不注意で終る。それだけか。

自動運転車、自動ブレーキの普及を待つ他にない。本当か。

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事故の映像で見かけない車もある。偶然なのか。

アクセルとブレーキの踏み間違い事故報道で見かけない車の共通項

 

アクセルからブレーキに踏み替える際に右足先を左に向ける。アクセルを踏む時には右足先を真っ直ぐ前に向ける。

 

ところがすべての車が右足先を真っ直ぐ前に向けるとその先にアクセルペダルがあるとは限らない。

前輪のタイヤハウスが車内に入り込んでいる場合は、アクセルペダルを左にずらして配置することになる。(ペダルオフセットと呼称される)

ペダルオフセットの車を運転する場合、普段アクセルを踏む時に右足を左にひねっている。ブレーキを踏む時には更に右足を左に捻るか、かかとを床から離して踏み替える(これだと踏み替えに時間がかかるし疲れる)。

咄嗟の時にブレーキを踏もうとして右足先を左にひねる。ひねりが足りなくて踏んだのはアクセルだった。

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ペダルをオフセットさせないよう、タイヤハウスを車内に入り込ませないためには前輪をドライバーから離して前方に配置しなくてはならない。

前輪を前方に配置するとボンネットが長くなる。ホイールベース(前輪と後輪の間隔)が長くなる。後から変更できるものではない。最初からプラットフォーム(車体の土台)の基本設計に織り込んでおかなくてはならない。

 

ペダル踏み間違い事故のニュース映像で見かけない車(踏み間違いが起こりにくい)はアクセルペダルがオフセットされていない。これは偶々か。

※意識してブレーキペダルを踏もうとした時に踏み間違いを起こしにくい。ドライバーがパニックに陥った時にはこの限りではないかもしれない。

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ブレーキを踏もうとすれば右足を左にひねる。ひねった先にあるのはブレーキペダルだけでアクセルペダルはない。

ペダルがオフセットされていなければ右足を自然に真っ直ぐ伸ばした先にアクセルペダルがあるのだから捻らせて踏むよりは疲労も少ないのではないか。

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http://www.iatss.or.jp/common/pdf/research/h2294.pdf#search=%27%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AD%E8%B8%8F%E3%81%BF%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%88%E4%BA%8B%E6%95%85%E4%BB%B6%E6%95%B0%27

財団法人国際交通安全学会によると

アクセルとブレーキの踏み違えエラーの原因分析と心理学的・工学的対策の提案報 平成23年3月)

ペダル踏み違え事故:平成12 年に6,436 件→平成21 年に6,577 件 約2% の増加。

全事故:平成12 年に821,138 件→平成21年には652,582 件 約21%減少。

 

事故全体の件数が大幅に減少する中で、ペダル踏み違え事故は微増している。

「相対的には増加傾向といえるもので、将来的にさらに重大な問題となる可能性が示唆される。」

 

「ペダル踏み違え事故の発生件数は若年層と高齢者により明確な二つのピークが存在する。」

「若年層については男女とも20 ~ 24 歳がピークで、高齢者については、男性では70 ~ 74 歳が、女性では55 ~ 59 歳がピークとなっている。」

「ペダル踏み違え事故の量的問題は、若年層と高齢者の両者に存在する」

「性別では、男性で21,863 件、女性で13,083 件のペダル踏み違え事故が発生しており、男性が全体の63% を占めている。」

 

「なお、今回の分析を全て個別に分類した場合の最頻値は、「20 ~ 24 歳の男性による、1~ 24km/h で、直進時の、単路での、追突事故」で、528 件であった。」 

 

高齢者だけの問題ではなかった。

「踏み間違い発生時のペダルの選択率を見ると、若年者、高齢者ともにアクセルの選択率が高くなった。さらに、若年者で70%、高齢者では86% と高齢者では特に高くなるという結果になった。」

 

アクセルペダルの踏み間違いの選択率が高くなったことの理由

「どちらのペダルを踏めばよいか混乱した時にとっさに足を乗せている方のペダルを踏み込んでしまう行動が生じたのではないかと推測される。さらに、高齢者はよりその傾向が見られ、この結果は高齢者で踏み間違い事故が多く発生する一つの要因であると考えられる。」

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www.onepedal.co.jp

 

熊本県玉名市にあるナルセ機材有限会社のHPを見るとワンペダルという製品がありました。

一つのペダルでアクセルとブレーキを兼ねている。

どういうことか?足を右にずらすとアクセル、踏み込むとブレーキだという。

ペダルを踏みこむとブレーキ動作しか行われない。

「病気やケガなどで、右足が不自由(義足や半身麻痺など)な人でも左足で楽に安心して、安全に運転ができます。」

アクセルペダルからブレーキペダルへの踏み替えの必要がないからその間の空走距離が生じない。(時速50キロでは約10.4メートル進むという)

取付は玉名市のナルセ機材に車を持ち込み、(取付実績のない車種については」足元回りを寸法測定することになる、取付可能と判断され、契約となったら部品の制作にかかり取付作業になる。成約から納車までは二日間という(※車種により変動する場合もある)

熊本県玉名市までの持込みが困難な場合(これが最大のネックだと思う)は、ユーザーは普段の取引先(自動車販売店や整備工場)をナルセ機材に紹介し、ユーザーと普段の取引先との契約になる。(取付可否判断と部品の制作はナルセ機材)

※但し輸入車の場合は持込み以外は対応不可。アクセルとブレーキという保安基準で重要なパーツを扱う以上、慎重な対応になる。

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business.nikkeibp.co.jp

 

記者のルポによると

「ワンペダルでの運転は、ペダルの踏み変えで足を上に上げる動作がない分、足が疲れにくいことも発見した。」

「社名は詳細に明かしてくれはしなかったが、自動車メーカーや部品メーカーが、水面下でナルセ機材へ接触していることには驚いた。」

「取り付け価格は、クルマを持ち込むかどうかで変わってくるが、機器と工賃を含め11万円~14万円程度。ここ2~3年での取り付け依頼が200台程度と、近年は依頼が増えている状況だ。口コミや紹介での依頼が多い。高齢化してもクルマに乗り続ける親を心配し、その子供が問い合わせをしてくることもあるという。」

「関連技術は、1993年に米国で特許を取得。95年には日本と英国、ドイツ、フランス、イタリア、韓国でも特許を取った。 」

「既存のペダルをナルセペダルに着け替えて一般公道を走っても、規制や法的な問題がないことを、鳴瀬社長は当局に確認済みだ。」

「2014年1月中旬には、欧州の安全装置メーカーの幹部がナルセ機材を訪れ、ナルセペダル搭載車を試乗。「ロンドンのバスなど、公共交通機関から導入するのが普及の近道かもしれない」との感想を残し、満足気に帰国していったという。今後、具体的な事業提携の話が進む可能性もある。」

日本で普及する前に欧州の公共交通機関で採用されたりして。

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一般道の完全自動運転の実現は2030年と見込まれている。その前にできることはあった。

 

今までのオートマ車マニュアル車の延長で作られていた。

 

マニュアル車はアクセル、ブレーキ、クラッチの3ペダル。

オートマ車クラッチペダルを無くしてアクセル、ブレーキの2ペダル。

オートマのギアをバックに入れるにはレバーを前後に動かす、入れ間違いも起きた。

マニュアル車のギヤをバックに入れるには5速の後方に入れる。

一時停止してギヤを4速に入れ間違えてアクセルを踏んだら(ギヤ比が高くて抵抗が大きいので)エンストする。

オートマはギヤを入れ間違えてもエンストしない。エンストしたら簡単な運転ができないのでオートマの意味がない。

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マニュアル車は意識しながらでないと運転できない。

 

速度に応じてギヤを切替えていかないとエンストを起こしたり、エンジンを過回転させてしまう。

交差点で曲がるときはギヤを2速に落とす、加速したら3速、4速とギヤを切り替える。

ギヤを切り替えないとエンジンの回転数が上がり過ぎて音が大きくなり、燃費が悪くなる。

オートマはボーっとしてても自動的にギヤを上げ下げしてくれる。ボーっとしててもスピードをどんどん上げることも下げることもできてしまう。

左手でスマホをいじりながら運転もできる。

マニュアル車は右手はハンドル、左手はギヤを操作しているのでスマホをいじることができない。

 

オートマ限定免許というのがあるが、マニュアル限定免許もあっていいのではないか。

あなたオートマ禁止!って。買える車種が限定される。オートマしか用意されていない車種は購入できない。レンタカーもカーシェアも利用できない。罰金よりも効果的ではなかろうか。

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オートマ車が出始めの頃は オートマチック車は両手でハンドル操作に専念できるので安全です。と宣伝された。

 

ギヤチェンジだけ自動にしても安全ではなかった。ライトも自動、ブレーキも自動、運転も自動にしなければ完成ではなかったと思われた。

電車はワンハンドル

 

通勤電車はT字型のマスコンハンドルで運転します。(運転席を覗いたのは通勤車しかないので)

ハンドルを手前に引くと加速、押すと減速(ブレーキをかけると前につんのめることもあるから)です。

 

アクセルもブレーキも踏むという動作は同じだった。

オートマ車マニュアル車とは根本的に違う車、オートマ車はワンペダル、加速はペダルに足を載せたまま右か左に押す、ブレーキは足を載せたペダルを踏む、踏んだらブレーキ作動しか起きない。

自動ブレーキ、自動運転の前にできることがあったのです。

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日本経済新聞 2017年1月25日 11面)

サイバー攻撃「家電」標的」

「IOT普及受け7.4倍に」「ウイルス「ミライ」が猛威」

家電のネット接続機器を狙った攻撃が急増しているという。

パソコンの場合、ユーザーにはアンチウイルスソフトをインストールして更新するという対抗手段がある。

パソコン以外の機器への攻撃が始まっている、ネットに接続するものは何でも攻撃対象になる。自動運転車もターゲットにされる。ユーザーの対抗手段が用意されてからの普及が望まれます。

自動運転が実現したら楽だと思っていたが、自動運転車のユーザーはITリテラシーを求められることになるかもしれない。

 

それではまた。

「君の名は」ー繭五郎の大火は必須の条件であった。(なかったらどうなった?)

 

 

 

「ぞうり屋の山崎繭五郎の風呂場から火が出て、この辺一帯は丸焼けになってしまった。

お宮も古文書も皆焼け、これが」「俗に言う繭五郎の大火」

「繭五郎さん、こんなことで名前が残るなんてかわいそう」

祖母 一葉と 三葉、四葉姉妹が組み紐作りの際に何気なく交わされた会話です。

映画観賞中は何の意味があるのかわからなかった。

なので、なかったらどうなるか考えてみた。

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「繭五郎の大火」がなかったらどうなった?

 

大火が起きずに古文書が残っていたらどうなったか、父 宮水俊樹は民俗学者として研究し、遂に解読しました。

しかし解読できても、再び糸守に隕石が落下するとは予測できない。

 

三葉(瀧)が「彗星が割れる」と言っても、俊樹は「古文書の話ではないか、それがどうかしたのか。」で終わってしまう。

テッシーもサヤちんも「古文書の話でしょ。聞いたことある、三葉のお父さんが解読したんでしょ。」で終わってしまう。

彗星が割れるのを目にしても「古文書と同じだ」と思うだけで三葉の予言だとは思わない。

ヤバイと思わない。

変電所を爆破に行かない、避難は始まらない。

 

三葉(瀧)の「彗星が割れる」という話を聞いて、彗星が割れるのを目撃して、俊樹が、テッシーが、サヤちんが危機感を抱くためには古文書が残っていてはいけない。

 

「繭五郎の大火」も、あるべきところに導く過程だったのです。

 

何気なく聞き流していた「繭五郎の大火」がラストを成立させるキーワードでした。

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繭五郎の大火、俊樹が家を出て政治家になったこと、一葉が嘆いた出来事が町のみんなを救うことになった。

大火で古文書が失われたことによって、俊樹もテッシー、サヤちんも危機感を持つことができた。

俊樹は町長になったことで町民を避難させる権限を手にした。

 

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繭五郎の大火があっても他の人が町長では避難に結びつかない。

 

三葉の話を聞いても影響を受けない。人騒がせな娘だと追い出される。

 

俊樹が町長であっても繭五郎の大火がなければ避難には結びつかない。

どちらかが欠けても成立しない。

ストーリーが成立するためには「繭五郎の大火」が起きたことと、「俊樹が町長」であることの両方が必須でした。

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俊樹が町長である必然性はラストですぐにわかった。

繭五郎の大火とセットであるとは思わなかった。

 

古文書が失われた、(義理の)息子が家を出て行った。一葉は嘆きました。

そのことで町の人々は救われた。

 

無くしたものを嘆き続けることはない、寧ろ無くしたことによって救われることもある。得ることもある。

そういう意味か、それは深読みし過ぎだって?

 

それではまた。

 

 

nikoichix.hatenablog.com

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現実よりも理論を優先した結果の反動としての『トランプ現象』―主義と良し悪しは別問題です。

かつて社会主義に疑問を差し挟む人が“反動”というレッテルを貼られる時代がありました。

今は自由主義に疑問を差し挟む人には“ポピュリスト”というレッテルが貼られます。

 

理論が正しいから結果はついてくるはず?

 

社会主義国では 思想が正しいのに結果が伴わないのはブルジョワジー帝国主義のスパイの仕業だと※粛清されました。

現実とのすり合わせを考える人間は日和見だと※総括されました。

思想と理論は正しいと決めつけて、事実と現実は悪と決めつけて、矛盾の責任は他人に押し付けてスケープゴートを仕立て上げました。

社会主義と資本主義のよいところを取り入れて、よくないところを修正するのは修正主義だ、不純だ、日和見だ と批判されました。

純粋=恐怖でした。

 

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10年で終焉を迎えたフランス革命後の共和制

 

革命によって生まれたフランス第一共和制は、ナポレオン独裁による執政政府の開始によって約10年で終わりました。(1789年7月14日バスチーユ襲撃~1799年11月18日ナポレオンのクーデター)

ナポレオンによるフランス第一帝政を経て、ナポレオンの失脚後にはブルボン王朝が復活しました(フランス復古王政)。

フランス王政の終焉は1870年の普仏戦争プロシア・フランス戦争 ナポレオン3世降伏を経て共和制宣言)の結果でした。

 

法律による保護や人身の自由、所有の権利をうたった「人権宣言」は、空文にすぎませんでした。

革命政府(ジャコバン派)は独裁政治を始めて公安委員会、保安委員会、革命裁判所などの機関を通して恐怖政治を行い、反対派を次々とギロチン台に送りました。

しかし参政権を得た下層市民、無償で土地を得た農民、インフレによる生活圧迫や恐怖政治によって自らの生命をも脅かされていた反ロベス・ピエール派に国民公会でロベス・ピエールをはじめとしたジャコバン派の22人は糾弾され逮捕されてギロチンで処刑されました。(テルミドールのクーデター

ジャコバン派が粛清されてブルジョワジーが復権しましたが、ナポレオンのクーデターにより第一共和制は終焉を迎えました。

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レーニンによるロシア正教会への弾圧

 

「これを口実に銃殺できる反動聖職者と反動ブルジョワは多ければ多いほどよい。今こそ奴らに、以後数十年にわたっていかなる抵抗も、それを思うことさえ不可能であると教えてやらねばならない」

主教達を処刑し、教会資産の没収が強行された。同様の弾圧は、ロシア正教会以外のウクライナ正教会グルジア正教会などの正教会イスラム教に対しても行われた。

マルクスの「宗教は阿片である」を”文字通り”に実行したのです。

スターリンの大粛清は、イデオロギーへの傾倒というよりも権力闘争によるものなのでこの章では詳述しません。(※ソ連政府はミハイル・ゴルバチョフ書記長の時代に1930年から1953年の時代に786,098人が反革命罪で処刑されたことを公式に認めた。)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B2%9B%E6%B8%85

「過酷な取調べ・尋問の過程で死亡した者や、有罪判決を受けて劣悪な環境下で服役中に死亡した者の人数については正確な統計が残されていないため、その人数を合わせれば死亡者数は増大するはずである。また農業集団化に伴う「富農」追放や、飢饉によって死亡した人数は、推計によって最大約700万人に達する可能性がある。」

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資本主義の要素を全否定したカンボジアポル・ポト政権

 

通貨の廃止、私有財産の没収が行われた上、教育や医療も否定され、国立銀行を初めとした国家機関はその全てが廃止された。

また、カンボジアで伝統的な上座部仏教も弾圧の対象とされ、全ての僧侶が強制的に還俗させられ殺害され、寺院は破壊された。

ポル・ポトは米の生産量を3倍に引き上げることを目標に掲げ、この目標の下、都市住民を農村に移住させて農作業や灌漑施設の建設などのために、劣悪な環境のなか朝5時から午後10時まで働かせました。

近代的な機械は資本主義の罪悪の象徴とされたため、機械の使用は許されず、全ては人間の手作業によって行われた。

過酷な労働環境の結果、過労により死亡する者が相次いだ。また生産も計画通りとはいかず、貧しい食生活と劣悪な労働環境は多くの国民を飢餓、栄養失調、過労による死へと追いやっていった。

このような惨状を目の当たりにしたポル・ポトは、自身の政策の失敗の原因を責任転嫁しました。裏切り者やスパイが潜んでいるためであるとして、反革命分子であるとスケープゴートを仕立て上げて粛清を行いました。(本人は信じ込んでいたのかもしれません。)

 

眼鏡をかけている、文字を読もうとした、少しでも学識がありそうな人は片っ端から殺害されました。

ベトナムが支援するヘン・サムリン政権は1975年から1979年の4年間の死者数を300万人とした。(これはのちに下方修正された)(カンボジアの人口は約800万人 、国民の3分の1以上が文字面通りの革命実現のために殺害された)

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連合赤軍リンチ殺人事件(1971年~1972年)

 

共産主義化の理想のもと厳しい統制や教化が敷かれ、その末路が14人もの同士を殺しあうリンチ事件となった。

「革命家たる者は革命の利益に反することをした場合、自らの死を持って償わなければならない。」ということを“文字通り”守らなければならない。

 

指輪をしていることは革命戦士としての自覚に欠ける。

生理がとまらない女性が生理用品を求めると「女性兵士になろうという自覚に欠ける。」

山本順一は妻の保子と生後18日の長女を連れて榛名アジトにやって来たが、山本は保子のリュックサックの中に赤ん坊のオシメを入れるのを手伝っているのを永田に見られ、「夫婦気取りで革命ができるかい」と目をつけられる。保子は目の前で夫が皆からリンチを受けているのを目撃した。

平等社会を実現するための革命と言いながら実際の行動は差別から始まるリンチ行為。

 文字通りに行動する=恐怖です。

 

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グローバル化の犠牲者がアメリカ中流家庭という皮肉

 (2016年9月29日 朝日新聞 12面)

「昨年(2015年)の人口動態調査によると45歳から54歳までの米国の白人の死亡率は上昇している。」「自殺や麻薬、肥満といったことが原因でしょう。生活レベルの低下、退職後の不安…」(フランスの人類学者 エマニュエル・トッド氏)

 

自由主義経済で豊かな生活を得られないのは自己責任だ。

1990年代~2000年代初頭、経済繁栄を謳歌する米国はアメリカンスタンダードをグローバルスタンダードと称して各国に規制緩和、貿易自由化を求めました。

 

資本の移動が自由になった結果、国家は投資を国内に留めるために規制の緩和と税率下げの競争を始めました。

国家が国際競争に巻き込まれました。

資本は規制(労働規制、環境規制)と高税率を嫌って規制の緩い、税率の低い方へ移動します。国家は財源不足となり福祉国家であることが困難になりました。

国の国際競争力を維持して財源も確保しようとすると、資本への課税を下げる競争(競争だから止め処がありません)をする一方で国民に負担を求める他なくなりました。(税率を上げるか福祉を削るか)

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国際競争に勝つため利益を確保するために賃金を抑制する、自由主義を信奉する英米では移民を低賃金で雇う。

日本のような終身雇用制は社会主義的だ、自由主義に反すると批判されました。

 

工場を新興国に移して新興国の労働者を低賃金で働かせる。英米の労働者は失業するか低賃金で働くしかなくなった。

背に腹は替えられないと言うのに、背に腹を替えるのが当然だ、背に腹を替えないのは自由主義に反するという無茶振りをされていると英米の有権者は感じていた。エリートは見て見ぬふりをしていると反発されました。

現実を見て修正を行おうとするのは保護主義だ、ポピュリズムだ、とレッテルを貼られて非難されました。

その結果がトランプ現象、英国のEU離脱です。

トランプ氏は解決できない。EU離脱は愚かだ。と言う側も解決策を持ちあわせていませんでした。

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(2017年1月14日 日本経済新聞 夕刊3面)

「F35戦闘機 値下げ」

トランプ氏が「高すぎる」と批判した次期ステルス戦闘機F35についてロッキードCEOはトランプ氏と協議した。

「契約間近の90機について大幅に価格を下げた」

オバマ大統領には高く売りつけて、まだ就任していない次期大統領の批判で値下げしたってこと?価格は何だったの? 

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高まるドイツ銀行破綻の懸念。ドイツでは家庭用金庫が売り上げ増 | ハーバービジネスオンライン | ページ 2

 

日本は国が借金を背負っているがドイツは国家が負債を負っていないから健全財政といわれます、しかしドイツ銀行がGDPの20倍の借金を背負っていますから国全体では同じ穴のムジナです。借金の在り処をつけかえているだけです。

※しかも皮肉なことにドイツ銀行の歳入の19%はEU離脱を決めた英国に依存している。

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EU域内の移動の自由はテロリストの出入りも自由にしてしまった。

 長所しかない仕組みという都合のいい話は早々あるものではない。

共通通貨ユーロはドイツに万年通貨安(経済力以下の通貨価値)をもたらし、南欧諸国に万年通貨高(経済力以上の通貨価値)をもたらす。これって共通通貨といえば聞こえはいいが、ユーロ圏内限定の事実上の固定相場制ではないのか。

 

武力を使わずに理想論(一つの欧州)を語って支配する構図ではないのか。

南欧諸国やフランスがユーロ離脱をして自国通貨の切り下げを行えば、ドイツ企業はマルク高で輸出で利益を上げ難かった時代に逆戻りする。

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共通通貨、ひとつの欧州、理想を聞いて素晴らしいと思いみんなが飛びついた。

至極便利で悪いことなんて一つもありません。そんな都合のいい話はなかった。

 

自由主義=善ではない。保護主義=悪でもない。そんな単純なものではない。

いい自由主義とよくない自由主義がある。いい保護主義とよくない保護主義がある。

社会主義は善でも悪でもない、よいところだけ取り入れたらいい。

資本主義は善でも悪でもない、よいところだけ取り入れたらいい。

 

純粋を志向するのはブランド嗜好のようなものです。政治経済はブランド商品ではありません。

それではまた。

「ルールがないからやってしまおう」が世の中を窮屈にする。

平成27年6月1日の道路交通法改正で自転車にも自動車のように罰金制度が制定されました。

「ルールがないからやらかしても罰金はない、自動車はまずいが自転車ならOK」と思っていたのかは知らないが、無茶な運転で死傷者が相次ぐ事態になり、この状況を何とかしろという世論に押されてとうとう罰金制度ができました。

 

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/bicyclette/jmp/bicyclette.pdf#search=%27%E9%81%93%E8%B7%AF%E4%BA%A4%E9%80%9A%E6%B3%95+%E8%87%AA%E8%BB%A2%E8%BB%8A%27

道路交通法第54条第2項】歩行者に(むやみに)ベルを鳴らすのは禁止

歩行者に対してむやみに(威嚇するように)ベルを鳴らすと違反になります。

危険を防止するために、止むを得ない状況を除き、ベルを鳴らすことは違反となります。(意味もないのに鳴らすなということです。)

◆罰則:2万円以下の罰金 罰金だって

(このルールは誤解されている。絶対鳴らしてはいけないと自転車の使用者も歩行者も思い込んでいる。

誰も鳴らさない、絶対鳴らさない。音もなく自転車が歩行者に迫り接触し却って危険な状態になっている。

  1. 2回チリンと鳴らすのはOK、威嚇するように連打するのは禁止とわかりやすく周知した方がいいと思う。

『【道路交通法第71条】警音器(ベル)が壊れている自転車を運転すると違反となる』

(運転者の安全義務)

というルールがある。自転車にベルが付いていることが前提になっているのですから、「必要なら鳴らせ」ということです。

今の状態はみんなベルが壊れているのと同じで、71条違反OKになってしまっている。

威嚇的ではなく必要だから普通に鳴らしたのに文句を言われたら、道交法71条で認められている。と言ったらいい)

 

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道路交通法第71条】自転車に乗っての犬の散歩は 事故を起こせば飼い主(自転車使用者)の安全義務違反が適用されて責任を問われる 犬が突然走り出さないという保証はありません。

◆罰則:5万円以下の罰金

大型犬は運動が足りないかもしれないが、道路ではないところで運動させて下さいということになりました。

 

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道路交通法第71条】スマホ・携帯(ながら運転)禁止

これも安全義務違反が適用されます。歩行者との重大な傷害死亡事故の原因はこれが多い。

※停止時は使用できます。

◆罰則:5万円以下の罰金

(自転車が歩行者を轢く死亡事故での民事訴訟で1億円近くの賠償金にまで至ったケースもあります。 自転車の不注意で家族の人生が変わってしまうこともあります。 自転車をナメたらエライことになります。)

 

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飲酒運転の罰金は重い。

 

道路交通法第65条】酒気帯び運転

■5年以下の懲役、100万円以下の罰金

(酒飲んだから自動車を運転できないからって自転車で帰ってもアウト!)

 

傘さすのもダメ

 

道路交通法第71条】傘さし運転禁止(固定器具もだめ) 視界が悪くなるものを手で持つのも、担ぐことも禁止。

固定器具については

「積載物大きさ制限超過違反となります。積載物の長さ及び幅の限度は、それぞれの積載装置の長さ又は幅に、0.3メートルを加えた長さ及び幅を超えないこと、高さの限度は、2メートルからその積載をする場所の高さを減じたものを超えないことと定められています。したがって、「傘立て器具」に傘を積載した場合に、傘の幅が「傘立て器具」(積載装置)の幅に0.3メートルを加えた長さを超える場合や、傘の上端が地上から2メートルの高さを超える場合は違反となります。」

◆罰則:5万円以下の罰金

子供のときからフツーにやってたけど、とうとう罰金制になってしまったから雨の日はカッパかレインジャケットが必須になりました。

 

道路交通法第71条】イヤホン・ヘッドホン禁止 両耳か片耳かの問題ではなく、運転に集中できなくなるのが問題なのです。

◆罰則:5万円以下の罰金

道路交通法第19条】自転車の2台並走禁止(並進通行の禁止)

友達や恋人と並走しながらお話ししたらダメ、話したかったら歩いてということです。

◆罰則:2万円以下の罰金

映画やテレビドラマでも並走シーンはNGになるのだろう。あ~あ

 

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道路交通法第17条】車道通行が原則、右側通行禁止 自動車と同じく左側を走行すること。(但し端を走ること) 路側帯・自転車道がある場合はそこを走ること。

◆罰則:3ヶ月以下の懲役、5万円以下の罰金

※信号無視、遮断踏切立ち入りも同様の罰則

 

道路交通法63条4】歩道では徐行・路側帯でも譲る。

基本的に「標識で許可された場所」普通自転車歩道通行可の標識がある場合

「運転者が13歳未満・70歳以上の高齢者か身体が不自由な場合」「交通状況から止むを得ない場合」を除き、.歩道を走ってはいけない。

歩道を走る場合は「車道側を徐行」しなければいけません。

歩道上で歩行者が横切るときは自転車が一時停止して譲ることが求められる。

◆罰則:2万円以下の罰金

 

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もう自動車と同じ

 

道路交通法第43条】一時停止無視禁止

◆罰則:3ヶ月以下の懲役、5万円以下の罰金

 

道路交通法第52条】夜間の無灯火運転

◆罰則:5万円以下の罰金

 

道路交通法第8条】自転車も一方通行の出口からの進入はNG

※ただし補助標識で「自転車を除く」と表記してあればOK。

◆罰則:5万円以下の罰金
 

道路交通法第63条】児童のヘルメット未着用禁止 子供を同乗させる場合、保護者にはヘルメットの着用義務があります。 罰則はありませんが、無茶な運転者から子供を守るために着用しましょう。 物騒な世の中になったものだ。

☆★☆

これでも死傷事故が相次いだら、今度は大人もヘルメット着用義務とかいう話になりかねない。

そんなことになったら面倒だから無茶しないでくれ。

 

 

罰金がないから、ルールがないから、やっちまえ、やってOK、やり得だ。

その考えと行動で被害者が出ると、何とかしろという世論が形成されて新しいルールができてしまう。

やっちまったら新しいルールができて世の中が窮屈になると思ってほしい。

 

☆★☆ 

女性専用車に乗車する男

 

駅員から注意されても降りない、そんな法律あるのか、どうだ ドヤ顔で居座る。

してやったり、法の穴をついてやったと得意顔、ヒーローになったつもりか。

余計なことをしないでほしい、法律ができてしまう。

 

法律がなくても遠慮するのが生活の知恵だろう。

文句を言われる度に そんな法律どこにある。では鼻つまみ者です。

道を譲らないで、席を譲らないで、そんな法律どこにある。

合流車線でメインを走っているから譲る義務はない、そんな法律どこにある。と言っていたら渋滞はひどくなる。

 

☆★☆

法の穴をついたら、穴を埋める法律ができる。

 

当局に「ここに穴がありまっせ」と教えることになる。

法律が出来たら一番に面倒に思う人が、法律ができる “きっかけ” を作るというパラドックス

 

法律が増えるほど取り締まる側も取り締まられる側も面倒になる。手間が増える、書類が増える、税金が投入される。

法律がなくても、これ以上はヤバイ、この辺で譲っておこう、という生活の知恵でやってきた。

法律がないからやっちまえ。その結果、新しい法律ができる。その過程で国会や官公庁で予算が投入される。

法律がないからやっちまえ=税金をもっと使え。です。

☆★☆

やりすぎはダメ

 

グレーゾーンで対処してきたのに、法律になったらブラックゾーンになって融通が利かなくなる。

法律がないからやっちまえ=グレーゾーンをブラックゾーンにして。です。

善良な人も巻き込まれる、関係ない人も窮屈な思いをすることになる。だから余計なことはしないでほしい。

 

それではまた。

「ちっちゃいこと」 に命をかけないでほしい

命をかける という言葉を簡単に使っていないか。

「契約・注文を取ることに命をかける。」   

「この話は嘘じゃありません、本当です、信じて下さい、命をかけます。」

「絶対だな、命かけるな、いいな。」

 

昔は命をかける価値があることに命をかけられていたが、今は命をかける程のないことでも 命をかける と言っているんじゃないか。

昔は命を狙われた、本当に命がかかっていた。今は誰にも命を狙われていないのに簡単に「命をかける」と言う。

☆★☆

幕末の日本は立場・意見を表明することには命がかかっていた。

幕末明治の日本は独立を保てるか植民地にされるかの瀬戸際で、立場・意見の相違で暗殺されていた。立場・意見を表明することには命がかかっていました。

朝廷の勅許を得る前に日米修好通商条約を締結したことで幕府の大老 井伊直弼は違勅であると非難されました。

幕府の内部抗争に端を発した安政の大獄(将軍の跡継ぎ問題で紀伊家の徳川慶福(家茂)を推す派と水戸家の徳川慶喜を推す派(一橋派)の対立があり、勅許を得る前に条約を締結したことを理由に一橋派が武力で政権打倒を企てていたことが発覚し、幕府は関係者を厳しく処罰しました。)による反発から脱藩した水戸藩士らが桜田門外で登城する井伊直弼を暗殺しました。(桜田門外の変

 

勅許を待って時間を浪費している猶予はありませんでした。

 

清とのアロー戦争を休戦にした英仏が押し寄せる前に米国と前例をつくる必要がありました。

弱肉強食の時代でした。砲艦外交の時代でした。

米英仏露に力任せで開国を迫られたら、攘夷派が反発して外国船、外国人を襲いかねません。

それを口実に列強は近代兵器による武力行使で日本を植民地にしてしまいます。

列強に対抗する力を得るためには、不本意な条約であっても貿易によって近代兵器を手に入れるのが先でした。

 

歴史は残酷でした。幕府が稼いだ時間で薩長は武器を買い、製造し、抵抗し、外国から面倒な相手と見られることに成功しました。

世界の海千山千に対抗するには海千山千の薩長(失礼)が政権を握るのは歴史的必然でした。

薩長に嵌められるような幕府(失礼)では19世紀の日本は世界の海千山千に対抗できませんでした。

 

 あの時、開国をしなければ日本はアジア諸国や清の二の舞いになりかねなかった。

だから豪徳寺(東京都世田谷区豪徳寺2-24-7)の近くを通る時は立ち寄って井伊大老の墓前でお礼をします。

 

☆★☆

閑話休題

「契約・注文を取ることに命をかける。」 

 ハァ…… 幕末は自らの決断と行動が何千万の人の命と生活がかかっているとの使命感で命をかけていました。

あんたが注文を取ることが何千万の人の命と生活に影響するの?

注文が取れなかったからと言って何をするわけでもありません、命をかけるの言いっ放しです。何かされても迷惑だし。

☆★☆

「この話は嘘じゃありません、本当です、信じて下さい、命をかけます。」

 自分で見たの?聞いたの?えっ人伝(ひとづて)に聞いた話?それに命かけちゃうの?あんた命いくつ持ってるの?

 

自分で見たって?どうやって見たの?中に入れたの?不法侵入じゃないの?入ってないって?壁やカーテンを透視できるの?壁の向こう側の会話が聞こえるの?想像だけど間違いないだって?

中々信じてもらえないから、つい命をかけますって言ってしまっただって?

 

簡単に「命をかける」と言う人は “おっちょこちょい” なのです。

☆★☆

「絶対だな、命かけるな、いいな。」

 

子供の遊びなら実際にかけるのはメンコやカードでした。

これを大人がやったらシャレになりません。

「命をかける」と言う上司は要注意です。

実際に命をかけるのは本人ではなく、命をかけさせられるのは部下だからです。

 

夜中、明け方に携帯、メールで呼び出される。俺が起きてるのに寝てるんじゃない。俺の体は俺のもの、他人の体も俺のもの、自分のタフネスと他人のタフネスは同じに決まっている、他人と自分は違うなんて考えたこともない。夜泣きをする赤ちゃんと同じです、でもちっとも可愛くない。

朝、昼の業務時間中になぜ指示を出せないのか、昼間は寝ているのか、寝不足で朝昼は集中力が落ちているのではないか、頭がフル回転していないのではないか、夜中になってからようやく頭がフル回転し始めてまわりを引きずり回しているのではないか、それは上司の失敗です、自分の失敗を部下にカバーしてもらおうとしているのです。

 

威圧的な態度を取るのは弱みがあるからです、弱みを隠すために威圧的な態度を取るのです。こんなことを続けていたら仕事の質が落ちて顧客に迷惑をかけることになる、その結果、会社の信頼が損なわれる。失敗の責任はしっかり取らせたらいい。

 

ただし愚痴は言わない

 頑張っていますとアピールする、無茶な仕事をさせられている(仕事の進め方とは言えないやり方)ことが周囲にも上の上にもわかるようにする、外部に影響が及ぶ失敗しそうな仕事の振り方をしたのが誰なのかわかるようにする。

 

☆★☆

火のないところに煙は立ちませんだって?

 火がなくても煙は立ちます、噂の発信者による噂を信じさせるためのセットツールが「火のないところに煙は立たない」だからです。

「火のないところに煙は立たないって言うじゃありませんか」「その話、誰から聞いたの?」「それは言えません」(お前やあ)

☆★☆

”ちっちゃい”ことで「命をかける」と言われたら眉つばものの話と考えた方がいい。

そこまで言うのなら信じようなんて考えてはいけない。

人の悪口なんかに命をかけないでほしい。そんなに軽い命なのか、自尊心はないのか。

 

人生をかけていると言い換えてみる

 

「この競技に人生をかけている」「この仕事に人生をかけている」と言われると共感したくなる、そういうことに出会えたことを羨ましく思う。

「人生をかけている」を「命をかけている」という言い方をする人もいる。「陸上に命をかけている」「野球に命をかけている」道を究めたい、奥義を究めたい、技術を究めたい、達成して喜びを分かち合いたい、真摯に取り組んでいる、そういうことに命をかける(人生をかける)という言葉を聞くと嬉しく思う。

 

 

『君の名は』は名前を書いてはならない物語だった。

hlo.tohotheater.jp

 

 

nikoichix.hatenablog.com

 

 劇中、ご神体を囲む岩場で瀧と別れた三葉は

「瀧くん、瀧くん、瀧くん、君の名前は瀧くん、大丈夫、絶対忘れない。」と心の中で叫んでいました。

しかしテッシーと変電所を爆破した後、名前を思い出せなくなりました。

「大事な人、忘れてはいけない人」の名前を思い出せない悲しみの中で山道を駆け下り、傷つき力尽きて躓き転倒する。

倒れて見上げた宙で彗星が割れたのが見える。

糸守湖に割れた彗星が映っている。

……もう間に合わない、絶望が襲う、手のひらに名前を書いてもらったことを思い出す。

「目が覚めてもお互い忘れないようにさ、名前書いておこうぜ」

最後に大切な人の名前を見ておこうと思う。

三葉の右の掌に書いてあったのは名前ではありませんでした。

“すきだ“……「これじゃあ名前わかんないよ」

“すきだ“ 昨日「誰?お前」と言った人が ”すきだ”

心が高揚する、力が湧いてくる。

泣きながら笑って顔を覆って立ち上がる。

(このタイミングでよかった、名前じゃなくてよかった、瀧は何よりも伝えたいことを書いたんだ、名前を思い出せない場面にハラハラして 手のひら と心で叫んだ俺は完敗した。)

☆★☆

“瀧” と書いてあったらどうなった?

 

1、「瀧くん、瀧くん」と倒れたまま泣いている三葉、隕石が墜ちてきて死亡。

(イヤだ、そんな結末はイヤだ、仕切り直し)

☆★☆

2、「瀧くんと絶対に会う、絶対に死なない」

父の下に走り映画のあらすじ通りに三葉の家族も町の人々も避難して助かります。

 

三葉は瀧くんを探しに東京へ行きます。

隕石が落下した年の 瀧 は中学2年です。そこへ高校2年の三葉がやって来ました。

「あの時の変な女」 

律義な瀧は手首に巻いた組み紐を返さなければならないと思います。

「あのぉ これお返しします。」

 

時間の結びがほどけました。

組み紐を差し出したその先に三葉の姿はありませんでした。幻のように消えてしまいました。3年後に渡すべき組み紐を手放した瞬間、三葉たちの運命は途切れました。

(イヤだ、そんな結末はイヤだ、仕切り直し)

☆★☆

3、「お前さあ、知り合う前に会いに来るなよ、わかるわけないだろ」

瀧の言葉を三葉は思い出しました。3年待ちました。

 

東京に出て大学2年になった三葉は瀧に会いに行きます。

 

あの時、瀧の手のひらに名前を書く時間がありませんでした。

書きかけの1本の線がありました。

「なんだ、これ」「俺 こんな場所で何してるんだ」

☆★☆

東京に帰った瀧は司たちからメル友に会いに行った話を聞かされます。

しかし糸守町の人々が隕石災害で亡くなったという歴史が変わっているので、死亡者名簿の話はなく、会えず終いの笑い話になっていました。

 

みんな移住したんだから会えるわけないだろう、人騒がせな。

しかし納得できない瀧は司と奥寺先輩を置いてひとり山中に向かい、カタワレ時に三葉と会いました。

それなのに記憶がない。

彗星が落下した3年後の今の自分が糸守町のスケッチ画を何枚も描いたのはなぜなのか?

朝 目覚めたとき、わけもなく涙が流れているのはなぜなのか。

 

高校2年生の瀧と大学2年生の三葉が出会い(再会し)ます。

俺の名前を知っているという。

俺が手のひらに書いたという。

糸守湖を囲む岩場で会ったという、俺の記憶が途切れた場所だ。

自分の中の謎が解けた気がした、運命を感じた。

☆★☆

社会人の3年の年の差は問題になりません。

 

しかし、高校2年生と大学2年生の組み合わせは周囲には道ならぬ恋を想起させました。

立ちはだかるのは三葉の父 俊樹だけではありません。

奥寺先輩が対抗意識を抱いて瀧に急接近します。

三葉の意識が入った瀧を可愛く思った司は、三葉を可愛い年上の女性と意識します。

 

瀧を巡って三葉と奥寺先輩が、三葉を巡って瀧と司が

四角関係の勃発です。

大学受験を控えた瀧は心乱され、様子の変化に気付いた瀧の父も気にかけます。

周囲の思惑と障害で2人は関係を温め合うこともできない。

名前を知らなければこんなことにはならなかった。

名前を知らなければよかった。

☆★☆

あの時、ご神体を囲む岩場で、お互いの手のひらに名前を書いたら2人の関係は進展しない、障害が起きる。

名前を書いてはいけない物語でした。

 

「目が覚めてもお互い忘れないようにさ、名前書いておこうぜ」

と言った瀧が名前をなぜ書かないのか、書いたら物語は破綻する。

そのために瀧は名前を書かないキャラクターとして描かれた。

 

三葉はノートに書かれた “お前は誰だ” の問いかけに照れることもなく瀧の手のひらに “みつは” と書きました。(自己紹介しました。)

瀧は「なんだ、これ」、“お前はなんだ、この人生はなんだ” と三葉の腕に書きなぐります。

瀧(三葉)は周囲から瀧と呼ばれて名前が瀧であることを知ります。

三葉(瀧)は照れて自分の名前が瀧であると三葉に対して自己紹介しませんでした。

奥寺先輩とのデートのセッティングも三葉の手腕でした。奥手の瀧にはできませんでした。

 

「目が覚めてもお互い忘れないようにさ、名前書いておこうぜ」

とは言うものの こっ恥ずかしくて 名前が書けるものではありませんでした。

(平仮名で たき と書くのか、片仮名で タキ と書くのか、漢字で 瀧 と書くのか、それともローマ字で TAKI と書くのか……書けない)

でも気持ちは伝えたいと不器用に “すきだ” と書くのでした。

☆★☆

脚本おそるべし

 

映画のラストに導くために、結末を破綻させないために、台詞を選ぶ、行動を記述する、その台詞を言うことが、行動を取ることが不自然にならない性格設定。

 

連絡が取れなくなった三葉に会いに行くために旅に出る、司と奥寺先輩を宿に置いてひとり山中に向かう。そういう行動力のある男だと予感させるために三葉(瀧)が机を蹴り倒すという描写。

 

“練られた脚本” という言葉を映画評論で読んだり聞いたりしたことはある。

それがどういうことかは、よくわからなかった。

つまり読んだり聞いたりしてわからなかった。

 

ブログを書いてみて、こういうことかと思った。

わからなかったら別の条件を設定して自分で想定してみることだと思った。

 

それではまた。

主砲弾を撃ち込まれても誘導徹甲爆弾艦底貫通からも生還した英戦艦『ウォースパイト』―また最も多くの主砲弾を発射した戦艦

WARSPITE―戦争を軽蔑する 

 

こういう名前を戦艦につけるとはなかなかにひねています。

クイーン・エリザベス、キングジョージ5世、ネルソン(英)、ビスマルクシャルンホルストグナイゼナウ(独)、リシュリュー、クレマンソー、ジャン・バール(仏)といった人名をつけることが多い欧州戦艦の中でも異彩を放っています。

日本、アメリカなら大和、武蔵、長門ウェストバージニアアイオワサウスダコタと地名を付けます。

 

チャーチル肝いりの戦艦であった。

 1912年(日本では明治45年7月30日 明治天皇崩御 大正元年となります。CHINAでは孫文中華民国の臨時大統領となり宣統帝が退位し清朝の終焉、袁世凱大総統に就任しました。時代の変わり目でした。 タイタニック号が沈没した年でもあります。) 海軍大臣 ウィンストン・チャーチルは建造を計画している5隻の戦艦に各国に先んじて強力な武器15インチ砲を搭載することを決定した。(従来は13.5インチ砲)

 

従来の戦艦のレイアウトは5砲塔10門でした。砲塔を艦橋の前方艦首甲板に砲塔を2基、中央煙突方法に1基、後部甲板に2基配置しました。砲弾の重さは635キロでしたので10門の発射で6,350キロでした。

15インチの場合は砲弾の重さは870キロ、煙突後方の砲塔をなくして4砲塔8門にしました。艦首甲板と艦尾甲板に2基ずつです。第二次大戦の戦艦で見られるスタイルになりました。

870×8=6,960キロで13.5インチの従来艦を上回ります。

煙突後方の砲塔をなくしてボイラーを増やし25ノット(1ノット=時速1.852キロ 時速46.3キロ)と従来の戦艦を3ないし4ノット上回る速度を実現しました。

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ノルマンジー上陸作戦から終戦まで1586発の主砲弾をドイツ軍陣地 要塞に撃ち込む。

 

上陸地点 6月6日 スウォード・ビーチ 314発

6月9日 ブルービーチ 96回の斉射 96×6門 576発、   

6月11日 ブルターニュ半島ブレスト 50回の斉射 50×6門 300発

8月24日 213発

ル・アーブル 183発

1944年11月1日 オランダ海岸 ワルヘレン島に取り残されたドイツ軍に対する砲撃で353発を撃ち込みウォースパイトは戦闘を終えた。

第一次第二次世界大戦を通して海戦と陸上艦砲射撃で3455発を超える主砲弾を発射した。

最も大量の主砲弾を発射した戦艦であった。

☆★☆

3455発以上の主砲弾発射

 

対ドイツ海軍 北海

ジュトランド沖海戦 259発

ナルヴィク海戦 134発

 

対イタリア海軍 地中海

カラブリヤ沖海戦 37回の斉射 37×8門 296発

マパタン岬海戦 60発

 

対イタリア陸軍

パルティア砲撃 136発

 

対ドイツ陸軍

クレタ島トリポリ砲撃 135発

 

これにノルマンジー上陸作戦から終戦までの1939発を足すと計3455発になります。

※海戦は対軍艦、砲撃は陸軍支援。

3455発×870キロ=3005850キロ 計重量 約3006t (3000トンでGoogle検索すると護衛艦、巡視船、潜水艦がヒットします。)

 

ジュトランド海戦で29発の命中弾を受ける。

 

第一次世界大戦中の1916年5月31日 デンマークのジュトランド半島沖で英独の艦隊決戦が行われた。

双方で202隻の艦船が撃ち合うという史上最大の海戦であった。

イギリス海軍 戦艦・巡洋戦艦37隻、巡洋艦駆逐艦105隻

沈没 巡洋戦艦3隻、巡洋艦3隻、駆逐艦8隻、計14隻

 

ドイツ海軍 戦艦・巡洋戦艦21隻、巡洋艦駆逐艦97隻

沈没 戦艦1隻、巡洋戦艦1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦5隻、計11隻

 

結果的には痛み分けであったが双方が勝利を主張した。この後ドイツは制海権を争うことがなくなり通商破壊を行うことが艦船の役割となった。

ウォースパイトの被害

 

乗員1048人、死亡14人、負傷17人 29発(内18発は大口径弾)の命中弾を受けたにも関わらず戦闘能力は致命的に損なわれなかった。

大口径弾は15センチ、23センチの厚さの鉄板をも貫通した。

“小口径弾が”士官用食堂兼談話室“を突きぬけて船腹から飛び出していった“。

“医務室にかなりの損害を与えて船内を横断していった。“

(こういう記録の残し方をするとは、ひどい状況でもユーモアを忘れないイギリス人)

“電線の鉛の覆いが溶けて落ちてきたので消防隊はダッフルコートを着なければならなかった。”(頭を守るためにフードが必要だから)

ウォースパイトは舵が故障してドイツ艦隊の前で円運動を行って命中弾を受けた。

“ウォースパイト死の行進“と呼ばれた。

☆★☆

フィヨルドに突入

 

1940年4月9日

ドイツの大型駆逐艦10隻が2000人の兵士を輸送してフィヨルドを抜けてノルウェーのナルヴィクに軍隊を上陸させ制圧した。

最初イギリス海軍は5隻の駆逐艦で攻撃を仕掛けて2隻の駆逐艦と6隻の輸送船を沈めたが、残りの8隻に追撃されイギリス側は2隻が沈没(作戦の指揮官は戦死)し1隻がかなりの損傷を受けた。

空母の艦載機で攻撃を試みるも低い雲と吹雪で命中弾はなく失敗に終わった。

イギリス海軍本部は狭いフィヨルド駆逐艦を随伴させて戦艦を突入させることを命令した。

 

ウォースパイトの主砲、副砲の砲撃と駆逐艦の攻撃で8隻の駆逐艦はすべて撃沈された。(4隻は座礁したり、フィヨルドの先端の海岸に乗り上げた後自沈した)

“ケルネルは文字通り木端微塵に吹き飛ばされ、傾いて沈んだ。”

“ウォースパイトの砲弾はギーゼを燃えて沈む残骸に変えた。”ギーゼの艦長は総員退艦の令を出した。

その結果ドイツ軍の上陸守備隊は孤立した。

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21キロ先の敵戦艦に主砲弾を命中させる。

 

1940年7月7日  

カラブリア沖海戦

イタリア海軍 戦艦2隻、巡洋艦16隻、駆逐艦32隻

イギリス海軍 戦艦3隻、巡洋艦5隻、駆逐艦17隻、※空母1隻

※イタリア側は本土から航空機を飛ばせる位置なので空母の存在は有利とは言えなかった。

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イタリア空軍の爆撃機から7回の攻撃

 

120個の爆弾が投下され、ウォースパイトはマストよりも高く上がった水柱に囲まれたが、無傷で抜けてきた。

(何という強運!)

 

 “16:00 敵の先頭の戦艦ジュリオ・チェザーレへ距離23700メートルで発砲した。”

“敵の戦艦の煙突の基部に激しい爆発が起こり、大きなオレンジ色の光が閃いた。続いて煙が湧きあがり、それで21000メートルという驚異的な距離で命中したことが判明した。”

(砲弾命中最長距離の記録であった。)

ジュリオ・チェザーレの6つのボイラーは使用不能となり2隻の戦艦は回頭して煙幕を張り逃走した。

“イタリア艦隊はこの後、二度とふたたびイギリス戦艦の砲火に立ち向かおうとはしなかった。”

 

クレタ島沖で最大の人的被害

 

1941年5月22日 3機のメッサーシュミット MEー109戦闘爆撃機が高度240メートルで距1800メートルのところへ近づくまで発見されなかった。

距離450メートル、高度150メートルから爆弾を投下した。

2つの爆弾は外れたが、3つめの500ポンド(230キロ)徹甲爆弾が45度の角度で甲板を突き抜けて艦内で爆発し右舷の4インチ、6インチ砲を損傷させ、27メートルの長さにわたって裂け目が開いた。メッサーシュミットを発見してから爆弾が命中するまで10秒しかなかった。

火災のため多数の死傷者が出た。38人が即死か負傷して後死亡、31人が負傷した。

 

シアトルでの改装

 

アレキサンドリアギリシャ)で応急処理を施して本格的な修理はアメリカのシアトルで行う手配がなされた。

スエズ運河を通り太平洋を横断してシアトルに向かった。

ウォースパイトはアメリカで水上探索レーダー、対空探索レーダー、水上射撃レーダーシステムを装備した。0.5インチ機関銃を撤去し代わりに20ミリ機関砲が装備されて対空砲火が強化された。

1941年12月28日 ふたたび就役した。太平洋戦争戦争が勃発していた。

1942年1月7日出港、太平洋を横断し1942年3月22日インド洋のセイロンに到着し東洋艦隊旗艦に着任した。

1942年6月4日 ミッドウェー海戦の結果(日本は空母4隻喪失)、シンガポールより西に日本の機動部隊が進出するおそれがなくなったため、1943年3月 本国に戻るよう命じられた。この間、日本軍と戦う機会はなかった。

 

フリッツXが襲う 

 

 

1943年9月15日 ウォースパイトは連合軍のイタリア西岸サレルノへの上陸支援に際して艦砲射撃を行った。

ドイツ軍が丘に設置した重砲が浜辺に上陸したアメリカ軍を砲撃しているため、戦艦での制圧を求められた。

独伊軍陣地に向けて30回の斉射×8門(240発)、翌16日には256発の主砲弾を発射した。

“砲弾はアメリカ軍の上をつんざくように飛んで敵の弾薬集積所で爆発した。”

米軍 “効果的な支援に感謝する。海岸にいる部隊に大変な助けになる。”

 

囮の急降下爆撃機

 

12機のフォッケウルフFW190戦闘爆撃機が太陽を背にして急降下爆撃してきた。

猛烈な対空砲火で追い払った。しかしこの攻撃は上空6000メートルにいるドルニエDO217爆撃機の存在を隠すための陽動であった。

3つの黒い物体が非常な速さで落ちてきた、無線誘導爆弾フリッツXであった。

9月9日に脱出したイタリア戦艦ローマを一発で爆沈させた恐ろしい武器であった。(甲板を貫通して弾薬庫で爆発した)(連合軍の戦利品にさせまじと沈没させた。)

 

投下した母機からの無線誘導で目標に命中させる徹甲爆弾で総重量1360キロ、爆薬量270キロ、弾着時の速度は音速に近いものとなり甲板から貫通して艦底に達するという恐るべきものであった。

 

“1つめは煙突のすぐ後ろのボート甲板に命中して、左舷の格納庫・士官室の調理室・機関員の後部居住甲板・衣類格納庫・第4ボイラー室を突き抜けて、二重底の予備給水タンクで爆発した。底には長さ6メートル以上、幅2メートルから4メートルの穴が開いた。

2つめは右舷の第五ボイラー室の約2メートル横、バルジ(舷側装甲外部に設けられた出っ張り、中は空洞で魚雷や水中被弾の被害を軽減する役目がある)の下端の深さのところで爆発した。艦底の内と外の鉄板にしわが寄り、バルジの被覆に穴が開いて歪んだ。

3つめは海に落ち右舷10メートルの位置での至近弾となって爆発した。

第二~第六ボイラー室は水浸しになり、第一ボイラーに海水が混じり蒸気がすべて止まってしまった。

 

5千トンの海水を飲み込んだウォースパイトは操艦不可能になり、掃海されていない機雷源へと流されていった。

 

レーダーは作動しなくなり、油圧がなくなったため15インチ砲も作動しない。

対空砲火とディーゼル発電機は健在であったが、いつまた航空機やUボートの攻撃を受けるかわからない。

(爆撃機もUボートも襲ってこなかった、止めを刺したと思ったのか)

天気がよく、浸水もあるところで防止され、操舵装置は系統を切り替えることで修復していた。

米軍のタグボートが救援にやって来た、一隻が激しくぶつかった。(流されるウォースパイトを押しとどめようとしたのか)

甲板から誰かが叫んだ「これ以上穴を開けるなよ。もう充分開いているんだから。」

(ひどい状況でもユーモアをかます)

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何百人もの乗組員がポンプとバケツを使って浸水がこれ以上広がらないように働いた。

 

事態をさらに悪くしたのは飲み水がなく、非常に限られた量のレモネードしかなく、食べるものもビスケットとコンビーフしかなかったことである。

「だれも持ち場から離れず、爆弾が命中してから全員が働きづめで、大砲や機関銃の持ち場にいるか、ワイヤーロープを引っ張っているか、つっかい棒をするか、ポンプで排水するかしていた。

乗組員は座って休みをとり始め、そして座ったままで眠りに落ちていた。

しかし全員驚くほど元気でやる気があり、事態をやむをえないこととして受け入れていた。

乗組員が甲板で裸になって舷側から汲み上げたバケツの海水で、お互いの体を洗っているのを見た。この暑さの中、バケツで水を汲みだすのは重労働だった。およそ二百人の水兵が、ずっとそれに従事していた。」(H・A・パッカー艦長 1943年3月31日着任、10月12日離任)

 

死亡12人(3人はドックで修理のため排水した時に発見された) 14人負傷 

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4隻の駆逐艦を随伴してジブラルタルイベリア半島の先端)に回航された。航行可能な状態に修復するのに4ヶ月間を要した。

本格的な修理を受けるためにイギリス本国に戻ったのは1944年3月であった。

 

ジブラルタルから本国に向かう際、67676人の兵隊を輸送する護送船団と合流した。

護送船団の指揮官はウォースパイトの実情を知らなかったので頼もしい護衛がついたと喜んだ。実態はウォースパイトが護送船団に護衛されていた。

 

ウォースパイトにはノルマンジー上陸作戦のドイツ軍陸上基地砲撃の任務が課せらているため修理は暫定的なものとなった。

3番砲塔、第四ボイラーは使用不能のままでの出撃となった。

1586発の主砲弾をドイツ軍陣地 要塞に撃ち込む返礼を行った。

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1945年2月 予備艦に編入

1946年8月 解体が決定された。

イギリス戦艦の中でもっとも有名なウォースパイトを軍艦の記念館として保存しようという声が起こった。しかし残念ながらその声は無視された。

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1945年の総選挙で保守党は敗れて労働党政権となりチャーチルは下野した。

 

戦争は終りました。チャーチルさんお疲れ様でした。という民意でした。

戦勝に熱狂してチャーチル政権勝利とはなりませんでした。

何てクールというかドライというか したたかな民意でしょう。

保守党政権だったらウォースパイトは記念館として残っていたんじゃなかろうか。

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1947年7月に解体のため曳航中に座礁した、強風で煽られて錨を引きちぎって流されて岩礁に乗り上げた。ウォースパイト最後の抵抗なのか。

船体の被害はひどく再浮上させることは不可能であったため、岩礁の上で解体が行われた。完全に終わるには1956年までかかった。

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なんで戦艦のブログを書いたのか。

前回はチャーチルの不屈、今回はウォースパイト乗組員の不屈。

不屈がテーマです。

それではまた。

 

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EU離脱を表明した英国の迷走ぶりが舵が故障したウォースパイトと被ったからです。

英国は大西洋を挟んで米国と欧州を結ぶ橋頭保であり、日本は太平洋を挟んで米国とアジアを結ぶ橋頭保になる位置にあります。

 

トランプ次期大統領は外の世界のことに構わない、アメリカは手を引くといわれています。が、

世界中に展開するアメリカ企業を見捨てるか?米国人の権益を見捨てるか?

米国の国益が第一ならその選択肢はない。

国際秩序の中で橋頭保の役割が大きくなる。

米露中とのパワーバランスの中でEUが立ちまわるためには英国がEU離脱をするからといって蔑(ないがしろ)にすることが得策とは思えない。

 

それではまた。

 

 

戦艦ウォースパイト―第二次大戦で最も活躍した戦艦

戦艦ウォースパイト―第二次大戦で最も活躍した戦艦

 

 

 

悪人の目論みは悪人でなければ予測できない(善人・東條英機と悪人・ヒトラーVS悪人・チャーチル)

東條英機は善人(くそ真面目)だからあのような行動(前回参照)になったのです。

チャーチルは悪人だからヒトラーに対抗できたのです。善人は手玉に取られて騙されたのです。

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東條英機 座右の銘「努力即権威」

 

陸相を兼ね、内相を兼ね、一時的にせよ文相、外相、参謀総長も兼任する。すべては自分が責任を取り全身全霊を捧げて任務完遂の一念に燃える。

一に公務、二に公務、三、四がなくて五に公務

囲碁、将棋、麻雀、園芸、ゴルフ、映画、演劇、寄席などおよそ趣味、遊びはすべて「時間的に公務を妨害するもの」として排除した。

部下の報告は必ずメモに取り、いかに多忙でも、きちんと事項別、年月日別に分類して三個の書類箱に納める、その他に個人用として三冊の手帳も用意し6ヶ月毎に更新した。

遊事にさく時間も教養のために読書する時間もない。

 

甥の山田中佐が女の手を握ったと聞くと「バカ者め、戦局たけなわの時に何をやっているか」といって殴る。

酒も好き、芸者遊びをする、ダンスホールがよいもする。

東條大将にとっては身震いするほど嫌悪の対象であった。

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(昭和19年2月23日 毎日新聞 1面)

「勝利か滅亡か、戦局は茲(ここ)まできた」「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋航空機だ」

人が真剣に竹槍に取り組んでいるのにおちょくるとは許し難い。書いた記者は懲罰で徴兵にしてくれる。

 

「勤王に二種あり。一つは狭義のもの、二つは広義のものにて、前者は君命是従うことにて、陛下より和平せよとの勅命あれば是従うことなるも、後者は然らず、国家永遠のことを考え、たとい陛下より仰せあるも、必ず諌め奉り、度々諫言し奉りて御許しなくば、強制し奉りても所信を断行すべし、余は是を取る」

思い上がりだ、不敬だ、逆賊だと思われても、当人は忠誠心の発露だと信じて疑わない。

 

悪いことをしていると思えば、このくらいで止めておこうと考える。

正しいことをしていると信じていたら、やめる必要を感じないので止まる処がない。

自分が正しくて相手が悪いと信じ込んでいたら諍いが絶えないのです。

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ヒトラーが勝利すればユダヤ人、ジプシー、精神・身体障害者、同性愛者は生存が許されない。ドイツ人が東欧、ウクライナに入植し、スラブ民族は追放される。

 (「国外追放とは粛清を指す。」 ナチス親衛隊中佐 アドルフ・アイヒマン)

 

善人は顔をしかめます。なんてひどい妄想だ、そんなバカなことがあるわけがない。

ドイツと宥和すべきだ。和睦すべきだ。

 

善人の限界でした。善人は悪いことを考えないのですから相手がどんな悪だくみをしているのか予測することができません。

 

チャーチルは説きます「いま、平和を目指せば、戦い抜いた場合よりもよい条件を引き出すことができるという考えには根拠がないと思う。ドイツ人はイギリスの艦隊を要求するだろう、武装解除という名目で。海軍基地なども要求してくるだろう。

イギリスは奴隷国家になるだろう。(中略)ヒトラーの傀儡となるイギリス政府が立ちあげられるだろう。そうなったら我々はどうなるか?」

次なる侵略の手先にされる。民族浄化の手先にされる。

ドイツとの交渉を拒絶することによりイギリスに大量の戦死者が出る。戦い続けることはさらに悪い結果となるだろうが、降伏はさらに悪い結果をもたらすだろう。

 

第一次世界大戦の戦死者3700万人、イギリス人の戦死者100万人

第二次世界大戦の戦死者6000万人、イギリス人の戦死者50万人

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イギリスが降伏したら、アメリカ軍はもう欧州に来ない。

 

イギリスという橋頭保を失って大西洋を挟んで欧州各国の兵器を手中にしたドイツと戦うリスクを冒せない。

アジア単独の軍事国家の日本とは違う。(平時の国家予算の30%が軍事費)

ドイツは周辺国でも軍需産業が発達している。

 

イギリスが屈服すればユーラシア大陸ヒトラー或いはスターリンが支配することになる。

 

※イギリスの戦費調達のアメリカへの借金返済は2006年まで続きました。

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チャーチル フランス戦艦の撃沈を命令す。

 

海軍は反対する。力の行使や脅しは悲劇をもたらし、フランスをイギリスに敵対させる公算が大きい。と主張する。

 

チャーチルの考えでは、ドイツがフランスの戦艦を手に入れたら、イギリス本土を守り切ることができない。

イギリスに入港するか、カリブ海に去るか、さもなくば沈没させよ。

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善人の解釈ではドイツ人がすぐにフランス戦艦を操艦できるわけはないから差し迫った脅威ではない。

悪人の解釈ではドイツ軍がパリに入城した時点でフランス海軍に選択の余地はない。フランス国民が人質になっている。フランス戦艦のマストにナチスハーケンクロイツの旗を翻らせてフランス人が操艦するという屈辱的な目に遭うことになる。

 

フランスの水兵たちはイギリス軍とともにドイツと再び戦うことになると信じていた。

しかし、もう遅かった。選択の余地はなかった。ドイツ軍のパリ入城前にイギリスに入港するかカリブ海に去っているべきだった。

去っていれば捲土重来を期することができた。

 

イギリス軍機が上空に現れ港の入口に機雷を落とす。

イギリス艦隊の艦長が武装解除の交渉に赴く、フランス海軍は渋る。

 

チャーチルの電報「問題を早急に決着せよ」

 

フランスの水兵たちの運命はきまった。戦艦フッド、ヴァリアントの砲撃がはじまり港の艦隊は沈没、使用不能となった。(戦艦ブルターニュ撃沈、戦艦ダンケルクプロヴァンス座礁、戦艦ストラスブール駆逐艦6隻は脱出に成功する。フランス側の犠牲者1187名)(脱出したストラスブールはドイツに利用されることをおそれて自沈した)(被害の状況からするとイギリス海軍は本気で攻撃できなかった。)

 

チャーチルの後日談「あれはおそろしい決断だった。国を救うために自分の子供の命を奪うようなことだった。」

メルセルケビール(地中海アルジェリアの港)で非情にふるまった翌週にバトルオブブリテン(ドイツのイギリス侵攻)が始まった。

チャーチルの判断の正しさが証明された。

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イギリスはけして屈服しない。そのために必要なことは何でもやる。

戦いにおける容赦のなさ、他のどんな政治家にもない図太さ。

善人 真面目でいい人はこんなことはしません、できません。

 

フランス戦艦を沈めた翌日、下院議員たちは歓呼の声で議事日程を振りかざした。

ドイツに敵うわけがない、抗う術がないと誰もが思っていた。でもこの首相の下なら戦えるかもしれない。と軍も議会も国民も光明を見た。

やがてドイツは根負けして軍をソ連に向かわせることになりました。

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東條英機 遺言の一節「質実剛健だけの教育は、硬直に過ぎて駄目である」

東條大将のようなマジメ人間は今もいます。

 

 

 

 

 

靖国合祀で(周辺国とは無関係に)却って眠れなくなった東條英機元首相―立場が人の運命を狂わせる。

連合軍に逮捕されなくても日本人に裁かれる運命であった。

 

開戦4ヶ月前の若手官僚、軍人、企業人の意見具申を黙殺。

 昭和16年12月8日の開戦よりわずか4ヶ月前の8月16日、平均年齢33歳の総力戦研究所のメンバー、霞が関の各省、日銀、丸の内・大手町の民間企業、新聞記者から集められた30人ほどの若手エリートらはアメリカと戦った場合のシュミレーションを重ね、そこで出された結論は実際の太平洋戦争での経過とほとんど同じだった。最後にはソ連の参戦を招いて敗北する。と

日ソ中立条約は反古になると若手エリートらは見抜いていた。

 

「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは君たちの考えるようなものではないのであります。」

その結果が死者300万、全国焼野原、全軍降伏武装解除(陸海軍の解体)

 

四方の海みなはらからと思う世に など波風の立ちさわぐらむ

 

暗に平和維持を望まれた陛下の御意思は守られなかった。

「戦争の大義名分は如何に考えているのか」

「目下、検討中でありまして、いすれ奏上致します」

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敵と戦うことよりも味方を叩くことに奔走

 

首相辞任前の5ヶ月間は首相、陸相参謀総長を兼任。

短期間で終わったものを含めると外務、内務、陸軍、文部、商工、軍需

その結果、首相官邸にいるのはわずか30分、各省庁を巡り歩いて、その途中で街角のゴミ箱を開けてみたり、火の見櫓に登ってみたり。

新聞は「東條さん民情視察」と持ち上げ、大衆の受けはよかった。

 

総理の仕事をする時間がなかった。戦争指導をする時間はなかった。

2・26事件のときに満州で少しでも危ないと見た人間を一網打尽にして見せて天皇の信任を得た。

憲兵として陸軍大将として陸軍を抑えて戦争をしないために首相に任命された、アメリカと戦争をするつもりはなかったから戦争屋は必要とされなかった。

根っからの憲兵であった、会戦のプロではなく取り締まりのプロだった。

最初から戦争指導力は期待されていなかった、戦争指導力を期待されていないのに戦争を始めてしまった。もはやせかせか歩き回るしかなかった。

 

所轄官庁の中堅幹部が来客と話をしていて自分にお辞儀をしなかったことに腹を立てて免職にする。

都内を行進している陸軍の小部隊の行進の仕方が悪いと注意したら、指揮官の少尉が東條と気付かず横柄な態度だったので、原隊へ怒鳴り込む。

敵ではなく日本人から憎まれることになった。

 

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岡田啓介「戦況はぱっとしないようだが」

東條英機「あなたは必勝の信念を持たないんですか」

 

若槻礼次郎「今年は稲の作柄がどうも心配だが」

東條英機「われわれ閣員は何も食わなくても、一死奉公でやるつもりです」

精神論に終始した。

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恣意的な報復

 

(昭和19年2月23日 毎日新聞 1面)

「勝利か滅亡か、戦局は茲(ここ)まできた」「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋航空機だ」

本土決戦だと女性、子供に竹槍で訓練させる。そんなことで勝てるわけがない。という批判です。

 

記事を書いた37歳で近視の新名丈夫記者を陸軍の一兵卒として(懲罰)召集しました。

(本来であれば徴兵検査は不合格になるところを恣意的に合格にされてしまいました)

海軍が「大正の兵隊(大正時代に徴兵検査を受けた兵隊)をたった一人取るのはどういう意味か」と問うた。

新名記者は除隊となりました。(バツが悪かったのか)

しかし、その代わりなのか新名の出身地香川から250名が召集され硫黄島に送られました。硫黄島守備隊は全滅しました。

新名記者は自分の記事のために郷里の250名の命を失うことになったと後悔させられることになりました。

 

「海軍の計算によれば、斯(かく)の如く一東條の私怨を晴らさんが為、無理なる召集をしたる者72人に及べりと。正に神聖なる応招は、文字通り東條の私怨を晴らさんが為の道具となりたり」細川日記 昭和19年10月1日 (高松宮様(昭和天皇の弟君)の私設情報係 細川護貞氏)

☆★☆

「勤王に二種あり。一つは狭義のもの、二つは広義のものにて、前者は君命是従うことにて、陛下より和平せよとの勅命あれば是従うことなるも、後者は然らず、国家永遠のことを考え、たとい陛下より仰せあるも、必ず諌め奉り、度々諫言し奉りて御許しなくば、強制し奉りても所信を断行すべし、余は是を取る」

(前者は陛下より和平せよと命じられたら和平に努める。後者は国家の先々のことを考えて陛下より和平をせよと命じられても、お諌め申しあげて和平は行わない。お諌め申し上げても陛下がお認めにならないならば、陛下を幽閉して断固として和平は行わず戦争を続行する、私は後者を取る)

「強制し奉りても所信を断行すべし、余は是を取る」

言うことを聞かない天皇は幽閉して別の皇族を天皇に立てる。

 

思い上がりに怒る皇族

 東條が首相の地位にある限り終戦の見込みは立たない。

高松宮「もうこうなったら東條を殺すしかないな。誰かやる奴はいないか」(細川日記)

陸軍の東條暗殺未遂事件

 

大本営参謀 津野田知重少佐が中心になって暗殺計画を立て、決行日は昭和19年7月25日と決められていた。

大本営参謀の三笠宮に事の次第を打ち明けると賛同を得たので、さらに病気療養中の秩父宮にも面会して賛同を得た。

津野田らは山形県鶴岡市に隠遁している石原莞爾(東條と衝突して左遷された)を訪ねて献策書を見せた。石原は献策書に「全然同意す、必要なるギセイはやむを得ざるべし、斬るに賛成」と書き加えた。

 

東條が乗ったオープンカーを襲撃して、手榴弾を投げる予定だったが事前に計画が漏れて実行グループの津野田らは逮捕された。

しかし翌年 昭和20年3月の軍法会議では津野田らは失効猶予付きで放免された。

石原莞爾は責任を問われることもなかった。

軍法会議の判士らも反東條であった。

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「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残す勿れ」

(捕虜になるなら自決せよ)

「米兵一兵たりともサイパン島には上陸させない」と強弁するも全島が占領され守備隊は玉砕、民間人までも海に飛び込んで死ぬという悲惨な結果となった。

 

岸信介軍需相「サイパンを失ったら、日本はもう戦争はできない」

東條英機首相「お前のような文官に何がわかるか」

サイパンから発進したB29の本土爆撃が頻繁に行われるようになり軍需生産は計画通りにできなくなった。

軍需大臣に辞職を迫る、憲兵岸信介の家に乗り込み軍刀をつきつける。「東條さんが右向け右と言ったら、その通りにするのが閣僚の努めだろう」「黙れ兵隊、お前のような者がいるからこの頃東條さんの評判が悪い」脅すも抵抗され辞任拒否により閣内不一致により東條内閣は総辞職となる。

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総理辞任直後に予備隊編入を願い出る。

 

大将の地位にあるのだから総理を辞任したとなれば外地の戦場で指揮を執る立場になる。多くの若者を戦場に送りだしたが、今度は自らが戦場に赴くことになる。

しかし予備隊に編入となれば内地に留まることになる。保身を疑われた。

 

鈴木貫太郎内閣(終戦内閣)成立前の恫喝

 

「国内がいよいよ戦場になろうとしておる現在、よほど御注意にならぬと陸軍がそっぽを向くおそれがある。陸軍がそっぽを向けば内閣は崩壊する」

和平を画策する内閣だったらただではおかないという意味か、自分はもう陸軍を抑えることができないという意味の裏返しの強がりか。

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戦争回避の機会を潰す

 

山本五十六「目下ワシントンで行われている日米交渉が成立した場合は、出動部隊に引き上げを命ずるから、その命令を受けたときは、たとい攻撃隊の母艦発進後であっても、直ちに飛行機を収容して引き返してこい」

南雲忠一「それは無理です。第一士気にかかわります」

山本「百年兵を養うを何と心得ているか、この命令に従えない指揮官は即刻辞表を出せ、ただ今から出動を禁止する」

 

12月7日 ルーズベルト大統領の天皇宛親書

「陛下と私が日米両国民のためならず、隣接する国々の人類のためにも、両国間の伝統的友好関係を取り戻し、世界にこれ以上の死と破壊をもたらすことを防止する、神聖なる義務を持つことを確信いたします」

東條「電報が遅く届いたからよかったよ。もう1日2日早く着いていたら、またひと騒ぎあったかもしれない」

「またひと騒ぎ」とは天皇が和平に動くことを東條が危惧していたということ。

東條夫人かつ子「陛下が開戦の勅書になかなか判を押されないので、昨夜、主人は枕元に刀を置いて自決の用意までしていたのです」

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ハルノート 支那からの全面撤退に満州は含まれていなかった。

 

昭和16年4月 日米了解案「満州国を承認する」

東條内閣は支那満州は含まれていると解釈して開戦やむなしと判断した。

(開戦の理由になった。)

日米了解案との照合を求める手続きを行わなかった。柔軟性に欠けていた。

あれはあれ、それはそれ、これはこれ と分けて考えるアングロサクソンの思考についていけなかった。

 

満州人を野蛮人扱いしてきた中華歴代王朝

 

万里の長城は現在中国の国内にあります。異民族の侵入を防ぐために築かれました。

匈奴とか鮮卑という差別的な言葉で称され蛮族の住む地と見做されてきました。

北方から侵入され清朝が樹立すると人々は清の流儀で辮髪にさせられました。

長い歴史の中では ほんの一時の風習でした。

日本のちょんまげ のような伝統ではありませんでした。

清が滅亡するとたちまち辮髪をやめました。

明の時代は北部は韃靼(タタール)、西部は烏斯藏(ウスツァン)という別の国でした。

 

明の時代までは伝統的に別の国でした。

米国は中国における権益を狙いながらも、ソ連の南下を防いで赤化を防ぐという目的では日本と一致していました。

そのためには日本が満州を支配していた方が都合がよかったのです。

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東京裁判

 

キーナン判事「1941年12月、戦争を遂行するという問題に関する天皇の立場と、あなた自身の立場の問題に移る。あなたはすでに法廷に対して、日本の天皇は平和を愛することをあなた方に知らしめたと言っているが、これは正しいか」

東條英機「もちろん正しい」

キーナン判事「そうしてまた、日本臣民たる者は何人たるも、天皇の命令に従わないということは考えられないと言った。それは正しいか」

天皇有罪の決め手になりかねない重大な発言であった。国民が戦ったのは天皇の命令という意味に受け取られかねない。

 

法廷が閉廷してから打ち合わせの中で弁護士から指摘されて東條は言い直します。 

東條「それは私の国民としての感情を申し上げた。天皇の責任とは別の問題です」

開戦という国政に関する一大事は、内閣と統帥権の責任で為した最後の決定であり、天皇が拒否権を行使されることは、憲法上も慣行上もなかったと陳述する。

「ゆえに昭和16年12月1日開戦決定の責任も、また内閣閣僚及び統帥権の者の責任であって、絶対的に陛下の御責任ではありません」

人生の最後になっての面目躍如でした。

 

処刑日は12月23日 皇太子(現在の天皇)の生誕

執行するのは連合軍側の極東軍事裁判所であるが、生誕を祝う日に東條の処刑を行うとは、陛下はお許しになっていないということを伝えようとする意図か。

 

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1人だけが悪いのではない、1人だけではできない、周りも悪かった、多くの政治家も軍人も関与した、とは言うものの

東條家は米軍からも日本人からも敵視された。東條家には商品を売らないという食料店もあり、妻かつ子は庭を開墾して野菜も鶏も飼育して自給自足生活をした。  《佐藤早苗 「東條英機 封印された真実」》

東條の息子、つまり由布子氏の父は、復員してすぐに会社から辞職勧告を受け退職した。 小学校に入学した弟は、担任の女性教師に「東條君のお祖父さんは、泥棒よりも悪いことをしてきた人です」と級友の面前で言われた。

文芸春秋」1994年8月号 岩浪由布子(東條英機の嫡孫)

本人が死んだ後も家族にここまでするか、他にも戦犯(連合軍指定の)がいるのになぜ東條家がここまでされるのか。

戦時中の憲兵による締め付けが復讐心を育んで家族にまで累が及んだのか。

 

憲兵による取り締まり、懲罰的な徴兵でアメリカよりも陸海軍・マスコミ・大衆を敵に回していた。

連合軍に逮捕されなければ日本人に裁かれる運命だった。

 

立場が人の運命を狂わせる。

 

首相にならなければここまで憎まれることはなかった。戦争を生き残っていたら平穏な戦後生活をおくっていたかもしれない。

外国人だけではなく日本人も敵にしてしまった。

死ねばみな仏という意見もあります。

でも神社です。

 

周辺国がどう言おうと、A級戦犯であろうがあるまいが、靖国神社参拝は戦死者の御霊を拝みに行くのであり、東條さんのみたまも拝んで来ようという気にはならない。

霊魂というものがあるのなら合祀されて戦場に送った英霊に囲まれて居心地が悪くはないのだろうか。

合祀された結果、周辺国に関係なく日本人に未来永劫、研究されて話題にされてひとり静かに眠ることが許されなくなった。

周辺国が何を言おうが言うまいが日本人に忘れられないために合祀された。

 

あの戦争を忘れないためにここ(靖国)にいる。

 

 

東条英機と阿片の闇 (角川ソフィア文庫)

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昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

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大人の見識 (新潮新書)

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素顔のリーダー―ナポレオンから東条英機まで (文春文庫)

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東条英機 封印された真実

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