車の試乗記ではあたり前のことながら車自体の特徴や印象が語られる。
しかし筆者のレポートでは車自体から一旦距離を置いた周辺状況も語られる。
抜粋すると
“定期列車の後部に増結されたアウディ専用の豪華な1等車の旅”、同乗者が“政治家、役人、実業家から女性歌手に亘る各界のお歴々”
“ドイツではこうした新型車の発表に際して、各界の影響力の強い人々を招待するのは習慣”
日本だったら招待されるのはメディア関係者で、政治家は考えられない。文化的背景がうかがわれる光景に触れられる。
“スペイン風の美味なランチと「ワイン」を、穏やかな冬の陽差しの下でとってから(中略)サーキットへ飛び出した。” おやおや彼の国の人はアルコールに強いからアルコールに対する考え方が緩やかなのか? (本文ではワインを「 」で括っていません)
“会社主催のパーティーを開き、そこでは管理職がビールを注いで回ったそうである。これはホワイトカラーとブルーカラーが決して同じテーブルでは食事をしない英国の国柄では、まさに社会革命とも言うべき大胆な試みなのだ。”
取材において多くのジャーナリストと同じ或いは類似の体験をしていても、筆者の視点は車自体のみに注いで終らない。
元の状態や昔の事を知っているから違いがわかる。違いを認識できなければ言及する対象と見做すことはない。教養に裏打ちされた視野の広さがあります。
ただ読むに際しては、読む人の年齢や体験により1962年から1989年に亘る27年間のテストレポートエッセーを最初から順番に読んでもついていけない向きもあるかもしれません。
私自身も60年代の車種には馴染みがないので80年代から読み始め、車種も近寄りがたい車種は避けて トヨタソアラ、アウディ80クアトロ、メルセデスベンツ190から読み始めて、70年代のシビック、アコード、VWゴルフと続けて筆者の文体に馴染んでから、高嶺の花、伝説の車、メルセデスベンツ300SL、ポルシェ356B、フェラーリ・ディーノ246GTに辿りつくという案配でした。
レポートを読むと1976年のホンダアコードの内容は当時の欧州車に対抗しうる日本車のエースとも言うべき存在であったことがうかがわれます。
絶対的コーナリングスピードではフェラーリ・ディーノ246GTとランボルギーニウラコは互角と思われても、視界の差によって振り回し易いか、大きく重い車の印象を与えるかの違いが出ることが語られる。振り回す気になれない場合でも“メーカーがおとなのユーザーを狙っているのだろうから、これはこれでよいのであろう“と大人の結論で締める。
読む側も結論はわかりました。
なんだか結論がわからない大人の対応とは違います。
ただ惜しむらくは巻頭にも文中にも写真がついていない車種があることで、例えばBMC1100はどんな形をしているのかとGoogle検索して見ました。
せっかく出版するのだから写真を割愛して2300円に抑えられるよりは3000円になってもすべての車種に写真をつけてほしかった。改訂版を刊行する場合には検討してほしいと思う。