(4月10日朝刊記事、朝日新聞 1面及び総合2面、日本経済新聞 社会面より)
事故と裁判の経緯
2004年、愛媛県今治市の小学校の校庭でサッカーボールの練習中に、蹴ったボールが道路に転がり出し、バイクを運転していた当時80歳の男性がボールを避けようとして転倒し足を骨折。寝たきりとなり、1年半後に死亡した(朝日)。1年4ヶ月後に誤嚥性肺炎で死亡した(日経)。
遺族は賠償を求めて提訴し、大阪地裁、大阪高裁の一審、二審は遺族側の主張を認め、ボールを蹴って練習していた児童の両親に賠償命令を下す判決を出していた。
4月9日 最高裁第一小法廷は「危険でない行為でたまたま人に損害を与えた場合、親に賠償責任はない」との判断を示し、賠償請求を棄却した。
被告側の視点で考えれば、狙って蹴った訳でもないのにボールが偶々、校庭の外に転がり出たら、運悪く通りかかった高齢者が転倒し、その結果、損害賠償を求められる。
日常的な行為で偶然と運が重なったことに賠償責任を認めることが必然であるならば、校庭でスポーツをすることが不可能になる。
一方、原告側の視点で考えれば、老親が寝たきりになり介護が生じても泣き寝入りになる恐れがある。
そもそも訴える相手が児童の両親ということに疑問がある。学校や自治体が相手であればフェンスを設置する等の再発防止策を講じるきっかけになるし、悪ふざけと日常的な練習を一緒にするなという疑義も生じないから、裁判もまた違った展開になったのではないか。
本題、朝日新聞を読んだら「遺族側は、コメントなどは出さなかった」と書いてあり、次に日本経済新聞を開いたらずっこけた、遺族側弁護士の被害者の救済の道を狭めることに対する懸念を表明するコメントが載っていた。
事実関係は当事者しか解らないことだから、ここからは推測です。
「遺族側(弁護士は朝日新聞に)は、コメントなどは出さなかった」のではないか。
いくらなんでも取材に行かなかったことはないだろう、そんなことをしたらすぐバレる。
弁護士の立場で考えれば、依頼人を守るためにコメントを出さないという選択肢はある。
編集方針にまで口出しは出来ない。コメントした内容を見出しに使われた場合、依頼人がバッシングを受けるリスクを考えなければならないから、答える相手を選ばなければならない。
朝日新聞の立場で考えれば、「遺族側弁護士は朝日新聞社の取材には、コメントなどは出さなかった」と書くわけにはいかない。こんなこと書いたら配慮も工夫もない。
寧ろ「遺族側は、コメントなどは出さなかった」の一文はない方が併読者としてはすっきりする。
複数紙を併読する購読者の視点は意識されていないのだろうか。
なぜ日本経済新聞にはコメントが載っているのか、記者が原告側弁護士の信用を得たからだと思う。