nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

「ミス」は困ること、許せないことではない。許せないのは「ミスを隠すこと」。

隠蔽問題が起きる組織に対して、甘い、管理がなっていない、という批判が起きるけど逆ではないか。

寧ろ「ミスは許さん」「ミスは致命的」「出世の道が絶たれる」というミスに対する拒絶反応が過剰な組織で隠蔽が起きるのではないか。

一人のミスはチームの責任、部下のミスは上司の責任、共同責任が無限責任でどこまで類が及ぶかわからないような組織では却って庇い合いが常態化して隠すことが合理的判断となる。

 

庇い合いに参加しない者は協調性がない、組織の色に染まったまま昇進した人物が役員になり多数派を占めれば上層部まで侵される。

創業時には予測もできなかったトラブルに巻き込まれる。

そうなれば「組織と常識」と「社会の常識」との乖離(会社の常識は社会の非常識)を察知した一般職が上申しても逆に組織の裏切り者として処断される。

隠蔽の影響が組織の外部に及んだときに今度は組織が社会から処断される。

 

「ミス」は起きるもの、勿論困るが、「ミスを隠すこと」だけは防がなくてはならない。

「ミス」は叱るがいつまでも引きずらない。罰は「ミスを隠したこと」に対して行う。

罰は秘密にせず、なぜ罰するかの説明を行う「ミスは罰しない、ミスを隠したら罰する。」と。

大きなミスは罰しないのか?大きなミスは小さなミスを無意識に隠し続けた、或いはミスを侵した自覚がない中で起きるのです。