ミッドウェー海戦のあった昭和17年(1942年)6月から読んでみると
昭和17年6月2日
「讀賣社員 中野報道班員戦死 3月17日 スマトラ北部アチュ州」
3月の死亡が6月の報道。情報の入手まで3ヶ月かかったんだ。従軍記者だから犠牲者ではなく戦死者なんだ。
6月6日 新潮社が出版する伝記の広告
「ベートーヴェン 河上徹太郎著」、「徳川光圀 高須芳太郎著」 と並んで
「エヂソン 安達嘉一著」 の広告がある。
敵国アメリカ人の伝記の広告も掲載されていたんだ。
6月7日
真珠湾記録映画 伯林(ベルリン)で公開
全独に感激の旋風
開戦から半年余りでもう東京湾にまでアメリカの潜水艦は来ていたんだ。
6月10日 夕刊
米英とも船舶難に悲鳴、撃沈累増 建艦は計画倒れ
開戦以来八割を喪失、建造 予定の七分の一
ブエノスアイレス 今井特派員
以上アルゼンチンからの特派員報告でした。大本営発表ではなく新聞社の取材によるものです。当時の人達は敵の損耗が8割なら戦争は終結だと思わなかったのだろうか。この日の6日前の6月4日はミッドウェー海戦の日 この報道が事実ならアメリカは戦争継続能力を喪失しているから海戦は起きていない。
6月11日
ミッドウェー沖に大海戦
アリューシャン列島猛攻、陸軍部隊も協力 要所を奪取
米空母二隻 エンタープライズ、ホーネット撃沈
わが二空母 一巡艦の損害-一隻喪失 同一隻大破 未帰還飛行機35機
刺違え戦法成功 敵の虎の子誘出殲滅
太平洋の戦局 此一戦に決す。
実際の日本側の損害は 沈没:重巡洋艦1隻、航空母艦4隻、大破:駆逐艦1隻、中破: 重巡洋艦1隻、 喪失艦載機:289機
しかし艦載機搭乗員の損失は、赤城7名、加賀21名、蒼龍10名、飛龍72名でほとんど脱出していた。
アメリカ側の損害 沈没 航空母艦 ヨークタウン(潜水艦の魚雷攻撃による撃沈)、駆逐艦 ハンマン、航空機:基地航空隊を含め約150機
この海戦の勝利でアメリカに早期講和を持ちかけるという構想は崩れ去り、徹底抗戦 泥沼の戦いになった。
敗北であっても戦力を残した状態(艦載機の搭乗員、戦艦群は健在)での講和であれば、欧州に戦力を振り向けたいアメリカは交渉に応じたのではないか。講和が成立すれば南方戦線での玉砕、特攻、沖縄戦、本土の空襲もなかった。ドイツは怒るだろうけど。
6月13日
「英ソ同盟成立 軍事協定も成立」
日ソ不可侵条約との整合性がないことについて言及せず。
終戦の昭和20年(1945年)同盟国のドイツが降伏した5月を読むと
昭和20年5月9日
独の全軍降伏す
今ぞ悔なき敢闘 為政者も学べ欧州教訓
中途半端な生ぬるい戦いは許されない
ドイツのような敗戦は許さないぞと記者が政府に社説で発破をかけています。
ドイツ戦が中途半端で生ぬるいとは何者!
5月10日
三国同盟は失効 欧州に協力の基礎消失
昭和20年7月1日
「艦上機延八百機(午前一時まで)関東全域へ波状攻撃 連続来襲に警戒」
「新就役艦も加え空母は十隻以上」
「阪神へP51百機 戦爆機百四十機 九州各地へ連続来襲」
「主力 和歌山 堺へ約二百七十機 岐阜四日市に百十機 仙台へ七十機」
合計1420機襲来
7月16日
「一連托生で出し切ろう戦力 勝利の道は一つ
まだ足りぬ敵愾心 徹頭徹尾戦うだけ
戦力の三倍加は可能。
空襲で工場が破壊されたのに戦力の三倍加は可能という精神論が社説に
7月20日
二千機 西日本へ大挙襲来
どうやって数えたんだろうか。太平洋戦争中アメリカが生産し対日作戦に投入したB-29の機体数は約3900機
8月4日
ポツダム宣言要旨 が掲載される。政府が公表した7月27日から1週間が経過している。広島に原子爆弾投下の2日前。
8月8日
廣島へ新型爆弾
相当の被害 詳細は目下調査中
投下の2日後に報道。
8月9日
火傷の惧れあり 必ず壕内退避 新型爆弾まずこの手
まずこの手って 火傷をするという程度の情報しか伝わっていない。
8月10日
ソ連 対日宣戦を布告
8月12日
久留米を焼爆 沖縄より戦爆百五十機
長崎にも新型爆弾
白衣を着て横穴壕へ
新型爆弾への対策
縦穴では上から熱線が浴びるから横穴、白は熱を吸収しないから白衣
爆風のことはまだ伝わっていない。
8月13日
途は一つ 一億の団結 敵の非道に燃やせ悲憤
見出しで一億玉砕を呼びかけています。玉音放送の2日前です。
検閲があって報道の自由はなかったかもしれないが、軍・政府の発表以上でも以下でもないという風ではない。好戦的な方向に言論の自由を行使していた。
信念に反することを強制的に書かされたのではなく、使命感に燃えて自ら進んで書いていたのではないか。
お付き合いしている内に相手(軍)の歓心を買おうという意識が働いてはいなかったのか。検閲官と同化してしまったのか。
すべて軍と政府が悪かったことにして戦後70年、清算をして来なかった。
戦時中に記事を読んでいた方々は存命中なら90歳以上で多くが鬼籍に入ってる、それでも各地の公立図書館で当時の記事は保管され閲覧できるから、なかったことには出来ない。
マスコミが過去の清算をせずに、戦後いくら紙面で戦争反対、過去の反省が足りないと訴えても、まずは自らの過去を清算するのが先ではないのかと反発を招いて議論が二分されることになってしまった。
マスコミの70年談話を読んでみたい。