前回は戦時中の新聞を抜粋して並べましたが、その中でもミッドウェー海戦は国の運命は勿論のこと、新聞社にとっても大きな分かれ道でした。
昭和17年6月10日 朝日新聞 夕刊
米英とも船舶難に悲鳴、撃沈累増 建艦は計画倒れ
開戦以来八割を喪失、建造 予定の七分の一
ブエノスアイレス 今井特派員
大本営発表ではなく当時アルゼンチンで取材していた特派員によるものです。
アルゼンチンにいて一体何がわかるのでしょう。
冷静に考えたら損耗が8割なら戦争の継続は不可能で講和を受け入れるしかありません。
この報道が事実ならアメリカは戦争継続能力を喪失しているので日本との間に戦闘は起こりません。
ところがこの記事の6日前、6月4日はミッドウェー海戦が行われた日だったのです。
6月11日
ミッドウェー沖に大海戦
アリューシャン列島猛攻、陸軍部隊も協力 要所を奪取
米空母二隻 エンタープライズ、ホーネット撃沈
わが二空母 一巡艦の損害-一隻喪失 同一隻大破 未帰還飛行機35機
ここまでは大本営発表に沿ったものです。
刺違え戦法成功 敵の虎の子誘出殲滅
太平洋の戦局 此一戦に決す。
と付け加えました。まるでもう戦争に勝ったかのようなはしゃぎ振りです。
前日の夕刊でアメリカの戦力が喪失しているかのような報道をしたために「何で海戦が起きたの?もう船はないんじゃなかったの?」「だから敵の虎の子なんです」という辻褄合わせをしなければならなくなったのです。
それにしても“殲滅” “此一戦に決す”とはペンがすべったのか、もう終戦にならなければ辻褄が合わないところに再び自らを追い込んでしまいました。
実際の日本側の損害は 沈没:重巡洋艦1隻、航空母艦4隻(大破により自沈処理)、大破:駆逐艦1隻、中破: 重巡洋艦1隻、 喪失艦載機:289機
アメリカ側の損害は 沈没:航空母艦 1隻 ヨークタウン(潜水艦の魚雷攻撃による撃沈)、駆逐艦 1隻、航空機:基地航空隊を含め約150機
大勝利のニュースの次は敵の降伏、講和会議のニュースという流れになりますが、事実が違うのですからどうしようもありません。
この後は、たとえ本土が空襲されるようになっても“往生際の悪い米英”という論調を敗戦まで繰り返しました。
終戦の昭和20年(1945年)同盟国のドイツの降伏について
昭和20年5月9日
独の全軍降伏す
今ぞ悔なき敢闘 為政者も学べ欧州教訓
中途半端な生ぬるい戦いは許されない
為政者も学べ とあります。
社説でドイツのような敗戦は許さないぞと政府に発破をかけています。
一度記事にしてしまったら論調を押し通す。
自らを縛ることになり、大本営発表にさらに上塗りする嘘を重ねることを止められなくなりました。
★★★
時の東條内閣は敗北を隠して徹底抗戦をすることとしました。
(敗北の事実が知れ渡れば責任論が浮上し、辞職を問われる事態もありえます。
後のサイパン陥落で本土の空襲が避けられない事態となり、岸信介軍需大臣の抵抗(東條英機総理と意見が合わず、辞職を迫られるも拒否したことにより閣内不一致)によりようやく東條内閣は総辞職しました。)
さんざん戦意を煽ってきたために、まだ空襲を受けていない状態では国民は講和に納得しません。
政府を弱腰批判する報道に軍の徹底抗戦派が呼応するクーデターが起こりかねませんでした。
かつて日露戦争の講和条約で東京朝日はロシアから賠償金が取れないこと、得る領土が少ないことに不満を表明して講和反対の投書を募集し紙面を埋めました。
新聞各紙に煽られて講和反対を叫ぶ民衆は暴動を起こし交番を焼き、軍隊をもって鎮圧しなければならなくなりました。
ミッドウェー海戦敗北であっても戦力を残した状態(艦載機の搭乗員、戦艦群は健在)での講和であれば、欧州に戦力を振り向けたいアメリカは交渉に応じたのではないか。
講和が成立すれば南方戦線での玉砕、特攻(連合軍側は自殺爆撃と呼んだ)、沖縄戦、本土の空襲もなかった。
国民にミッドウェー敗北の事実を知らしめるほかに講和の道はなかった。
意見を変えないこと自体を目的にすることは頑迷です。
最初の判断の過ちを認めて、周囲の抵抗があっても変更する判断の正しさを信じて意見を変えるのは勇気のいることです。
意見を変更する理由が(たとえ聞く側が感情的に納得できなくても)目的に合致しているならば、一貫性がないという批判をする方が頑迷で的外れです。
意見を変えることが出来なかった理由は目的を見失っていたから。
勝利は戦闘の過程であって戦争の目的ではありません。
最初は満州から始まったのに、チャイナ全土、東南アジア、インド、アメリカ、ニューギニア、オーストラリア
目的がどこなのかわかりません。
戦うこと(手段)自体が目的化していたのなら、止めることができないのは道理です。
戦後70年経って果たして体質は変わったのだろうか。
手段を目的にするところは変わっていない。
夏休みは図書館で昔の新聞を読もう!
それではまた。