「最善か無か」というダイムラーベンツ創業者 ゴットリープ・ダイムラーの言葉は最善でなければ、無に等しいという質実剛健、品質至上主義を顕す言葉でした。
冷戦終結後のグローバリゼーションの進行の前に、ダイムラーベンツも生き残りをかけてコストダウンによる販売拡大、利益率向上を進めました。
ゴットリープ・ダイムラーの言葉とは別に、
ドイツは最善と無を行き来している国だと思う。
プロイセン首相の座から普墺戦争(プロシア対オーストリア)に勝利して北ドイツ連邦を樹立し、普仏戦争(プロシア対フランス)の勝利で南ドイツ諸国を取り込んでドイツを統一した。
ドイツ帝国が樹立されドイツ帝国初代首相となったビスマルク。→ドイツ人にとって「最善」。
国王ヴィルヘルム2世と意見が合わずビスマルクは失脚。
ヴィルヘルム2世の下、第一次世界大戦に突入し敗北、領土を失い、莫大な賠償金を負った。
→ビスマルクの築いた体制は「無」に帰した。
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アウトバーンの建設等公共事業投資で失業対策を行いドイツを戦後からの経済復興に導き、オリンピック開催を成し遂げる。
オーストリアを併合しチェコスロバキアのズデーテン地方を勝ち取ったヒトラー。
→ドイツ人にとって「最善」。
ユダヤ人への迫害からジェノサイドへとエスカレート、ズデーテン地方に止まらずチェコスロバキア全土を占領しポーランドに侵攻し第二次世界大戦勃発、最後にはアメリカとソ連の挟み撃ちに合い国土は破壊され東西分割。→再び「無」に帰する。
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最高を目指したピエヒ指導下のフォルクスワーゲン
(参考文献:カーグラフィック 1998年8月号 ポルシェとピエヒ一族の性をたどる)
26歳になった1963年4月にポルシェの工場で勤め始めたが、その年の10月にエンジニア12人がポルシェを辞めてしまい、フェルディナント・ピエヒは初期型911の改良を任されることになる。
7年後の1970年ポルシェは念願のルマン優勝を成し遂げた。1971年も優勝して2年連続の快挙となった。
しかしフェリー・ポルシェ社長はピエヒのコストを度外視したやり方に批判的でピエヒの動きに神経質であったと伝えられている。
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1972年ピエヒはアウディに移籍。
それまで冴えなかったアウディは5気筒エンジン、ターボ、フルタイム4輪駆動クワトロ(1980年)、直噴ディーゼル、フラッシュサーフェス空力ボディ(1982年100)、フルジンク(全面防錆コーティング)ボディ(1986年80)と次々と新機軸を生み出す先進メーカーとなる。
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1988年アウディの社長になると取締役会で次のように述べたと伝えられている。
「あなたがたの15%は信頼しています。45%は信頼するよう努力するので、あなた方も努力して下さい。残りの40%については切り捨てざるを得ません」
(※本人にインタビューして言ったと言わない以上は関係者からの話として「伝えられている。」と表記するのは記事として真っ当なやり方です。本人に直接訊ける人はいないだろう。)
メルセデスベンツやBMWと真っ向から戦えるクルマを開発することがアウディにとって重要な課題と認識し、全従業員に叩き込む決意表明であった。
結果としてアウディは技術のみならず経済的にも力のある企業へと成長し、ピエヒは1993年フォルクスワーゲン・グループの会長となる。
フォルクスワーゲン・グループは急成長を遂げ2004年から2014年の10年間に500万台から1000万台へと倍増させた。
(トヨタの500万台から1000万台への進捗は1980年からバブル崩壊やリーマンショックと紆余曲折を経て35年かけて2014年に到達)
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ピエヒの厳しい指導はフォルクスワーゲン発展の原動力となったが、その一方で諸刃の剣となった。
最高を求めるピエヒに「出来ません」とは言えない空気が醸成された。
ピエヒが目の前にいなくても、ピエヒの薫陶を受けた第二世代もやり方を踏襲した。
人のやり方は見て踏襲できても、技術に潜む危険を察知する勘までは踏襲できるものではなかった。
ライヴァルを凌ぐ最高の性能を求められる。
一方からはコストダウンを求められる。(メルセデスベンツ、BMWはある程度のコストアップを容認された。)
板挟みになったエンジニアはハンドルを切れば、排ガス浄化装置をオフ「無」にするというデバイスをディーゼルエンジン排ガス浄化システムに組み込んだ。
微妙にグレーゾーンで対処するということができなかったのはドイツ人の不器用さ
ハンドル切れば浄化装置完全オフは非道いやり方だが分かり易くもある。
効果を調整したのなら当局との解釈・見解の相違について認識の確認、意見調整というグレーゾーン対応の可能性もあったのに、完全オフでは誰が判断してもクロになってしまう。
無理だからやめとこう とか寸止めとか テキトーが出来ない。
「最善」からテキトーを経ることなく「無」に帰する。
「最善」かと問われても「最善を尽くしています」としか答えられない。
結果はと問われて「ライヴァルを凌ぐパフォーマンスを実現しました」と答えなければ立場が危うくなる。
最初から必罰で臨むと発覚が遅れる。ミスと罪を区別する。罪になる前の段階で口を噤まず報告できる。
結果を求める一方でもしや最悪の事態を招く選択をしていないかと問いかける組織風土の形成が「無」に帰する事態を回避して信用回復に繋がると思った。
それではまた。
(文中敬称略)