前回の1986年~2015年 30年間の販売ランキングで浮き彫りになったことは日産の国内市場での凋落ぶりでした。
Nikoichiにとって高速道路で運転して緊張しなかった最初の国産車が日産の初代プリメーラ(1990年発売)でした。
1997年 銀座のショールームでなんじゃこりゃ と思った話。
日産ルネッサ
車名は「ルネッサンス」に掛けたもの。
とにかく床が高かった。後席に座るとフロアとヒップポイント(床と着座位置)との高低差が小さいので足を投げ出すか、体育座りをするしかなかった。
なんでこんなに床が不自然に高いのか。
もともと米国カリフォルニア州向けの電気自動車であるアルトラEVの副産物ともいえる車種でした。二重構造の高床は全て電池の搭載を考慮したものでした。
でもショールームの実車はガソリン車ですから無駄に床が高いだけ。
仮に電気自動車だとしても乗降性や快適性を犠牲にして容認されると思う?
試作車が完成した時点で、「なんだこれは」という役員はいなかったのだろうか。
生産販売に入ったら工場の設備投資や生産、広告、販売、在庫管理にまつわる経費が発生します。
開発して生産販売しなければ開発費が無駄になるから生産GO?
しかし発売を止めれば開発費の無駄以上に傷口は広がらない。
それを言えない空気に支配されていたのだろうか?
「発売当初は月に6,500台の販売目標を設定していたが、当初から月平均1,000台強と販売は低迷、1999年の時点では月数百台ペースに落ち込み、2000年以降それが深刻化して末期には月数十台ペースまでに落ち込んだ。
2001年7月 販売不振のため生産終了。総販売台数は約4万台。」
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さらにおそろしいことに、ルネッサをベースにしてミニバンが発売されました。
初代プレサージュです。
1998年6月23日にホンダ オデッセイの対抗車として発売されました。
ホンダで売れているからウチもやる。ウチのほうが販売店が多いから売れるはずだ。
だからって体育座りのミニバン買うか?と誰も突っ込まなかった?
どうせ真似をするなら、オデッセイがアコードのプラットフォームを使ったのなら、プレサージュはセフィーロのプラットフォームを使おうという話になってもよさそうなのに、ルネッサのプラットフォームが何故使われたのか?
ルネッサの販売が低迷しているから工場のラインが空いている。
ルネッサのプラットフォームの開発費を回収するためにルネッサベースでミニバンを作れば売れて回収できると思ったのか?
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2003年発売の 2代目のプレサージュではティアナ(セフィーロの後継車)をベースに開発されましたが、時すでに遅く、市場ではホンダとトヨタのミニバンが幅をきかせていて埋没しました。
他のメーカーだったら「ちょっと待て」となりそうな話が止まらない。
車に詳しくもなければ興味もない人たちが幅をきかせていたんじゃなかろうか。
大きな一流企業だから潰れるはずがない。と
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- 作者: カルロス・ゴーン,フィリップ・リエス
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2003/09/10
- メディア: 単行本
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カルロス・ゴーン 経営を語る
第11章
最初の診断-収益性志向の低さ
「その車が利益を上げるのか、それとも損失をもたらすのか、よく知らないままに車を売っていたのです。」
二つ目の診断 ユーザーを考慮に入れない発想
「この車はどういったユーザーを対象としたものか」
「どうしてユーザーはライバル会社のモデルではなく日産のモデルを買ってくれたのか」
といった問いに答えられない。
2003年に刊行された本書に理由の回答がありました。
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前回 日産の現況について以下のようにコメントしました。
※数字は国内での年間販売台数です。
※( )の中の数字は販売台数順位です。30位以内に入っていない場合はランク外と表記しています。
- 1300クラス
2000年→2005年→2010年→2015年
キューブ 85,836(8)→74,818(11)→54,406(15)→ランク外
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マーチ 62,902(15)→62,505(19)→49,193(17)→ランク外
=====
2005年→2010年→2015年
ノート 93,925(5)→66,347(10)→97,995(5)
2005年は3車種で約23万台の販売規模がありましたが2015年はノートの孤軍奮闘です。
ティーダを中国市場向けに大型化して国内販売を打ち切ったのは日本市場は縮小するという読みのもとに行われたのだと思う。
市場縮小以上に顧客の流出を伴うリスクも覚悟の上だったのか。
トヨタのようにコロナ→プリウス、クラウン→アルファード・ヴェルファイアという台数を稼ぐ代役を育てることが出来なかったことがトヨタとの差に表れています。
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代役が他社から発売されるという状況
クラウン(王冠)のライバルであったセドリック(小公子)/グロリア(栄光)は2004年フーガ(風雅)に統合されました。
8代目(1991~1995年 グロリアは9代目)はクラウンの販売不振もあってクラウンを上回りました。
スポーツ系のグランツーリスモは丸目4灯、ラグジャリー系のブロアムは角型2灯のヘッドライト と顔を変えたデザインを採用しました。
9代目(1995~1999年 グロリアは10代目)にも踏襲され、グランツーリスモは人気を博しました。
ホンダのカスタムやアブソルート、スズキのバンディットやスティングレーといったスポーツ系はノーマル系と違う顔にするのは今では当たり前ですが、その始めはセドリック/グロリアだったのです。
クラウンのアスリートは11代目(1999~2003年)でセドリック/グロリアのグランツーリスモに対抗して発売されたものです。
しかしフーガは海外でインフィニティブランドで販売される車です。
2000~3500クラスのセダンは
トヨタは国内にトヨタとレクサスがありますが、日産はインフィニティだけになりニッサンは廃盤にしたということです。
セドリック/グロリア グランツーリスモの後継車はクラウン アスリートなのです。
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プリメーラ 2005年国内販売終了
「欧州車と対等に渡り合える初の日本車として、欧州車から乗り換えるユーザーも見られた。」
「欧州市場でも、欧州カー・オブ・ザ・イヤーで日本車初の2位を獲得するなど、その評価は日本車としては異例なほど高かった」
「2007年ドイツでの販売を終了。翌2008年には生産・販売を完全に終了した。後継車はなく、日産ブランドは西欧のセダン市場とステーションワゴン市場から撤退することになった。」
3代目(2001年)で様変わりして既存のユーザーが離れました。
デザインは海外で高い評価を得ましたが、国内仕様はセダンの後席ヘッドレストやトランクスルーが廃止になるなど装備のはぎ取りでコストダウンが図られました。
プリメーラ・ロスになりました。
翌2002年 欧州車に対抗する走りのセダンの後釜はマツダから出ました。
初代アテンザです。
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ティーダはサニーの後継車でした。プラットホームはルノーと共同開発したものです。
2012年ノートに吸収されるかたちで販売終了となりました。
以後、タイからセダンのラティオを輸入しています。
- 1300、1500クラス
2005年→2010年→2015年の販売台数の推移
ティーダ(ラティオ含む) 98,069(4)→46,825(18)→ランク外
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エルグランド
トヨタのミニバン(グランビア、ハイエース・レジアス)は初代エルグランド(1997-2002年)の後塵を拝していました。
初代エルグランドは背が高くコワモテの面構えで、見下ろすポジションでした。
フランス式合理的思考では理解しがたい車だったのでしょう。重心が高いと。
今のエルグランドは合理的思考で重心を下げるためにドライビングポジションを下げました。
トヨタ ヴェルファイヤ(2008年発売)はコワモテの面構えで、見下ろすポジションです。
初代エルグランドの後継車は ヴェルファイヤです。
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スカイライン
1968―1985年 ハコスカ、ケンメリ、ジャパン、ニューマンと愛称で呼ばれました。販売ランキングTOP10の常連でした。
1985―2001年 日産はV6エンジンのVGエンジンと直列6気筒のRBエンジンという6気筒の2本立てをやっていました。
トヨタはFFはV6、FRは直列という棲み分けをしていました。
横置きにするFFでは直列6気筒は収まらないからです。
2003年ゼロクラウンの発売を機にFRもV6に一本化しました。
日産はFRでもV6と直6の2本立てという不思議なことをしていました。
セドリック/グロリア、フェアレディZという元祖日産系はV6、
スカイライン、ローレルという旧プリンス系は直6というまるで派閥みたいな仕分けでした。
他所の会社では無理な話です。
2001年 11代目スカイラインは V6をフロントミッドシップに搭載していました。
フロントミッドシップはマツダのスポーツカーRX-7の宣伝でよく聞いた台詞です。
それをセダンでやるか。
前輪とスカットル(エンジンルームとキャビンの隔壁)の間にエンジンが収まっている。
重量物が前輪と後輪の間に収まっている。
これはモデルチェンジを続けるうちにBMW3シリーズに対抗できる車になる。
そうはならなかった。どんどん大きくなって3シリーズと5シリーズの中間ですみたいな話になってしまった。
後継車はトヨタから出ました。
レクサスISとRCです。
それは違うんじゃないかって?サイズ感の話です。
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新機軸を生み出したのに価値に気付かないで変えてしまう。やめてしまう。
産み出した市場のポジションに他社が収まることの繰り返し。
早すぎた。みんなついていけなかった。良さがわかってきた。やめちゃった。出てきて。出てきた、トヨタから。
それではまた。