そうだったのか
(日本経済新聞2019年3月9日朝刊26面)
コラム「半歩遅れの読書術」風俗史家 井上 章一氏論評『「フランダースの犬」受容に見る国柄 「美しい悲話」は日本だけ?』 より抜粋
「貧困ゆえに、才能のある少年が、雪のふる路地をさまよい凍死する。そんな世の中でいいのかと読者に訴えかけていた。そしてベルギーでは、この非難がましさがいやがられたらしい。」
「アメリカでは、「フランダースの犬」が、何度も映画化されている。しかし多くの作品は、ものがたりの結末をめでたしめでたしにかえていた…」
しみったれた結末なんてゴメンだぜ、と言わんばかりに原作に忠実に ではなくUSA as №1 の意識で原作改変も厭わなかったのか。いかにもと言うか。
アンハッピーな結末にしたら客が入らない、次の仕事が入らなくなるからハッピーエンドにしなければならない。
2004年のブラジルの大学で日本文化論の講義をしていた筆者は「フランダースの犬」に言い及んだときに学生の反発を買ったという。
「どうして日本人はそんなむごい話を、子どもの前で語れるのか。一種の児童虐待じゃないか。」
「国民的に愛されているなんて信じがたい」と糾弾されたという。
神に 天に召される話だと思っていたけど、カトリック信者のブラジル人の学生たちは受け入れていなかった。
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受難 殉教の話だと思っていた
ウィーダ原作、ネロとパトラッシュが亡くなるシーンでは「ふたりにとって、それ以上生きるより、死ぬほうが救いだったのかもしれません。愛がむくわれず、信仰が実らないこの世から、死は、愛する人に忠実なパトラッシュをつれ去り、素朴に神と人を信じるネロをつれ去りました。」
主は連れ去ったんだ。これは受難、殉教の話だ。
可哀想だ、理不尽だ、酷い話だ、で済ませてはいけない。他宗教の信仰の話にケチをつけてはいけないと受け入れた。
と思っていたらキリスト教徒が受け入れていないという。
親の世代が受け入れていたら、子にも何らかの影響があるだろうが、学生たちの反応から親も受け入れてないか知らない、馴染みのない話なのだろう。
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日本人の作家が書いたらどうなるか
可哀想な日本人の少年が日本人の旦那にひどい仕打ちをされて、報われずに最後に死ぬ。
今だったら、ひどすぎる、かわいそう過ぎる と、出版社に抗議が殺到して出版停止に追い込まれ、作者のSNSが炎上したり脅迫状が送られてTVや新聞で表現の自由の特集が組まれる。
おしん が報われずに悲惨な最期を迎える。そんな話は受け入れられない。
そんな話にしていたらNHKに抗議が殺到していただろう。
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作者はイギリス人で舞台と登場人物はベルギー
日本人の作家が可哀想な韓国人の少年が韓国人の旦那にひどい仕打ちをされて、報われずに最後に死ぬ話を書いたり、
韓国人の作家が可哀想な日本人の少年が日本人の旦那にひどい仕打ちをされて、報われずに最後に死ぬ話を書いたりしたら、
「余計なお世話だ」と両国間で悶着の元になる。
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ベルギー人は寛容なのか
余計なお世話だよ、イギリス人の少年と旦那の話にしてくれよ。と抗議をしなかったのだろうか。
イギリス人以外のヨーロッパ人は 意地悪なバース・コジェはイギリス人だと思ってたりして。
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イギリスを舞台にしたらどうなった
作者はベルギーでインスピレーションを得てベルギーを舞台にしたが、イギリスを舞台にしたほうがよかったのではないか。
でもイギリス国内で反発されて残らなかったかもしれない。
そうしたら日本に渡らず日本で有名にならなかったかもしれない。
小説の運命のようなものを感じます。
それではまた。
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フランダースの犬 を フラダンスの犬 と言い替える
クラスメートに囁いたら鼻から牛乳を吹いた。
(おやじギャグをカマすガキだったんだね)
囁く相手は選ばなければいけない。傷つく相手にしてはいけない。
(nikoichiは給食の時間に牛乳を吹かされて傷つかなかったの?)
給食の時間が終わったら忘れていた。
(おバカだったんだね)
過去形にしてくれてありがとう。
囁く相手は選ばなければいけない
女子に囁くのはNG
鼻から牛乳を吹くという恥ずかしいことをさせてはいけない。
かっこいい系 かわいい系 女子に人気の男子にもしてはいけない。イメージを壊してはいけない。
ターゲットはギャグ担当認定男子です。
ドラえもん に例えれば 出来杉君にやってはいけない。ターゲットは のび太 と スネ夫 です。
(ジャイアンは?)
学校中を走り回って逃げて、昼休みが終って、教室に戻って先生にようやく制止されて原因者として廊下に立たされるリスクがある。
(物語の受容の話が鼻から牛乳になるとは思わなかったよ)
いつも最初に結末を決めないで書き始めてるもので。
(それではまた)
別例
(それはあんたでしょ。裸の王様を 裸の王子様)
腐女子ですか。
(それではまた)
取られた。