ユダヤ人をガス室に送ったアイヒマンはユダヤ人を憎んでいなかった
ナチス親衛隊(SS)の中佐 アドルフ・アイヒマンは第二次大戦中に多くのユダヤ人を強制収容所に移送しガス室に送りました。
収容所で殺されたユダヤ人は数百万人に及ぶといわれています。
戦後 アルゼンチンに潜伏していましたが、1960年5月 イスラエルの諜報機関モサドに見つけ出されて強制連行され翌年エルサレムの法廷で裁判が行われました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%B3#アイヒマン裁判
(この逮捕および強制的な出国については、イスラエル政府がアルゼンチン政府に対して犯人逮捕および正式な犯罪人引き渡し手続きを行ったものではなかったため、後にアルゼンチンはイスラエルに対して主権侵害だとして抗議している。)
アイヒマンの裁判は1961年4月11日に「人道に対する罪」、「ユダヤ人に対する犯罪」および「違法組織に所属していた犯罪」などの15の犯罪で起訴された。
裁判の中でヒトラーの「我が闘争」は読んだことはないと述べている。
アイヒマンという人物が小役人的な凡人という印象を与えるものであったことが、ふてぶてしい大悪人であると予想していた傍聴人を戸惑わせた。
裁判を通じてアイヒマンはドイツ政府によるユダヤ人迫害について「大変遺憾に思う」と述べたものの、自身の行為については「命令に従っただけ」だと主張した。
「狂的なユダヤ人憎悪や狂信的反ユダヤ主義の持ち主でも、何らかの思想教育の産物でもなかった。(個人としては)彼はユダヤ人に何ら含むとことはなかった」(ハンナ・アーレント エルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告)
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忠実に言われた通りにしただけ
良心の呵責も罪悪感もない、アイヒマンにとって誠実とはヒトラーの命令に従うことでした。
愚鈍なのか?
愚鈍であったなら、おぞましい話だが効率的に大量殺りくはできない。
愚鈍ではなくて悪い意味で愚直です。
頭はいい、命令に忠実、道徳とか良心とか悩みとかが入る余地がなかっただけ。
それはどんな命令でも従う服従力はあっても思考力はないということです。
なぜそうなるのか。
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東芝の「チャレンジ」は 悪い意味での愚直だった
日本を代表する超一流企業のひとつ、高学歴社員の集まりの東芝で信じられないような粉飾決算が「チャレンジ」の号令の下に行われた。
なぜそうなったのか。
どんな命令でも従う服従力はあっても、今やっていることがどんな結果をもたらすかに考えが及ばない思考停止(思考力の喪失)に陥っていた。
従順に見て見ぬふりをしていたら業績悪化で待遇悪化やリストラで報いを受ける。
それはまだましな方で、見て見ぬふりをしている自覚もない人を愚鈍とはいえない。
寧ろ会社のためにやっていると思っていた。
正直に決算発表したら大騒ぎになる。それでいいのかと良心の呵責で鬱やノイローゼにならないためには思考停止をするしかなかった。でもいつまでも続けられることではなかった。
誠実に服従しているだけだったりしたのではないか。アイヒマンのように。
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無批判に服従の連鎖
自分にけして逆らわず、自分の考えを忖度して先回りして行動し、ゴマをすってくれる愛い奴を引き上げる。
その繰り返しで上に意見できない組織の風土が出来上がります。
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後になるほど能力・効率はどんどん低下していく
目立った実績も能力もないので無批判に服従してゴマをするほかない、それで引き上げられた人にとっては近くにデキル人がいたら脅威です。
あら探しをして些細なミスをことさら厳しく叱責して将来有望な新人を潰しにかかります。
デキル上司がまかり間違って愛い奴を引き上げてしまうとチームが劣化していきます。
自浄力のある組織は人選を誤ったと撤回して修正しますが、そのまま事件になるまでずるずるといってしまう組織もある。
愛い奴がトップになったら茶坊主しか生き残れない。国だったら崩壊し、会社だったら株が投げ売りになります。
このような場合は足を引っ張るのも悪いこととは言い切れない。
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誰もが聖人君子ではないから
逆らう人は鬱陶しいと思うことはあっても、その一方でひたすらに従順な人はアイヒマンではないかと警戒した方がいいんじゃないか。
それではまた。