nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

戦争反対の民意が利用されて勃発した欧州発第二次世界大戦

 

指導者とは (文春学藝ライブラリー)

指導者とは (文春学藝ライブラリー)

 

 

 

素顔のリーダー―ナポレオンから東条英機まで (文春文庫)

素顔のリーダー―ナポレオンから東条英機まで (文春文庫)

 

 

後からなら何とでも言えます。英仏のナチスドイツに対する宥和政策がナチスの増長を招き未曾有の世界大戦に至ってしまったと。

第一次世界大戦で受けた甚大な損害の反動から国民は平和を求めていた、世論を受けて英仏政府は宥和政策を採ることに終始していました。

 

ヒトラーは、民族自決主義を主張し、ドイツ人居住地域のドイツへの併合を要求した。1938年3月オーストリア併合、続いてチェコ ズデーテン地方の併合も要求する。

 

1938年9月に開催されたミュンヘン会議でチェンバレン英首相とダラディエ仏首相は、ヒトラーの要求が最終的なものであるという言葉を信じて妥協した。チェコスロバキア政府の意向は英仏独に無視され、チェコスロバキアは解体され、ドイツはズデーテン地方を獲得しチェコ保護国とした。

 

《《ドイツの軍部は危惧を抱いた、伍長上がりの成り上がりが無茶をする。今ドイツは復興途上であり軍備も不十分である。英仏が強行姿勢をとって最悪の場合の軍事介入を招いたらドイツは2度と立ち上がれない。

 

ヒトラーは英仏の世論を読んでいた。英仏は強硬策をとることはできない。(世論を気にしているのは自国の政治家だけではない。外国の政治家も外交に利用する。)

 

軍部の危惧を他所に英仏の妥協によってチェコを手に入れたヒトラーは外交の名手としてドイツ国内で認知されることとなり政権基盤を強固にした。

英仏が強硬策に出ていたら、それ見たことか伍長上がりが と見下されてヒトラー降ろしが始まっただろう。スターリンにも相手にされず独ソ不可侵条約を締結することもならなかった。》》

 

ヒトラーの要求はこれにとどまらず、1939年3月にはヴェルサイユ条約第一次世界大戦戦勝国とドイツの間で締結された講和条約)によりポーランドに割譲された旧ドイツ領のダンツィヒ(住民の98%はドイツ人)の返還をポーランド政府に求めた。

 

ミュンヘン会談の合意を反故にされてようやく英仏はドイツとの対決姿勢をみせることになる。

 

1939年、ドイツはドイツ・ポーランド不可侵条約を破棄し、反共のナチス・ドイツとは相容れないソビエト連邦独ソ不可侵条約を締結した。

(ドイツとソ連ポーランドを割譲する密約を結んだ、ドイツとソ連の侵攻によりポーランドは大戦中、世界地図から消滅した)

 

ダンツィヒ返還を断固として拒否し続けるポーランド政府に対し、戦争の準備が整ったドイツは1939年9月1日ポーランドへの侵攻を開始した。

9月3日英仏両国はドイツへ宣戦布告、ここに第二次世界大戦が勃発した。

 

 

英国においてさえ好戦的と見られていたのは(ヒトラーではなく)チャーチルだった。

ヒトラーに対抗するため英国の軍備を増強し、民主主義国は団結すべし」

彼の警告は大げさで誇張が多すぎると悪評高く、相手にされなかった。

 

チェンバレンが(ヒトラーと妥協した)ミュンヘン会議から帰り「わが世代の平和」を確保したと宣言したときは喝采を受けた。

 

チャーチルが正しいことを世界が知るのは1939年のポーランド侵攻が起きてからであった。

チェンバレンは議会で辞職を勧められ、チャーチルが首相に就任した

フランスをはじめ欧州諸国は次々とドイツの軍門に下り、1941年のアメリカ参戦までイギリスは孤軍奮闘することとなった。

 

予防戦争は誰にも評価されない。

 

 

ヒトラーの野望を防ぐ最後の機会はミュンヘン会議でした。

ドイツが軍備を整える前に叩く。世論の支持を得ることはできません。まだやっていないのに酷い(やってからでは遅いという理屈は通らない)。

ドイツもフランスもイギリスの戦争の準備は整っていません。

何を持って整っていると言えるのか?

100%の準備を待って戦争を始める国はあるのか?

相手よりも有利と判断したときに始めるのではないか?

相手の準備が整うのを待ったりしない。

フランスがドイツの軍門に下ってからでは遅い。

ドイツの準備が整ってからでは遅い。

 

英独仏に犠牲者が出ます。マスコミに批判されます。歴史に悪名を残すことになるかもしれません。

局地戦を行うことによって大戦を防ぐことができたという事前の証明は不可能。

実際に大戦が起きたことによってしか警告者の正しさは誰の目にも見えるかたちで現れないのですから。

 

救いのない結論になってしまった。

救いの道は実はあったのです。

続きはまた。

 

今の日本は第二次世界前の英仏に似る。

 

最近の新聞や週刊誌の論調は今の風潮は第二次大戦前に似ているというものです。

確かに似ています。戦前の日本に ではありません。戦前の英仏に似ています。

 

 

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