戦争を行うのは人間です。国旗も国歌も人がつくったものです。
国旗と国歌が悪いという考えは、旗と歌への責任転嫁です。
むしろ国旗と国歌を変えることは戦争の歴史を思い起こす機会を奪うことになります。
歴史の忘却につながります。
国旗と国歌の変更に安易に同調することは別の旗の下で戦争に参加する道なのです。
今の学校現場には戦争を体験した先生はもういません。
Nikoichiの小中高時代は戦前世代の先生が現役で授業の余談で戦争中の話を聞くことが出来ました。
ソ連が崩壊する前なので、組合員の先生は社会主義の宣伝をしました。
平等社会だとか失業がないとかいいことずくめのようなことを言っていました。
生徒の側は反抗期の年頃なので人に言われたことを額面通りに受け取ることができませんでした。
また始まったよと混ぜ返したり、図書館で調べて情報交換して違和感を醸成することになったので、先生の意図とは別の意味で教育効果がありました。
情報を与えられても、遺伝子、家庭環境、短いながらも経験は様々で物事の捉え方は一律ではありません。
先生が言ったからといってそのままコピー&ペーストになるというものではありません。
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歌と旗を変えたら戦争がなくなるの?
中東やアフリカ、旧ソ連地域では別の旗の下で戦闘行為が行われているのが現実です。
現地の旗と介入する国の旗の下で戦いが行われています。
「日の丸は戦争の旗だからよくない」と言っても
「他の旗だったら戦争やっていいの?」と疑問を抱かれて反発されるだけです。
ニュースなんか見ていないんだろうと決めつけて無意識に見下していることを告白しているようなものです。
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反対を表現する場としての卒業式
スポーツの国際試合で日本が勝ったときに日の丸君が代反対とやったら サポーターに袋叩きにされかねません。
手荒なまねをされる心配のない場が学校の卒業式なのです。
魂胆を子供に見透かされて「大人ってズルイ」と思われるだけです。
卒業式の主役は生徒です。
今の先生の反対運動は先輩の真似をしているだけです。
戦争体験を語らない知らない先生が 卒業式で反対を表明しても、唐突感は否めません。
いきなり何?私たちの卒業式を壊さないで。
卒業式を先生の自己主張の場にされて怒りを覚えた卒業生と出席した父兄は左翼嫌いになり保守化します。
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本当に平和教育をしたいのなら社会科の教師になって歴史の授業で教えればいい。
Nikoichiは歴史の授業で教科書に記述のない余談として戦争の話を聴きました。
専攻した科目が違うから卒業式で自己主張をするのは我儘というものです。
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むしろ戦争責任をうやむやにする行為です。
そんなことをやって時間をつぶしている場合ではない。旗にかまっている時間があるなら背景や原因を調べろという話になります。
話を旗と歌に留めて延々と堂々巡りにしてしまおう。
総括できないことに一役買っています。
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日本の国歌がそんなに嫌なら
タイの国歌はどうでしょう。
いくさをも恐れず われらが国のため 命をささげん♪
中国はどうでしょう
敵の砲火をついて進め!
イギリスはどうでしょう。
God Save The Queen(神よ女王陛下を守り給え)
イタリアはどうでしょう
命をささげん 国のため♪
フランスはどうでしょう
あだなす敵をほふらん♪
どれも嫌ですって? 失礼でしょう。
それではまた。