新聞は戦時中を通して発行が続けられました。
新聞社は爆撃の目標から外されたからです。
新聞の発行を止めないために製紙工場やインクの工場も目標から外されました。
新聞関係のみならず、ラジオ局や丸の内や日比谷のオフィス街、霞が関の官庁街、国会のある永田町界隈も爆撃の目標から外されました。
終戦工作や占領統治に交渉相手は必要です。統治のために官庁は必要です。
占領政策を国民に知らせるためにメディアは必要です。
飛行場も潰さずに温存しました。
日本は燃料もパイロットも不足して迎撃機を満足に飛ばすことはできない。
戦後に米軍が使用するために飛行場も温存する。
昭和20年8月30日 60機からなる輸送機が先遣部隊として厚木基地に着陸しました。1000人を超える将兵や報道関係者がマッカーサー元帥の先陣として飛来しました。
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新聞は検閲を受けているとはいえ見え透いた嘘までは書けません。
爆撃で被害を受けているのに伝えないわけにはいきません。
それまで規制してしまったら国民は新聞をまったく信用しなくなります。
新聞を通じた政府の発表も信用しなくなります。
国民をコントロールできなくなってしまいます。
敵国の厭戦気分を醸成するためには敵国の新聞は必要です。
こちらに都合のよいことを書かないまでも、隠すことのできない事実を報道してくれるだけで十分です。
往生際が悪いと書かれようが、まだ戦えると書かれようがすべての人が額面通りに受けとる訳ではない。
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全国で天皇の玉音放送を聴くことができたのはラジオがあったから。
ラジオがなければ全国民が8月15日に終戦を知ることはできなかった。
新聞がなければGHQの占領政策を全国津々浦々まで知らせることはできない。
新聞もラジオもなければアメリカ軍が上陸したら、終戦の事実を知らない人たちが立ち向かって戦闘が終わらない。
終戦の事実が知れ渡っても、GHQが日本政府を通して政策を実行しようとしても、何か訳のわからないことをしていると思うだけ。
デマが飛び交ってデマが信じられて暴動が起きる。
情報源がデマだけ ということも起こり得る。
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占領統治をするためには相手国のマスコミが発達していることが条件になります。
アメリカは日本での占領政策はうまくいったのに、なぜアフガニスタンやイラクで失敗したのか。
アフガニスタンやイラクではマスコミやジャーナリズムが発達していなかったのも理由の一つです。
米軍や国連が何をやろうとしているのかよくわからない。
そんな不安にデマを流してつけいる。テロリストを養成する。さらなる混乱を引き起こす。
アフリカの紛争地帯で平和活動や難民救済にあたるスタッフが襲撃を受ける。
情報が伝わらず国連が何をしようとしているのかよくわからない。
そんな不安に武装勢力がつけいる。俺たちの縄張りに入って来るなと反攻する。
文字が読めない、義務教育が成立していない、マスコミが成立しない。
現地の言葉で伝える以外にコミュニケーションをとる手段がない。
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マスコミが発達していない地域での占領方法をまだアメリカは確立していなかった。
フセイン政権を倒した後の統治を検討する際にマスコミの未発達の件は考慮されなかったのだろうか。
戦いを始めることだけを考えてどこで終わらせるかを考えない。相手の降伏しか想定していないのは最悪。
相手をやっつけること自体を目的化しているということです。
目的が達成できるのならこれ以上犠牲を出してまで相手をやっつける必要はないという判断にならない。
父は寸止めしたが息子は寸止めできなかった。
イラクを日本のような友好国にしたかったのだろうか。
戦時中の新聞を読んで、アメリカの対日戦争と対イラク戦争の決定的な違いは勝った後の計画性にあると ふと思った。
それではまた。