悪気はなかったと言われるとイラッとするのはなぜなのか。
悪気はありませんでした。と言うと相手が余計に怒りだすのはなぜなのか。
悪気がなかった と言えるのは自分が何をしているのか気付かなかったから。
気付いたら 悪かった すまん と言う。
気付かなかったから仕方がない、だから許して(許せ)
悪気はなかった。悪気はないんだ。(だから自分は悪くない)
( )は相手の受け取り方です。
開き直りやがってと余計に相手を怒らせる。
それでも相手がどうして怒っているのかわからない。
怒りを表す相手でなかったら怒っていることにも気がつかない。
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悪気がなかった と言えるのは 自分はいつも正しい と無意識に思っているから。
自分が知らない間に 自分はいつも正しい と思っている。
自分がいつも正しいと思っているの? と思われていることに気がつかない。
口に出して指摘されると逆上する。
逆上すると 自分がいつも正しいと思っていることを相手方に証明することになる。
そんなことないんだって、やっぱり気が付いていないんだ。
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自分が正しいと信じる人たちに、国は滅亡に、国民は破滅寸前まで追い込まれた歴史があります。
悪いことをしてやろう なんて考えていなかった。
正しいと信じていた。悪気はなかった。
悪気がない人たちに殺されかけた。
悪気がない人=コワイ人 という教訓を得た。
倫理倫理と言っても 有権者が反応しないのはなぜなのか。
倫理倫理と言っている→悪気がない人→コワイ人
信用する気になれない。
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最低でも県外と言った。反古になった。悪気はなかった。
余計に怒りを買って紛糾することになった。ぬか喜びさせやがって。
平和のために忍耐と譲歩を重ねたら独裁者が図に乗った。悪気はなかった。
平和を願って譲歩したのに却って平和が脅かされることになった。
穏便に穏便に済ませましょう と言っても、もう言うことを聞かない。
今まで譲歩した奴らが悪いんだ、だから大ごとになった。もっと早く手をつけていたら、こんなことにならなかった、文句は譲歩した奴らに言え。と
悪事は短期間で終わらせなければならない。長期に亘って小さな悪事を続けると恨みを買うことになる。
悪気がない人は、そんな悪いことはできない と言って事態に流されて小さな悪事を長期に亘って続けることになる。 そして恨みを買うことになる。
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悪いことをやっている と思えば、どこまでやるか、どこで止めるか と考える。
正しいことをやっている と思えば、どこまでもやろう。と考える。歯止めが利かない。
よくない事をしているのに 正しいことをしている と信じていたら どこまでもよくないことを続けることになる。
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悪気がある人(悪人)は 戦争は悪でしかない。だから短期で終わらせなければならない。と一気に殲滅する。
悪気がない人は 戦争を 正義 とか 効率よく少ない予算と人員で とか 小よく大を制す とか言って戦力を逐次投入して各個撃破されて、味方の犠牲者を出して、また逐次投入して また味方の犠牲者を出してということを繰り返してしまう。
長期に亘って敵と味方の犠牲者が増えていく。
結果的に悪気のない 悪人 になってしまう。
悪気がある人もない人も悪人です。
悪気がない人は自分の悪に無自覚な人です。
自分の悪に無自覚ではいたくない。
それではまた。