(2018年6月12日朝日新聞夕刊1面)
「米朝首脳初会談」
トランプ氏の発言後、それを受けて
「正恩氏が「ここまでくるのは容易ではなかった。私たちの足をひっぱる過去があり、誤った偏見と慣行が私たちの目と耳をふさぐこともあったが、そのすべてを乗り越えてここまで来た。」」
“私たちの足をひっぱる過去があり” と言ったのか?
他人のせい、周辺国のせいにして、私たちの足をひっぱる策謀陰謀で目と耳をふさがれてきたといわんばかりの会談に水を差すような被害者意識の発言をこの場でするか?
本当に言ったのならトランプ氏が内心ムッとするのではないか。
通訳はどのようなニュアンスで伝えたのだろうか。
トランプ氏は「その通りだ」と応じたのだから違うニュアンスで伝えたのではないか。
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米朝政権の側近が前日までお膳立てをしてきたのに、そういう発言になるのか。
暴れん坊 わがまま のイメージそのまんま の発言だが この場でそれはないでしょ。
翻訳を読んで誰も えっ と思わなかったのだろうか。
それとも 言いそうだ ありえる と思ったのだろうか。
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「の」と「には」で印象は変わる
(日本経済新聞同日夕刊1面)
「米朝首脳 初会談」
「金正恩氏が「ここまでは簡単な道ではなかった」「我々には足を引っ張る過去があり、誤った偏見と慣行が時に目と耳をふさいできたが、あらゆることを乗り越えてこの場にたどり着いた」
“我々には足を引っ張る過去があり”
我々には… 米朝間の問題と内部の問題という意味になる。自分たち当事者同士の問題という意味になる。こちらの方が会談の場に相応しい発言ではないか。
通訳が伝えたニュアンスに近いのではないか。
首脳会談でなくても、会合で 他人のせい みたいな発言をする人がいたら、あなた何しに来たの?と敬遠したくなる。
「私たちの足をひっぱる過去」「我々には足を引っ張る過去があり」
「私たちの」「我々には」
「の」と「には」で受ける印象がまるで変わってしまう。
コワー 気をつけよう。
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備忘録として
94年の米朝枠組み合意や05年の六カ国協議の共同声明で非核化の合意を交わしたが、守らなかった。
2018年6月12日の米朝会談は非核化が進展をみたら「には」だった。非核化が進まなければ「の」だった。と振り返ることになるだろう。
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急いだ理由は邪魔が入るから?
急ぎ過ぎだ、準備不足だ、このまま会談を行っても具体的なプロセスまでは詰められない。と識者の危惧を尻目に会談を推し進めたのがトランプ流か。
お利口さん、評論家の意見なんてしゃらくさい と意に介さないトランプ流か。
先延ばしにして邪魔が入るのを危惧したのではないか。
入れ知恵されたり、中東、アフリカ、中南米、東シナ海、国内外、貿易問題、朝鮮半島以外でも不測の事態が起きて会談どころではなくなり、延期ではなく中止になるのを危惧して会うのを優先したのではないか。
準備万端でも流れたら意味がない、誰もが納得するような準備万端に持って行こうとしたらいつまで経っても始まらないと思ったのではないか。
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大統領が代わっても枠組みを維持できるか
合意や共同声明では緩い 本気度の目安は条約批准ではないか。
政権が代わったり、政権内部の力学の変化で合意がちゃぶ台返しにならないように、緩い共同声明や合意よりも、両氏が署名、両国が批准して双方を縛る条約が結ばれるかが本気度のバロメーターになる。
合意、共同声明で終わったら「の」だった。
条約が批准されたら「には」だった。と振り返ることになる。
それではまた
(6月12日UPLOAD)