悪かったと言って謝られたら、謝らせてやったと得意になって溜飲が下がるのか、悪いとわかっていてやったのかと余計に頭に来るのか。
正しいと思ってやったのに負けたから悪かったと言うのは奴隷根性ではないか。
負け=悪ではない、時の運がなかった、運が悪ければ立場が逆になっていたかもしれない。卑屈になる必要はない。悪かったなんて言ってほしくない。
こちらだって悪かったなんて言わない、だから相手に要求しない。
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悪かった の裏には何があるのか
人は自分が一等正しいと思っているものではないか、悪かった と言った時点で嘘吐きではないか。最初は正しいと信じてやったのに負けたからといって宗旨変えすることは要求しない。
悪かった と言うぐらいなら最初からやらなければいい。
謝罪の言葉は ごめん、許して、申し訳ない、ごめんなさい、申し訳ございません、お詫び申し上げます。と重くなっていく。
”でも” とか ”もしも” とか ”仮に” とか ”そんふうに思っていたなんて” とか付け加えられると 要するに自分が正しいと言いたいんでしょ、別にいいけど、自分が正しいと思っているなら結構、nikoichiはめんどくさいから付け加えないけど。
付け加えると言い訳と受け取る人もいる。
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悪かった って軽い
頼み事をするときに 悪いね― と言います。
悪かった って小賢しい、上から目線
人は許してほしいから謝るのではないか、御免なさいは許しの要求になる。悪かったは許しを要求してないから下手に出ている。許すも許さないもあなた次第です。
それって、許されなくても構いません、許して下さいなんておこがましいことは考えていません。
相手の腹を読んでいるようで小賢しいではないか、下手に出ていて上から目線ではないか。
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謝ればいいってもんじゃない
約束通りに、契約通りにしていただければ結構、謝ってうやむやにされても困ります。
同情するなら金をくれ というドラマがあったけど、詐欺の被害者は謝るなら全額返せ、事故の被害者は謝るなら元の生活を返せ。
謝罪は付随行為で要件は補償だが、空気を読む社会では謝罪がメインになりがち。
まず謝ることが前提になる。心からの詫びを求めたところで相手の腹の底はわからない、自分がどう受け取ったかの問題になる。
求めるのか、求めても仕方がないと思うのか。
期待するのか、期待しても仕方がないと思うのか。
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スポーツの試合ではありえない
負けた側が悪かったと言って謝れば ワザと反則をやったのか、ということになります。
悪役レスラーがフォールされて悪かったと言って謝れば、観客はシラけて、フザケルナ!悪くていいんだよとブーイングになる。
(脱線警報が発令されました。)
反則の指示をするカントクのチームの選手と親はカントクのドレイ
勝ちさえすれば何をやってもいい。
相手の選手をつぶさなければ、反則をやらなければ試合に出さない。
選手を奴隷扱いしています。
反則やラフプレーを指示するカントクの下で我が子を試合に出してもらいたがる親もカントクのドレイです。
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何をやってもかまわない、ノルマを達成するために老人を騙す、数字を操作する、加担する
そんな社会人になるために、するために、スポーツをしてきたわけでは、させてきたわけではない。
スポーツはフェアプレー、ビジネスはフェアトレードです。
社会人になったらフェアプレーなんて忘れろ、それは地獄の門の入口です。
関係者が、犠牲者が、増えていったら隠し通すことはできない。
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自由なのか奴隷なのか
いじめや不正に気が進まないのに加担するのは心が主導者の奴隷です。
心が自由な人が増えたら相手にされないので、主導者は主導者ではいられなくなります。
気が進む、何も感じない のなら優しさがないのです。
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない。」(レイモンド・チャンドラー)
優しさは人間であることの証です。
自由>心が奴隷A(気が咎める)>主導者>心が奴隷B(何も感じない)
奴隷Bだけはゴメンです。
それではまた。