バラエティーはバラエティーです。ノンフィクションやドキュメンタリーではありません
(そんなの当り前だ―)
バラエティは薄口のフィクション、ドラマは濃口のフィクションだと思っている。
バラエティには構成作家がいます。やらせに決まっているじゃん。
☆★☆
かつては抗議する方が笑い者になった
前人未踏の地に入る芸能人の探検隊の正面をカメラが捉える。
前人未踏の地に先にカメラマンと照明さんが入っているということです。
新聞のTV欄に 初潜入とか 書いてあったって前人未踏の訳がありません。
子供でもわかる理屈でゲラゲラ笑いながら観たものでした。
後日の新聞にTV局に抗議した人の記事が出て、子供でも抗議した人を笑いました。
「ホントだと思ってたんだ バカみたい」
☆★☆
謝罪をするTV局は滑稽
やらせだ と言われても、バラエティーですから、ドキュメンタリーやノンフィクションではありませんから 以上。
報道やドキュメンタリーやノンフィクションと銘打って やらせ をやったら噴飯物ですが、元々やらせ が前提のバラエティで やらせ を指摘されてビビる必要があるのか。
炎上を怖れるあまり なんでも謝罪してればいいと思っているんじゃないか。
ドラマ、バラエティーは本来やらせ、報道、ドキュメンタリー、ノンフィクションでやらせはNG、そういう区別ができていないんじゃないかと却って疑われる。
☆★☆
ネタにもならないことをネタにされてるだけ
ドラマはやらせだ と言われたら “当り前じゃん、何騒いでるの” で終わりです。
バラエティーはやらせだ が “当り前じゃん” で終わらない。
子供でも分かったことが、大人が状況を見て判断できない、テロップで懇切丁寧に説明されないとわからない。一字一句説明されないとわからない。大宅壮一が予言した 一億総白痴化が現実になったのか。
バラエティーはやらせだ と記事になったら 何をボケてるんだ で終らずに一緒になって騒いで叩く。
本来ネタにもならないことがネタになってしまう。
☆★☆
バラエティに真実の感動を求めるのは ないものねだり
真実に感動を求めるならノンフィクションを視ればいい、バラエティで真実に感動できないと文句を言うのは ないものねだり というものです。
スタッフは番組を盛り上げようとして、感動風味にするのだろうけど、そこに やらせ が入っていたからって抗議するのは余裕無さ過ぎでしょ。ノンフィクションではなくてバラエティなんだから。
それではまた。
☆★☆
芸能人が反社と一緒に写真に写ることを防ぐ手段はあるのか
芸能人が反社とされる組織の構成員と一緒に写った写真が出て“黒い交際”と報道される。
芸能人は人気商売だ。ファンです、一緒に写真を撮らせてください。と言い寄ってくる人を無下に断れるのか。
☆★☆
言い寄って来る人が反社かそうでないか区別する方法はあるのか
区別をしようとしたら、全芸能人が毎年発行される全反社構成員写真年鑑を必携にして、マネージャーが四六時中張り付いて寄って来る人の顔を全反社構成員写真年鑑の全頁を参照して同じ顔がないかチェックする。
(そんな写真年鑑あるわけないだろ―、あったら全員の顔が警察に知れて、全国の警察署の必需品になる。それを全芸能人が持ち歩くってか、アリエネー。)
(そんな写真年鑑を作ったら反社による警察へのサービスになっちゃうじゃない。つくるわけないじゃない。内部の人間が作ろうとしたら裏切り者、外部の人間が作ろうとしたら狙われるよ)
(事務所は全芸能人に張り付けるマネージャーを用意しなければならなくなる。マネージャー不足とかがネタになったりして。)
(マネージャーが足りないから全芸能人は団体行動厳守になったりして、濃すぎるっ。)
(年鑑ってどういうこと?)
逮捕されたり、足を洗ったり、構成員が一定ということは考えにくいので改訂が必要になる。
芸能人はプライベートの時間も四六時中マネージャーに張り付かれて、ファンはマネージャーが反社年鑑全頁をチェックし終わるまで近づけない。
全芸能人にファンが近づけない状態がデフォルトになる。
一緒に写っていたら即クロ判定って、実際に防ぐ方法があるのかということは考慮されていない。
だからドヤ顔で叩く方に加担する気にはなれない。
☆★☆
有名人、芸能人を叩くと却って反社を利する
一緒に写った写真が出回ると有名人・芸能人は叩かれます。ということは利用されるのではないか。
「一緒に写った写真が出回ったら困るだろ」とゆすられるのではないか。
清く正しいことをしたつもりになって、反社に加担することになりかねない。