nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

美本かスピードか

通販か書店かは目的によって使いわけている

 

通販のサイトで傷んだ本が届いたというレビューを目にすることがある。

通販の倉庫現場ではコスト管理、効率の追求で、搬入、棚入れ、ピッキング、梱包の過程でスピードが要求されていることは想像に難くない。

丁寧に速くと言われても、そうそういつでも誰でも満遍なく完璧にできるというものでもないだろう。

過程で本を傷めたり、傷んでない本を選んでる時間もなく、傷んだ本が出荷されることはあるのだろう。

単行本ではまずないが、雑誌では表紙がくたびれた本が届くことがあるが破れたりとか論外なものが届くことはないからコレクションが目的ではないし読むのには差し支えなければ別に気にしない。

それは想定の範囲内だ。

だから雑誌を購入した際に美本でないからといって交換を求めたりしない。そもそも連絡して返品するのも面倒だしエネルギーを使いたくない。

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美本(コレクション目的)を求める場合は書店→取次→出版社

 

ネット通販のない時代は書店に在庫がない本を入手するにはこの方法しかなかった。

2週間かかったが文句も言えず待つしかないのんびりした時代でした。

 

待望のバックナンバーを入手した後の最新号にバックナンバーガイドが掲載されていたのは、もしかして注文した後で出版社内で在庫の整理や棚入れが行われたのだろうかと思った。

当時子供だったnikoichは出版社に在庫があるかないかは全く考えずに書店に注文したら、取次経由で注文を受けた出版社が、古いバックナンバーの注文を受けたことがなくて、誠実に倉庫の中を探しつつ、各号毎に整頓して棚入れして在庫数を把握したのだろうか。

(知らないってこわいね。)

(知らないままにやると何かが始まるんだね。)

(棚卸し資産の把握はどうなっていたんだろう。税務署はうるさくなかったのかな。)

Amazonの上陸で危機感をもったのか、最近は書店で注文して一週間で手に入るようになったが、出版社まで辿らずに取次や系列の他の店にあった在庫かもしれない。

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美本とスピードの両方を求めるなら出版社の通販サイト

 

最近は出版社のホームページに通販のコーナーが設けられて注文が出来るようになり、Amazon楽天慣れで送料を負担したくないからと一定金額以上で注文するのが習い性になっている。まとめ買いをしたくないなら書店で発売時期や在庫がある間に買うしかない。

 

社の名に懸けて傷んだ本が届くことはないし、現場も通販会社みたいな戦場(想像)ではないのだろうから傷んでない本が届いている。一定金額以上の買い物をするためには、その出版社に欲しい本が複数あることが条件になるが。

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平積みの真ん中から抜くという習慣

 

平積みの一番上は誰かが読んだ本だから中から抜きつつ表裏の表紙の表面のみならずめくって間のページもチェックしてレジに行く様はよく見る光景です。

 

在庫が少なくなってくると選択の余地はなくなり、さんざん立ち読みされたのが最後の一冊になる。

それを返品されても出版社も困るだろう。

裁断リサイクルにまわされてしまうのだろうか。

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だからといってディスカウントを認めるとどうなるか

 

価格競争が始まって、大手がライバルを出し抜こうと安売りを初めて街の本屋は壊滅、販売予測が立て易いベストセラーばかりが陳列されて類を見ない多様性がなくなる。本の世界はジャングルどころではない、宇宙であり海であり山であり草原であり森林であり都会であり田舎であり町であり工場であり森羅万象を扱う事業は他にない。多様性では片付けられない世界が失われて文化の砂漠になるおそれがある。

ベストセラーばかりが陳列されるようになったら専門書は書店に在庫ができなくなり部数も少なくなるため価格が高騰して庶民の手に入らないセレブや特権階級しか目にできないものになり、専門書を目にできない庶民の子供は上の階層に行く機会が摘まれて社会の階層が固定された身分制になる。

 

価格の自由が必ずしも正義や平等に結び付くとは限らない。

価格の自由化はあくまでも手段であって最終目的ではない。

目的に叶わないことをしてしまうのは手段と目的を取り違えるからです。

 

それではまた。

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電子書籍なら上記の話は当てはまらない?

 

美本も傷本も関係ない、お前の端末が傷んでるだけだろ!という話になります。

倉庫業務や配送といった物流コストが発生しないので下げた価格で著作者、出版社、ネット配信のプラットホーマーでどう配分するかの話になり、配送業者や街の本屋の出番はなくなります。

インフラ障害が起きたら読めないとか、そんないつ起きるかわからないことで文句をつけて手を付けないのは訳わからないとか、どっちもどっちで目的によって使い分ければいいこと。

 

読んだら資源リサイクルに出す本や電子書籍版しかない本(出版社が紙で出すことを躊躇したのかな、それなら低リスクで新人がデビューできる。)は電子版で買うし、手元に置きたい本は紙で買う。

 

手元に置いて愛でたいとか(フェチか、何が載ってるんだ。)それぞれの事情で使いわけていいことだと思うし、出す側の事情としてネットでさらすことができない学術的価値や機微情報や記述がある場合は紙の本の需要も残る。

電子版と紙の本の比率で価格に影響が出てくるのだろう。