コロナを脱して早く日常に戻りたい と言います。
以前の日常がつらかった人にとっては戻ることがいいことなのか と疑問を呈されます。
いじめやハラスメントを受けていた人にとっては以前の日常だってつらい、無理をしなくていい、逃げていい、という意見もあります。
それには疑義があります。
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いじめる側がのさばって、なぜ、いじめられる側が逃げなければならないのか
逃げていい ということは、いじめる側はそのままのさばっていい ということです。
いじめる側を排除するのではなく、いじめられる側が逃げればいいというのは傍観者の事なかれ主義ではないか。
(無理に行かせて自殺したらどうするんだー)
空き巣がのさばって空き巣の被害者が引っ越すみたいな違和感がある。
いじめられる側が逃げた後でまた別のターゲットがやられたら現場にとっては解決にならない。
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上級生にいじめられても親は学校に言わないで相手に倍にしてやり返せと無茶ぶり
学校から呼ばれることはあっても学校に言いに行くことはなかった。
倍はできず、等倍がせいぜいだった。
そのせいか社会人になっても仕返しに余念がなかったが後味がよくないからお勧めはできない。
(倍にしてやり返せはスポーツや勉強で負けず嫌いになってほしい場合にかける言葉で、ひねた小学生のあんたには難しくてわからなかったんだね。いじめじゃなくて、相手側はからかいやチョッカイのつもりだったんじゃないの。)
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引きこもりになったら何にもならない
(発信できるオンライン巣籠もりと鬱の引きこもりは違う)
直接対決ばかりは能がない、話合いで通じる相手ばかりではない、でも嫌な相手がいるのは学校だけではない、社会に出ても必ず嫌な相手に出会う、いい人としか出会わないということは奇跡でしかない。
みんないい人ばかりですねって不感症か。
いい人と都合のいい人を混同していないか。
自分に何もしなくても他の人にしてるのはいい人とは思わない。
何事も自分次第で動じないことですとか、自分次第で相手が変わります。そんな聖人仙人人格者に誰でもなれるわけがない。
藁をも掴む思いで霊感商法に引っ掛かるといった、人の不運にたかる輩もいます。
自然が美しさと恵みをもたらす一方で災害といった脅威をもたらすのと同様に、自然の産物である人間がつくる社会にも美もあれば醜もあります。
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逃げた先にもっと嫌なことがある場合もある
逃げ癖がつくと次は逃げるハードルが段々下がって些細なことでも逃げるようになり、誰も気にしないようなことでも面倒になって簡単に仕事を辞めるようになって、別の世界に行くのではなく引きこもりになってしまう人もいる。
箸が転んでも可笑しい年頃 という言葉があるけど、箸が転んだらやっていられませんとばかりに辞めてしまう。えーどんだけー。
若い人とは限らない、いい年した人でもいる。前の○○では○長だった、前の○○では成績優秀だった。
だったら前の○○が歓迎してくれるだろうから戻れば。
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周囲に助けを求めるのとあてにするのは違う
全部自分で抱え込むことはない、周囲に助けを求めてもいい。
だからと言って本来丸投げするようなことではないし、100%解決することを期待したら必ず裏切られるぐらいに思った方がいい。そんな完璧な人ばかりがいるわけがない。
助けてくれるだけで御の字。
うまくいったら宝くじに当たったぐらいに思えばがっかりすることはない。
(じゃあ、あんた毎日お祭りだね。)
それではまた。