ローレンス・サマーズ博士…クリントン政権時代の財務長官、オバマ政権の国家経済会議委員長、20代の史上最年少でハーバードの教授に就任した経歴の持ち主。
HBS(ハーバード・ビジネス・スクール)の大講堂で博士が日本経済の抱える根本的なシステム上の問題について持論を展開した際の著者の質問の記述を読んで、違和感を持った。
(違和感を覚える、違和感を感じる、違和感を持つ、どれもOKです。違和感を感じるは頭痛が痛いみたいで美しくないけど)
「日本経済が失われた15年(当時)からどう立ち直れるのか、処方箋としてのあなたの考えを聞かせてください。今日のスピーチは印象深かったが、解決策が提示されていなかったように思います。解決策としてのアイデアを聞かせてください」
著者の指摘はさらっと流されたという。
そりゃそうでしょ。
平たく言うと、先生答えを教えてくださいって日本の学校じゃないのに、郷に入れば郷に従えと言うのに、場違いではないのかと思った。
※nikoichiはハーバードは勿論、海外留学の経験はないので、あくまでも想像です。
(そんなこと断らなくても誰も思わないから。)
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日本経済へのダメ出しを滔々と述べた後の最初の質問者が日本人。これは期待できる。
それなのに 先生答えを教えてください。って。
まさかここで文化ギャップにお目にかかるとは思わなかった。
それはあなたが解決策を考えて答える番でしょ、日本人なんだからと博士は思ったんじゃなかろうか。
ダメ出しをした、つまりヒントを出した。それに対する自分の解決策を述べて、それに教授が意見を述べたりダメ出しをして、他の出席者からも質問や意見が出て議論が活発化する。講義が活性化して有意義なものになる。
それなのに 先生答えを教えてください。って。
日本式に言うなら空気を読んでください。
ゴールドマンサックスという社会経験があるのに、日本の小中高で受けた日本教育の地が出てしまったのだろうか。それが原因でコミュニケーションギャップが生じたのだろうか。
失われた15年(当時)は事実だから事実に対しては反論できない。なるほど!おっしゃるとおり!いいね!では議論にならない。
日本はどうしてそうなったのか。という逆質問に政治経済歴史について問われた際の教養が問われる。
規制緩和が進まない理由、既得権益や社会構造、それを育んだ歴史や教育システム、選挙制度を含む政治システム。
その答えは著者が日本での所謂一般的な就職のレールに乗らずにゴールドマンサックスに入社しHBSでの講義を受ける選択をした理由の中にあったのではないか。
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極端な話、教授の模範解答は不要
答えとは練り上げられるものです。
質問によって講義の受講者が考えるモードになり、解決策を考えるチームになる。
教授のダメ出しとは問いかけです。それに対する答えは受講者が出し、博士がそれに対する見解を述べ、他の受講者がさらに意見を述べて答えが練り上げられていく、正解であるかないかは経済は実社会の問題だから政府や中央銀行や各公的機関、企業の活動経過によって証明されて、経過がよくないと判断されれば修正されたりするものです。
正解は先生が知っているという単純なものではなく、ゴールドマンサックスという実社会における経歴があるのに、(マッキンゼーはHBS卒業後)その経験を踏まえた考えを披露されることが期待されるのに、そこに博士や他の出席者の意見で議論が練り上げられたらどんなに日本経済にとって有意義な講義になったのかと思うと残念。
それで価値が上がって本が厚くなって価格が上がってもいい。
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英語でしっかり反論できないことにもどかしさを感じたことが記述されています。嗚呼日本人
世界中の世論は結局英語で論じられた主張で形成される。日本語でいくら意見を発しても誰も聞いてくれないと。
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英語力の不足とは語彙力の不足のことであろう
英語力とはTOICの点数といった話ではなく、まずは経済について日本語で主張すべき内容があり、それを表現する語彙力が求められる。つまり流暢に会話をすることを指すのではなく、会話の中身、内容のある話でないと相手にされない。日本語で言うべき内容があるか、それを英語で話せるか、今は翻訳ソフトがあるが、その翻訳が相手に伝わるのか検証できるか、という意味ではないか。
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人の意見は最終回答ではない
完璧でないと笑われる。日本人、ゴールドマンサックス、ハーバードという組み合わせが完璧主義に拘りを生んだのだろうか。
他の国の留学生も同じとは思えない。
既に結論が出ていても、拙くても、隙あらば結論を変えようとしつこく抗うことは畏れ多くてできない生真面目さが窺えます。
評価に響く、恥をかく。そのことをどの程度気にするのか、それを一番気にするのが日本人ではないか。
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本は突っ込みながら読むもの
なるほど、納得、だけではなく、そうかな、こっちの方が良くね、と突っ込みながら読んだ方が得るものがあると思う。
突っ込んでみたら日本人論に行きついてしまった。
(もう結論は出ている!しつこいぞ!いい加減にしてくれ!と嫌がられるあんたは日本人らしくない?)
潔いとあきらめは違う。
日本の社会では引いた方が有利という場合もある。損して得取るという言葉もある。
義理人情の話で、それがない相手に引いたら後がない。
国際社会では引いた方が有利なのか、損なのか、しつこく結論を変える画策をするのが有利なのか不利なのか、譲れない一線に追い込まれる前に先手を打っていくことだと思う。
それではまた。