自由が苦痛という病
自分で考えることが苦痛、自分で責任を取ることが苦痛、誰かが全部決めてくれればいいのに。
自分で決めたことではないから自分は悪くない。
結果がよくなければ政治が悪いと文句を言っていればいい。
独裁を望む心です。
そんなことは一言も言っていないと抗弁してもそんなつもりは毛頭なくても実際の行動で支持してしまっています。
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でも独裁者は責任を取ってくれません
独裁者の責任云々を言う人は逮捕すればいいからです。
自分で何もしたくないなら唯々諾々と従うか、内紛や内乱で誰かが倒してくれるのをひたすら待つのみになります。或いは外国の介入かもしれません。
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もっと悪くなるかもしれない
独裁者が倒れたから万々歳になるとは限らない。もっと強権的な政権になり前の方がまだマシだった。
共通の価値観を持たない外国の力で解放されて喜ぶのも束の間で、解放という名の囲い込みで文化・思想を押しつけられたり、古来の文化を禁止されたり、名ばかり解放で実態は支配の象徴として傀儡政権が発足します。
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警察と軍の掌握は必須
たとえ選挙のある国でも、支持を失っても話し合いに応じないで権力の座にしがみついていると次期権力者がしがみついているのは憲法違反だと警察や軍を突入させて引きずり下ろします。
選挙のない国では次期権力者と目される人が警察や軍を掌握すると引きずり下ろしにかかります。
或いは暴徒と化した民衆から守ってくれるのは警察や軍ですが、掌握してなければ守ってくれず、民衆に引きずり出されて私刑(リンチ)に遭います。
なので、掌握するために警察や軍を厚遇するように予算が配分され組織が肥大化し、軍事費も増大しがちです。
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この程度の国民にはこの程度の政治ですよ(秦野章 元警視総監 元法務大臣(第一次中曽根内閣))
べらんめえ調のもの言いで物議を醸したが本質を突いていると思った。
穏当な表現としては、
「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しか持ち得ない。」(松下幸之助)
何が正しいのか、何が国民全体の利益に叶うのか、家庭でも学校でも見極める目を育てる教育が必要だと訴えました。
選択を誤ると自分の生活に帰ってくる。
そんなつもりは無くても政治に無関心は自分の生活に無関心につながる。
無関心を強制されるのが独裁制です。
(同調や称賛だけで批判が全くないのは関心があるとはいいません)
「国家の価値は、結局国家を組織する人民の価値である。」J・S・MILL(イギリスの哲学者)
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日々の些事は小骨を取るようなこと
自分が無関心であっても自分のことは覚えておいてほしい、寄り添ってほしい。と願っても無関心は自分の生活に帰ってくる。
手続きが面倒、根回しが面倒、確認するのが面倒、責任の所在を明らかにするのが面倒、よきに計らってほしい、上げ膳据え膳であるべきだ、何でも簡単、シンプルが正義だ。
それはあまりにも味気ない世の中を望んでいます。
例えて言うなら骨無しの肉魚ばかりを食べるようなものです。
(唐突な飛躍だね)
骨無しの肉魚は骨付き肉魚に較べて味が足りない。
(味わいのない人生になるってこと?)
外食では骨付きのメニューがあるなら骨付きを選びます。
煮たり焼いたり蒸したり揚げたときに骨のエキスの旨味が出ます。
骨なしばかりを食べていたら素材の本当の美味しさを知らないままで終わります。
日々の些事とは小骨を外すようなことです。
簡単だけを推し進めるとは味わいのない生活です。
喜怒哀楽も失意も達成感もない、ひたすら簡単だけを追い求めて頭を使うことを忌避しているとボケてしまいます。
面倒なことが起きたら、魚の小骨です。外しながら食べたら美味しそうと思うことにしています。
でないとやってられません。
(でしょー)
(いや、困らせてやっているのにニコニコされたら相手方は気持ち悪い、何を考えているんだと思うよ)
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面倒だから何でも決めてほしい とは独裁を求める心です
でも独裁社会は独裁者のお気に召さなければ工夫を否定されて、骨無しの肉魚の味しか知らない世の中です。
それではまた。