中学に行けない生徒は国民学校の高等科で2年学んでから就職というのが、当時の一般的な進路だったので、その道に進んだ。
勉強をしないガキ大将で中学受験に落ちて、昭和19(1944)年暮れ、風邪を引き、寝込んでいたが、咳が止まらないので医者に診て貰うと、なんと結核の初期症状の肺浸潤であった。
当時は結核は死に直結する病で、一般的には「安静にして、十分栄養を」とは言うものの戦争末期で食糧難の最中では栄養補給もままならなかった。
年があけて昭和20年、小学校の担任だった土井先生が空襲の中を家まで訪ねてきた。
何事かといぶかる両親に、土井先生は
「和夫君をどうしても中学校に入れてやってください」と頼んだ。
願書まで提出してくれていた。
試験当日は、防空頭巾をかぶって、
「和夫君を借りていきます」と、熱の残る手を引いて、
名門鹿児島一中の試験会場まで連れていってくれた。
しかし、そんな体調では受かるはずもなく、二度目の受験も不合格。
稲盛少年は「もう中学校にいくのはあきらめよう」と思った。
しかし、土井先生はまた家にやってきて「鹿児島一中は受からなかったけど、鹿児島中学という私立校がある。何としても中学校に行きなさい」。
両親も「この子は病気ですから、中学校には行かせないつもりです」
本人も結核を患い、空襲が続き、死を意識していたので進学を諦めていた。
それでも、先生は願書を出してくれていて、「受付は終わっているから、必ず試験に行くように」と引かない。
(願書を出してくれていたということは先生が受験料を払ったんだ。立て替えで後から親が払ったのかな。)
稲盛少年は鹿児島中学を受験し、何とか合格できた。
土井先生が願書を出してまで進学を勧めてくれなければ、間違いなく稲盛少年は国民学校高等科卒で就職して京セラ、KDDIの創業、JALの再建に携わることはなかった。
(小学校の担任の勧めで中学に進学していなかったらこの後の中学高校大学の恩師との出会いもなかったね。)
(勉強もしないガキ大将に先生は何を見出していたんだろう、フツーに考えたら成績のいい子を推すと考えられるのに。地頭のよさとリーダーシップを見抜いて可能性に賭けたのかな。そんな先生との出会いは運命だったんだね。)
(その時、両親と本入が固辞していたら運命の扉は閉じたんだね、頑なに断らなかった両親にも感謝だね。)
………
小学校時代の同窓会に顔を出しますと、小学校を卒業し、市バスやタクシーの運転手になった同級生や、実家の食堂を継いだという同級生に出会い、
昔話に花が咲くことがあります。
私も田舎でそのような人生を送っても、
なんらおかしくなかったのです。
今日(こんにち)があるのは、土井先生のおかげだと強く思い、今も心から感謝しています(成功の要諦 致知出版社,p210)
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大学進学を勧めた担任教師
旧制中学に進学したが、敗戦により戦後は学校制度の変更により新制高校に進んだ。卒業を迎える頃になると、貧乏人の子沢山の家庭だったので、当然の選択肢として地元での就職が控えていた。
ところがまたも縁の不思議でクラス担任の先生が家にやってきて、「稲盛君は学校で一、二の成績だし、就職するのは惜しいですよ。苦しいでしょうが、大学で勉強をし、好きな道に進ませた方がいいと思います。ぜひ考え直して下さい」と、就職を希望する両親に二度訪問し説いた。
学資についても「大学で奨学金を貰い、アルバイトをすれば何とかなる」と、渋る両親に熱弁をふるい、稲森氏は地元の鹿児島大学工学部に進学することになった。
(中学進学を勧めた土井先生の期待に応えようとして中学に入ってから勉強したんだね。それが運を招き寄せたんだね。)
………
もし、辛島先生がわざわざ家まで訪ねてくださり、両親を説得してくださらなかったとすれば、
やはり今日の私はなかったに違いありません。(成功の要諦p212)
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(貧乏人の子沢山の家庭なのに中学の学費はどうしたんだろ、先生が援助してくれたのかな、昔の先生は今と違って時間があって高給の仕事だったんでしょ。)
(今みたいに時間がなかったら家まで訪問して進学を勧めるなんて出来なかったね。)
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一々陰口を気にして卑屈になるのは時間の無駄
貧乏人の息子が中学に通っていると嫉妬して陰口を叩く人もいたかもしれない。
卑屈になって一々迎合していたら可能性の芽を摘んでしまいます。
卑屈になって自分の子供の可能性を否定するか、親バカと言われても可能性を信じるか。
成功の確率100%の保証なんて断じてありません。しかし卑屈になったら可能性はゼロです。
あなたのためを思って、世間体にすべてを委ねて正義感にかられて卑屈を勧める人は悪気もなく可能性をゼロにします。
陰口に執着する人は卑屈教の信者です。
(またそういうレッテル貼りをする。)
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敗戦から生じた国と教育現場の対立構造
戦前戦中は国のために死ぬのは当たり前、敗戦で全部間違っていた。その後悔し反省する心を利用されて体制転覆の尖兵にされた。戦前戦中は兵士育成のため、戦後は革命の戦士育成のための思想注入を警戒され、管理する側と管理される側の対立構造が生じた。そうして教師の権利と権威は削られていった。
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対立や従順を目的にしてはいけない
正邪を見分ける心を養い。物事の是非を判断する力を育む場であるのに、判断力を養うことではなく、最初から抵抗することや言いなりになることを煽るのは本筋から外れている。
本筋が通される教育が為されるのなら教師の権利と権威は尊重されるべきだと思う。
(生徒に対して対立を煽ったり事の是非も関係なく言いなりにさせる教育なら生徒も親も反発する。)
(もしもし、最初の長所を伸ばす話と随分話が変わってます。)
(書いてみたらこんな展開になるとは思わなかったが、このブログのお約束です。あまりにも話が変わったのでエントリーを分けました。)