nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

西郷隆盛がいなかったら世界史はどうなった?―戦えないNIPPONという選択肢

(日本史はどうなったじゃないの?)

朝鮮半島をはじめ周辺国への影響が欧米にまで波及していたんじゃない)

無茶ぶりクーデター

 

徳川慶喜大政奉還をした時点で薩摩長州は万事休すのはずでした。

倒幕の大義名分が失われました。失われたはずでした。

大政奉還の目的は徳川宗家を筆頭とする諸侯らによる公議政体体制を樹立することでした。

 

朝廷が従来の機構や門流支配を温存し、親徳川派の摂政二条斉敬賀陽宮朝彦親王(中川宮、維新後久邇宮)をはじめ、来たるべき諸侯会議も慶喜を支持する勢力が大きければ、結局新体制は慶喜を中心とするものになってしまう。

事実上、徳川慶喜を中心とした新体制の樹立が目的でした。

しかし大政奉還後に想定された諸侯会同が実現しない間に、倒幕派の公卿岩倉具視西郷隆盛大久保利通を中心とした薩摩藩倒幕派はクーデターを起こしてご破算にしてしまいました。

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明治天皇はじめ自派の皇族・公家を擁して親徳川派らの朝廷首脳を排除するため、岩倉具視は自邸に薩摩・土佐・安芸・尾張・越前5藩の重臣を集め、王政復古の断行を宣言し、協力を求めました。

慶応3年12月9日(1868年1月3日)、朝議が終わり公家衆が退出した後、重臣の護衛で待機していた5藩(薩摩・土佐・安芸・尾張・越前)の兵が御所の九門を封鎖しました。

御所への立ち入りは藩兵が厳しく制限し、二条摂政朝彦親王ら親幕府的な朝廷首脳も参内を禁止されました。

岩倉具視らが参内して「王政復古の大号令」を発し、新体制の樹立を決定、新たに置かれる三職の人事を定めた。

5藩のうち尾張 越前藩は親徳川で倒幕するつもりはないから利用された。悪い言い方をすれば確信犯は薩摩だけだったのではないか。

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王政復古の大号令

  1. (慶応3年10月24日に徳川慶喜が申し出た)将軍職辞職を勅許。
  2. 京都守護職京都所司代の廃止。
  3. 幕府の廃止。
  4. 摂政・関白の廃止。
  5. 新たに総裁・議定・参与の三職をおく。

 

薩摩藩の暗躍に幕府側の強硬派が乗せられ、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に鳥羽・伏見の戦いに突入することになる。

 

この戦いで薩長側が掲げた錦の御旗に動揺した幕府軍は大敗したばかりでなく「朝敵」としての汚名を受ける事になりました。

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徳川慶喜を中心とした政治体制が実現したらどうなった?

 

幕臣慶喜にぶら下がった旧態依然とした組織が温存されます。家柄で将来が決められ、武士が二本差しでふんぞり返る世の中が続きます。

士農工商 武士はいかに身分が低くても大富豪の商人に対しては「そのほう」です。

金がなくてもそれで武士の矜持は保たれてきた。

慶喜がいかに名君であっても(名君だから尚更)幕臣らをバッサリ切り捨てるようなことはできません。

改革を行おうとしても家康公以来のご遺訓をお守りくださいとか言われて押しとどめられてしまう。

廃藩置県ができない。士農工商の身分廃止ができない。国が一体で戦えず欧米列強の草刈り場になる。

慶喜は先のことが読めたから徹底抗戦しないで大坂から軍艦で江戸に帰ったのではないか。

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19世紀は戦国時代だった

 

世界規模の群雄割拠の時代でした、ナポレオン率いるフランスとオーストリアプロシア、イギリス、ロシアの戦争、米英戦争(アメリカ軍のカナダ遠征)アメリカ・メキシコ戦争南北戦争プロシアオーストリア戦争、プロシア・フランス戦争、ロシア・イラン戦争、クリミア戦争アヘン戦争、薩英戦争。

薩英戦争(鹿児島城下を焼き払われた)でイギリスの力を思い知った薩摩は、今は戦国だ、いかに慶喜が聡明であっても天下太平意識の幕臣が邪魔になって国を護れない、道理を曲げても慶喜を排除すべしと暗躍した。

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天下泰平の証 武士の太刀

 

戦国時代 太刀を持つのは騎馬武者でした。馬上から振り下ろして斬るためには長さが必要だったのです。騎馬武者以外は打刀という2尺(約60センチ)の刀でした。接近戦では長さが逆に邪魔になるからです。騎馬武者でもないのに長くて重い刀を腰に差して機動性に劣る(腰に負担のかかる)スタイルを続けました。

意味がないと感じた侍がいたかもしれませんが、疑問を差し挟むことはタブーでした。

 

第二次長州征伐で武士の面目は地に落ちた

 

幕府は近代兵器を購入したものの武士である以上、武士の嗜みとして剣術と槍と弓矢を疎かにすることはできませんでした。銃の訓練は中途半端なものになりました。

銃(薩摩藩横流ししたイギリス製のマスケット銃)の教練に専念した長州の侍と農民・町民に幕府軍の誇り高き侍は蹂躙されました。

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生麦事件の賠償金を払った幕府と大砲で攻撃した薩摩(英国旗艦の艦長戦死 横浜へ撤退)

 

英国にとってどちらが与しやすい相手と映るか。

英国は戦後交渉を通じて薩摩を高く評価することになった。

世界最強と謳われた英国艦隊が完全勝利を達成できず、日本を占領するのは容易なことではないと世界に知らしめることになった。

当時は世界的な戦国時代です。

油断も隙もならない時代でした。

(16世紀の日本は武田信玄が、上杉謙信が、織田信長が、毛利元就が、伊達正宗が攻めて来ないから安心だ。そんなわけありませんでした。)

 

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侍は新時代の戦争に適応できません

 

二本差しなんかしていたら機動性に劣ります、邪魔です。でも武士の魂だとか言って手放さない。

侍は西南戦争で農家の二男坊三男坊(長男が後を継ぐので二男三男は軍に入った)で構成された政府軍に敗れました。

西郷は自らが生み育てた陸軍に敗れました。敗れることによって正しさを証明することになりました。「ここでよか」と城山で自刃して果てました。(主君の命令ではなく自らの判断なので切腹とは書きません)

(政府軍が弱くて反乱軍を打ち負かせないようなら鍛え直さなければならない、まだ死ねない。という気持ちになったのではないか。)

(陸軍は後年 日本を日中、日米の戦争に引きずり込むことになります)

 

日清戦争日露戦争も起きない

 

戦えないNIPPONなので日清戦争日露戦争も起こりません。

なので朝鮮半島全土はロシアの支配下になります。

アジアでの権益をロシアに侵されたくない米英は日本との同盟強化を図りたいところですが、頼りにならない、二本差しに拘るのは何とかしてほしい、士農工商にうんざりの民意を読んで軍改革派のクーデターを支援します。

傀儡政権の誕生です。

おそロシヤと ロシアの脅威を怖れて米英軍の駐留を認めることになります。

ロシアは社会主義革命でソ連になり、朝鮮半島全土も社会主義化します。

日本は防共の最前線として北海道から沖縄まで米英軍基地が設置されます。

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日中戦争も起きない

 

米英の傀儡なので中国の権益を争うことはしない、日清戦争日露戦争もなかったので大陸に乗り込もうとしないので日中戦争が起こらない。

中国国民党は日本軍との戦いでダメージを受けないので国共内戦に敗れず中国は社会主義化しない。

なので中国が防共最前線となり日本は中国をソ連から守るための軍事基地になる。

経済的には米英にとって中国メインで日本はパスされる。

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戦艦大和ゼロ戦も新幹線も誕生しない

 

アメリカと戦争をするつもりもなければ日本海海戦の勝利経験もないので世界最大の戦艦を造ろうとか航続距離の長い戦闘機を造ろうとかいう発想が起きません。

史実ではアメリカとの戦争に敗れた日本は兵器の開発を禁じられ、技術者は平和利用のため自動車、鉄道、船舶、電機 各分野に従事し兵器開発で培った振動、軽量化、空気抵抗等の研究成果を戦後の製品・サービスに反映させました。新幹線もその一つです。

 

今の生活があるのは大政奉還後のちゃぶ台返し王政復古の結果です。

大政奉還で丸く収まっていれば戦争をやれない国になっていた。

でも代わりに米英中のために戦争をやらされる国になっていたかもしれない。

ひとつの出来ごとで、1人がいたことで後世の人々の暮らしが変わってしまう。

 

それではまた。

 

 

 

戦艦大和が誕生しなかったということは元ネタがないから宇宙戦艦ヤマトも誕生しなかったってことだよね、アニメブームが起きないからアニメに出資しようという機運が起こらないからガンダムも宮崎アニメもない、ジャパニメーションとかいう言葉も生まれなかったんじゃない)

(こんなところにまで西郷さんの影響があるとは思わなかった)