「ぞうり屋の山崎繭五郎の風呂場から火が出て、この辺一帯は丸焼けになってしまった。
お宮も古文書も皆焼け、これが」「俗に言う繭五郎の大火」
「繭五郎さん、こんなことで名前が残るなんてかわいそう」
祖母 一葉と 三葉、四葉姉妹が組み紐作りの際に何気なく交わされた会話です。
映画観賞中は何の意味があるのかわからなかった。
なので、なかったらどうなるか考えてみた。
☆★☆
「繭五郎の大火」がなかったらどうなった?
大火が起きずに古文書が残っていたらどうなったか、父 宮水俊樹は民俗学者として研究し、遂に解読しました。
しかし解読できても、再び糸守に隕石が落下するとは予測できない。
三葉(瀧)が「彗星が割れる」と言っても、俊樹は「古文書の話ではないか、それがどうかしたのか。」で終わってしまう。
テッシーもサヤちんも「古文書の話でしょ。聞いたことある、三葉のお父さんが解読したんでしょ。」で終わってしまう。
彗星が割れるのを目にしても「古文書と同じだ」と思うだけで三葉の予言だとは思わない。
ヤバイと思わない。
変電所を爆破に行かない、避難は始まらない。
三葉(瀧)の「彗星が割れる」という話を聞いて、彗星が割れるのを目撃して、俊樹が、テッシーが、サヤちんが危機感を抱くためには古文書が残っていてはいけない。
「繭五郎の大火」も、あるべきところに導く過程だったのです。
何気なく聞き流していた「繭五郎の大火」がラストを成立させるキーワードでした。
☆★☆
繭五郎の大火、俊樹が家を出て政治家になったこと、一葉が嘆いた出来事が町のみんなを救うことになった。
大火で古文書が失われたことによって、俊樹もテッシー、サヤちんも危機感を持つことができた。
俊樹は町長になったことで町民を避難させる権限を手にした。
☆★☆
繭五郎の大火があっても他の人が町長では避難に結びつかない。
三葉の話を聞いても影響を受けない。人騒がせな娘だと追い出される。
俊樹が町長であっても繭五郎の大火がなければ避難には結びつかない。
どちらかが欠けても成立しない。
ストーリーが成立するためには「繭五郎の大火」が起きたことと、「俊樹が町長」であることの両方が必須でした。
☆★☆
俊樹が町長である必然性はラストですぐにわかった。
繭五郎の大火とセットであるとは思わなかった。
古文書が失われた、(義理の)息子が家を出て行った。一葉は嘆きました。
そのことで町の人々は救われた。
無くしたものを嘆き続けることはない、寧ろ無くしたことによって救われることもある。得ることもある。
そういう意味か、それは深読みし過ぎだって?
それではまた。