普段間違えたり誤魔化している(と思われる)人が偶々人のミスを見つけてドヤ顔で指摘してくる。
「本当にそう思っているなら普段もそうすれば」 と返します。以上
そしてさっさと訂正します。
普段ミスがない人が間違えても偶々だ、認識の誤りがなくて再発の可能性が低いことが確認できたらしつこく追及しないい。だらだら指摘が続くようならポイントが掴めていない。普段間違えたり誤魔化す人がやらかすと、またかよ、と追求される。
普段の行動が大事です。もしも逆だったらその現場は何かがおかしいのです。
チームぐるみで意図的にやっていることが疑われる場合は外部に影響が及ばない、内輪のフォーマット上のことでワザと間違えて指摘されるのを待つ。
外部への迷惑よりも内輪のルールにうるさい相手だから。
(ハラグロイぞー)
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ドヤ顔で言って来た
「本当にそうですよね、そうすべきだと思ってるんですよね。」
発言を引っ張り出せてよかった、どしどし指摘してやるきっかけが出来た。
指摘した以上、自分は、自分たちはちゃんとやるんだよね。
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さらに
指摘するということは正しいやり方を知っているということ。
うっかり間違えではなく、普段誤魔化していることを自分で証明することになる。
でもこれってカワイイ。まだチャンスがある。
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どの面下げてとかツッコミ返される人は隙があってカワイイ
意図的であることを自覚してツッコミ返されるのを計算して黙っているのはカワイクナイ。
お互いさまで言わない。
(でもそれって外部にとっては迷惑)
例え誤解であっても、黙っていたらわからない。
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意見=人格ではない
意見を否定されると人格まで否定されたように捉え、生きることまで否定されたように思い込む人がいる。
自分の思想の反映が自分の意見というのは幻想です。
意見というのは状況判断によって変わるもので、意見=人格だったら人格分裂です。
どのような状況でも状況が変わっても意見を変えない、訂正しないから分裂ではないのなら頑迷で面倒なことです。
意見と人格は別物だと思っている。
意見が違うから相手に敬意を払わないというのは卑しい。
それではまた。