nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

悪意がないことが最大の悪意という逆説。

問題を起こした時に「悪気はなかった」と釈明する人がいます。

言われて良い気がしないのはなぜでしょう。

「私は悪くないと言えば角が立つ、無意識に丸めた表現にして悪気はなかったと言っている。」

或いは「悪意があることは法律的に故意と見做されるから先に悪意はなかったと言わなければならない」とまずは防御を開始していることのいやらしさを感じるからです。

謝罪よりも先にガードを固める態度に良い印象を持たれません。

 

外国人が相手ならどうなるでしょう。

悪意がないのは当たり前だ。堂々と正当性を主張せずに悪気はなかったと言うのはあやしい。何かあるのではないかと追及のネタにされるのではないか。

 

悪いことをしているという意識がないからやめようとは思いません。

ブレーキはかかりません。問題を起こすまでは。

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子供の虐待で逮捕された親が「しつけでやった」と言うのがおきまりです。

逮捕されたから言い訳してるんだろう。と思っていた。

手加減を知らない。感情をコントロールできないまま大人になった。

手加減を知る機会がなかった。

感情をコントロールすることを知る機会がなかった。

悪意がある人間なら今後の展開を想像して面倒を避けようとするから自制ができます。

 

 

 セクハラ、パワハラ、マタハラも様々な理屈をつけて正当化していたらやめるわけがありません。

 

自らが置かれた境遇に流されて、受けたプレッシャーを他者に転嫁してしまう。善意も悪意もありません。

善意が強ければやりません。

悪意があれば、これ以上やったらヤバイと自制心が働きます。

流される人は止め処がありません。

 

悪意は自制心の最後の砦なのです。

 

 いじめをしている認識があれば このくらいでやめとこう と思います。

遊んでいるつもりなら歯止めはかかりません。

大人がいくらみんな平等だと言っても、子供同士では順位はわかっています。

いじめをしているから悪い子とは限りません。いい子でもやります。

懲らしめているとか、いいことをしているつもりなのですから。

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100%善の行動はあるか。

 

食事をするだけでも他の生命を奪っています。

大気の成分が100%酸素だったら人類を含む生命は絶滅します。

海や川の水がミネラル分のない純粋なH2Oだったら死の海、死の川です。

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自動車は素晴らしいと正しさを信じて繁栄を謳歌していたアメリカのBIG3はかつて世界のBIG3でした。(GM,フォード、クライスラー

 

自動車は社会に負荷を与えていると負の側面を認識して安全対策を施したドイツ車、排ガス燃費対策を施した日本車に市場で押されることになりました。

 

工場が生み出す製品は生活を豊かにする一方で公害という負の側面がありました。

対策を施さない企業は訴訟の対象になりました。

社会の発展に寄与する一方で負荷も与えている側面もあるのです。

 https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/honbun.php3?kid=148&bflg=1&serial=1122

公害白書

 

矛盾がない方がむしろ不自然。矛盾に無意識は危うい。

清く正しく矛盾がないことを宣伝するのは虚偽。

矛盾があることを認める。同時に矛盾をこれでいいんだと肯定しないで改善を続ける。

 

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私たちは一貫して正しいことをしてきた。言ってきた。

と言う人や組織に悪意はありません。

悪意がないということはブレーキがないということです。

逆に怖いです。

 

私たちを怖がるのはあなたの心が歪んでいるからだと言ってきたら、宗教団体ではなくてもカルト宗教です。心を標的にしているのですから。 

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問題を起こしても機械的に「対応は間違っていません。」「適切に対応しました。」

悪気はありません。

こういう人にはどう返せばいいのでしょうか。

「問題を起こした(事象)」「適切に対応しました(セリフ)」

の前後を入れ替えてオウム返しにすればいいのです。

「適切な対応だから問題ないということですね。」

「そうです。」

「ということは(問題を起したのと)同じ行動をこれからも続けるということですね。」

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白黒つけたがる人は悪意はありません。

 ソニーウォークマンを、トヨタプリウスを発売する前に市場調査をしても、消費者は具体的な商品像を答えることはできません。

 

ノーベル賞を受賞する10年も20年も前にこの人の研究はノーベル賞を受賞するなんて誰もわかりません。

 

政策、経営判断の数年後どころか1年後の成果予測も外れることしばしば。

 

今すぐに白く正しい成果なんて出ません。

白とも黒ともつかない試行錯誤の長い灰色の時間。

世の中は白と黒で割り切れるはずの人にとっては灰色の時を過ごすことはありえない事態です。

 

自分が文句をつけたように誰からも文句をつけられたくないとバッサバッサと自分の考えも切り捨てます。

あれもダメ、これもダメ、

じゃあどうすればいいんだ。

どうしてもダメ。

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それでは何を拠り所とするのか?

既存の価値、権威の意見・言葉です。(組織的或いは学術的)

「権威が反対しているから私も反対」

「あなたの言っていることは権威の意見と違うから間違っている」

「権威が乗り気ではないからもうあきらめた方がいいんじゃないと茶々を入れる」

権威が入れ替われば反対していたことも茶々を入れていたこともすっかり忘れます。

 

悪気はありません。

 

この前まで反対していたじゃないかと怒っても仕方がありません。

白か黒かで批判するのがその人の役割だと割り切るのです。

使えると思った批判は自分のアイデアの中に取り入れればいいのです。

批判する立場に置いておけば有能かもしれないのです。

間違ってリーダーの立場に担ぎあげたらお互いが不幸になります。

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批判をしたら代案を出せと言われて逆切れする人に悪気はありません。

代案を出せと言われたらむしろエールと受け止める。

チャンスが来たと思う。

 

それとも代案を出せとは何だ、批判を受け取れと言い続けるか。

 

後者が「今のままじゃダメだ」といくら言っても、後者に任せたら今よりももっとダメになると思われるだけです。

 

 

それではまた。

 

 

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