(日本経済新聞 2016年8月4日 9面)
「現代のアスリートは私生活やトレーニングの時間すら犠牲にして、反ドーピング活動への協力を求められる」
「インフルエンザで実家で寝ている時に外国人の検査官が来ました。自宅の狭いトイレに2人(選手と検査官)で入るのを見て、親はびっくりしてました。」
「予告なくやってくる抜き打ち検査の場所に、実家も合宿所も遠征先もない。」
「採尿はすり替えができないように同性の検査官の面前で行う。」
「国内トップクラスの実力があると認められたアスリートは検査対象リストに載り、3ヶ月先まで自分の居場所情報をWADA(世界反ドーピング機構)のウェブページに登録することが求められる。」
「情報提供を拒んだり、予定の場所にいなかったりすることは許されない。」
「アスリートは24時間365日検査に協力する義務がある。」JADA(日本アンチ・ドーピング機構)
日本人だからここまでできると思った。
欧米人なら自由の侵害だとか言って訴える。
国威高揚のために手段を選ばずメダル獲得のために組織ぐるみでドーピングをする国もある。
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「ドーピングは冷戦時代の1970年代、旧共産圏で選手強化に使われた後、スポーツの商業主義が進んだ1984年のロサンゼルス五輪をきっかけにまん延したとされる。」
社会主義は資本主義より優れていると政治宣伝をするために選手にクスリを使って強化した。
副作用で健康を損うおそれがあっても知らずにコーチに勧められるままに服用して健康被害に遭う。
サプリメントを摂るような感覚だったのではないか。
ドーピングをやっていない選手までも色眼鏡で見られることになる。
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商業主義が進むと「スター選手になれば巨万の富が得られるとあって勝利至上主義が台頭。」
1988年 ソウル大会では 陸上男子100m ベン・ジョンソン(カナダ)が金メダルはく奪。
2004年 アテネ大会では 陸上男子ハンマー投げ アドリアン・アヌシュ(ハンガリー)が金メダルはく奪。
(2012年 8年後に尿検査のすり替えが発覚し、2位 室伏広治氏が繰り上がりで金メダルに)
表彰台に上がっても素直に感動できない。祝福できない。五輪の価値を損ねている。
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検査と罰則を厳しくすればいいのか
ドーピングは許せない。もっと罰を厳しくしろ。検査を厳しくしろ。という声も冒頭の状況を知ったら素直に同意する気になれない。
組織ぐるみでやるチームは罰則を強化するほど結束を固めるだろう。
今度こそバレないようにと ※いたちごっこ がエスカレートする。
※いたちごっこ 江戸時代の子供の遊び いたちごっこ、ねずみごっこ と相手の手の甲をつねりながら上に手を重ねることを繰り返す遊び。から止め処ない様を表す意味になった。
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医療行為もドーピングになってしまう。
風邪をひいて医者が処方した薬を飲んだら陽性反応。痛み止めを服用したら陽性反応。という事態も起こります。
パラリンピック選手は障害により健常者の感じない体の苦痛を和らげる薬を服用したら陽性反応になるんじゃないか。
禁止薬物を服用すれば陽性反応だから強化目的でも医療目的でも陽性反応になる。
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(2016年8月8日 朝日新聞 14面)
「治療使用特例(TEU)の適用が認められれば、使うことは可能。」
「使用しないと健康に重大な影響が出たり、他の薬では代用できなかったりなど基準さえクリアすれば禁止薬物の使用が認められる。」
「2012年のロンドン大会では、日本選手が10件のTEUを申請して7件が承認された。」
承認されなかった3件は代用の薬は見つかったのだろうか。
常用薬を事前に申請することは可能。大会期間中の怪我や体調不良時に陽性反応の出ない薬が効かなかったら不運。
陽性反応の出ない強化目的の新薬が開発されて健康被害をひき起こす事態になれば何の為のドーピング検査かわからない。
検査にひっかからないなら服用を制止できない。
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やらせる側を止める側に転換できないか。
選手を出場停止にしても、どんなに制裁を厳しくしても、とかげの尻尾切りの範疇を超えない。
選手の代わりにコーチやエライ人を開催期間中は入国禁止にしたらどうか。
選手はIOC WADA監視下で参加します。
ドーピングなしでも勝てるところを見せて名誉回復か。
コーチもいないのによくやった。
逆に結果を出せなければライバルに軽蔑されることになります。
入国禁止にされてはかなわないのでコーチはドーピングさせる側からドーピングをさせないように監視する側にならないか。
これがコーチ本来の姿ではないのか。
エライ人(国のオリンピック委員)は入国禁止という不名誉を避けるために、いや国の名誉のためにドーピングは許さない けしからん と止める側にならないか。
これがエライ人のあるべき姿ではないか。
このエントリー冒頭のような検査がなくなる日が来てほしいと思う。
それではまた。