志望動機で 人の役に立つ仕事をしたい には違和感があります。
そもそも人の役に立たないのは仕事ではありません。(学問は人々の知的興味を喚起、芸術芸能スポーツは人々に活力を与える心理的影響を与えるという意味で役に立っています)
厳密に辞書的には違うという意見もあろうが、労働の結果が役に立ったら仕事をした、役に立たなかったり立つ見込みもないと仕事ではなく作業止まりと評価されます。
人の役に立つことという集合の中に含まれるのがボランティアや仕事であり、人の役に立つ集合から外れたものは仕事ではありません。
人から搾取している、ぼったくっている、騙している、のなら名目がお給料でもそれは給料ではなく分け前です。
オレオレ詐欺が仕事のわけがありません。
仕事=金でしかないという認識でいると金のためなら何をやってもいいと犯罪に手を染めることになります。
一攫千金を狙う詐欺師や泥棒が 自分たちのやることを 仕事 と言うのなら真面目に地道に仕事をする人をバカにして仕事を揶揄する隠語です。
人の役に立つ仕事をしたい。と思っている人は 仕事は金でしかない。と思っている人よりは仕事の本質に近いと言える。
仕事の原型である狩や採集、加工調理(食べられる大きさに切ったり焼いたり)、住居の確保保全は貨幣が発明される前からあったのですから。
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法に触れていないからといって仕事であるという証明にはならない
法律は人がつくったものなので不備があります。法の穴を掻い潜るといいます。法に触れてないからといって、だから仕事であるということにはなりません。
法律上クロとはっきりしているのではなくグレーゾーンであるときに、
仕事であるか否かの判断、仕事として認識するかしないかの分かれ目は人間の共生本能にある良心が咎めるか咎めないかです。
(荒んだ環境にいたり信頼や愛情を育めない状況にあると他人を踏み台にしてでも自己生存が最優先になり共生本能は劣化するので、生育環境・生活環境にも左右されます。)
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会社という形態を採っているから仕事とは限りません
会社という形式を整えていても、詐欺紛い、ねずみ講紛いのことをして摘発されることもあります。
法律スレスレでも限りなくクロに近いと判断した場合はグレーゾーンに踏み込んで判決次第では前例になるという摘発する行動原理があります。
それを機に法律改正が行われます。
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仕事の本分は社会の、人の役に立つことです
本分を忘れて私利私欲に溺れてしまったらもう仕事ではありません。
私利私欲のつもりではなくて組織防衛のつもりでデータや書類の改竄や隠蔽も仕事の本分を忘れています。
仕事ではなく隠蔽の作業です。
組織絡みなら組織が仕事の本分から逸脱をしたのです。
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大前提として人の、社会の役に立つのが仕事です
個人事業主や企業や団体の提供する製品やサービスや行政の提供するサービスが人の、社会の役に立つから仕事といえるのです。
今すぐ役に立つという短絡的なものではなく、文芸や芸術といった文化や芸能、スポーツは仕事をする人々に活力を与えるという意味で仕事です。
誰のためにもならない、被害だけをもたらしているのなら、たとえお金を受け取っていても分け前であり、報酬や給料と呼べるものではありません。仕事ではありません。
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金がほしいだけ、人の、社会の役に立たないことをしたいなら犯罪です
人の役に立つことをしたい というのは仕事の大前提であり、志望動機には該当しません。
最低限の当たり前の話扱いになります。
就職とはいうものの事実上は大半は就社、就所、就省庁です。
どうしてそこを志望するのかは個別の問題で普遍的な志望動機、どこにでも使い回せる志望動機という便利なものはありません。
自身の過去現在未来、過去現在取り組んだこと取り組んでいることとの接点、結論に結び付くエピソード、マッチすると判断される以前に自身でマッチすると判断した経緯・背景、相手と自身のことをどれだけ知っているか。
よく知らない、有名だから、どこにでも使い回せる美辞麗句は見抜かれてスルーされます。
どこでもいいんでしょ、誰でもいいんでしょ、彼女彼氏相手が誰でもいいなんてあるわけがない。
(*相手…横文字のパートナーにすると共同出資者とかも含まれて広い意味になるので)
人の役に立つ仕事をしたいとは、まともなところならどこでもいい、という意味になります。
それではまた。