モンペ…モンスターペアレンツの略称
何年か前に引っ越していった家族の子供 といっても義務教育を終えた年齢だが親と連絡が取れないと言う。
幼い時期を過ごした町を思い出して訪れて来たのだが重い話だ。
あんなに溺愛していたのに何があったのか。
学校が悪い、塾が悪い、自分の子供にだけ特別扱いを要求されたら、教師・講師はメンドー、クラスメートはメンドー、PTAはメンドー、学校・塾・お稽古場はメンドー
自分の欲求不満をぶちまけて子供を孤立化させてるとは思わないで、正義面してためになることをしていると思っている。
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就職しても周囲とうまくいかない、続かない、こんな自分になったのは親のせい にする
報道されているような家庭内暴力事件は人のせいにすることが継承された結果ではないか。
他人のせいにしたり他人を見下す親を見習った子供が親のせいにし始めたのではないか。
他人との関わりの中で、こういう大人になりたい、こんな大人になりたくないと美意識を育む機会がないまま親を反面教師にしないで人のせいにする大人になった。親子と云えども別人格だと適度の距離感を取ることができない関係だったのか。
周囲にぶちまけた不満がやがて自分に返って来ているのではないか。
他人に絡んだ過去が自分に返って来ている因果応報ではないか。
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そうなる前に察知して行方をくらましたのではないか
モンペは子供じゃなくて自分がかわいくて学校に絡んでいたのではないか。
成長した子供の成績も仕事もモンペの思い通りにならなかった。
思い通りになるわけがないとは考えなかった。
自分のことだって中々思い通りにならないのに、自分以外のことが思い通りにならないのが不満って万能の神のつもりですか。
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市区役所で相談してみたら
姿をくらますのは悪あがきとしか思えない。
保険証、免許証等公的証明の提示で続き柄の身元確認が取れたら転出届の記録が開示されて転出先がわかるんじゃないか。
或いは本人の住民票所在地や個別の事情で施設の紹介やら生活保護という話になるのだろう。
モンペの子供って先が気の毒
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じつはモンペを育んだ学校教育
先生から一方通行で一律に教えられる受け身の授業が一般的です。
上官の命令に絶対服従の兵卒を育成するのなら有効かもしれません。
でも現代では高度化、複雑化して従来の育成では適応できないのではないか。
今すぐ役に立つことは変化に対応できなくなってすぐに役に立たなくなる。
最先端は入れ替わって陳腐化するのが早くなっている。
変化への対応力・思考力を育む教育が求められている。
受け身だけということは、全部先生の責任になります。
先生の教え方が悪い、先生が上手に教えるべきだ、という話になる。
いつまで明治の教育やってるの。富国強兵、西洋列強に負けない国作りには有効であったが時代遅れになっている。明治の元勲はそういう旧弊に拘泥するのをぶち壊す人たちだったのではないか、いつまでやっているのか!と。
世界史と日本史は無関係のわけがないのに、別々の授業って縦割りの弊害でしょ。
数学と物理・化学・工学が無関係のわけがない。(宇宙も生物も)
政治・経済と倫理・哲学・心理学が無関係のわけがない。
世の中は複雑なのに縦割り分断単純化。何のためなのか意味が分からないことばかりさせられていると人間は壊れる。
(義務教育と高等・専門教育がゴッチャだよ、そんなクロスオーバーな教育人材は育成できないよ。)
そんな必要ない、教える側が何のためなのか意味がわかっていればいい。意味がわかってない人、押し付けられ仕事でやっている人に教えられるのは苦痛でしかない。
自分で選んで学ぶのが学習。
スポーツや芸能で海外に出ようとするなら、親に勉強しろと言われなくても外国語を勉強する。
鉄道や自動車、航空機、船舶に興味を持ったら工学・数学・力学・物理学、デザイン・美術、マーケティング・心理学・社会学・政治経済、と興味の幅が広がっていくのに学校の授業と関係ないからダメってシャットアウトするのは学びの機会と関心を奪っている。
学びとは一方的に押し付けて嫌いにするものではなく一生学び合うもので、卒業したから、合格したから、就職したからもうやらない、忘れた。なんて虚しい16年(小学6年、中高各3年、大学4年)
一律の一方通行の授業は批判家を育んだ。その一部が長じてモンペになった。
ネットのレビューで悪口ばかり書く批判家(批評家ではない 批評はよいところは評価する 批判だけではなく評価もする)は一律一方通行の学校教育の産物ではないか。
AI化、国際化、複雑化した世界で 指示待ち、命令待ち、批判ばかりを育成していたら別の意味で玉砕してしまいます。