nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

どっちを選んでも批判される状況ではどうするか

日本は他国のような強権を発動できないので、権力で押さえつけるロックダウンではなく、行動の自粛を求める緊急事態宣言を行いました。それも4回目となると、小出しにするよりもロックダウンした方がいい、強権発動出来るように憲法を改正すべきだ、という声が上がりかねません。

(ロックダウンした国も、またぶり返しているからエビデンスはないね。)

(現実に沿った必要な改正とは別に、よく練られていない発案した側でもコントロールできなくなるような内容が紛れ込んでいないかチェックが必要だね。なってから想定外だったと言われても困るし。)

(金融機関や酒類販売事業者に飲食店と取り引きしないように働きかけるとか、思いつきで後先考えてないような発言があると組織全体が疑われるね。忙しくて勉強する時間がないんじゃないの、任せて大丈夫か?って。)

 

☆★☆

かつて無条件の強権発動で自滅した歴史を繰り返してはならない

強権で押さえ付ける以上はゴールの設定も道筋もなく、するものではない、いつまでもしがみつける抜け穴を用意させない、目的目標を実現出来なければ責任を取るルールもないまま、押さえ付けること自体を目的化すると、終わりの見えない我慢を強いられ、都合の悪いことは隠され、負けるのを待つのみになり国体を危機に晒しました。

正しいと信じていた、みんなが悪かった、総括はアメリカ任せ、敗者故にコドモ扱いされて黙ってろ、自分たちで総括できなかった歴史があります。

☆★☆

早期に無観客と決めていれば遠隔応援の準備が出来た

日本のコンテンツ力をアピールする機会だった。

どっち付かずで準備する時間は失われた。

セキュリティ確保のためにアプリの審査やコンピューターウイルス対策をする準備時間が必要。

IOCJOCの作った音声映像を会場で流してもわざとらしい、それぞれが世界から自宅からネット経由で声援を送り会場で流れるようにする準備をする時間もあったが、エライ人が有観客も視野に入れていたので、それに反する施策は忖度されてスタッフは提案できない。

エライ人が早期に無観客を決断しなければ始められない。

(パンデミック時のイベント開催のモデルケースになるね。)

(※非難上等型(前回参照)ではなく調整型の人だから各方面への配慮で言い出せなかったと思うよ。)

☆★☆

どっちを選んでも批判される状況ではどうするか

(有観客は感染対策の面から批判され、無観客はインバウンド収入の面から批判され、どっちからも批判されない選択はなかったのだからどっちかに決めるしかなかった。)

(有観客でいくつもりだったけど、感染状況が改善しないので無観客にせざるを得ない状況に追い込まれた。英断決断ではなく状況に合わせた調整。)

(有観客で押し切ると、国外から"こんなときに何をやっているんだ"と嗤われ、選手団からボイコットが出る。無観客にすると"チケットをどうしてくれるんだ"と批判され、どっちを選んでも国内のみならず国外からも批判は必至。)

☆★☆

どちらかを選んだ場合のそれぞれのデメリットを比較する

早めに無観客を選んだ場合のデメリットは、参加のボイコット懸念、キャンセル料の発生と見込んでいたインバウンド収入の喪失、有観客前提の投資、チケット販売が無駄になり水泡に帰すのは赤字の確定を意味し選択することが憚れる。

良い意味でも悪い意味でも経営者的判断。

(それでも最悪の事態を想定して、責任を取る覚悟の上で周囲の反対を押し切って決断する経営者もいます。)

☆★☆

経営レベルの損失懸念と国家存亡の危機とどちらを重視するか

有観客を選んだ場合のデメリットは、感染拡大による回復基調を見せ始めた国内経済の反転失速に伴う国力の低下は安全保障上の懸念材料になる。たとえ開催前に感染状況改善の傾向があったとしても、ぶり返す恐れがある。

招待選手が感染したら有観客を強行した過失責任を問われて損害賠償問題になり、世界からの信用を失墜させて"日本は安全"の神話を崩壊させるデメリットは計り知れない。

☆★☆

実は権力不在

西洋に倣って組織や形式としての権力機構は整えられたが、和魂洋才とはならず和流洋式に止まっていたのですから国家百年の計を掲げようにも動きようがない。"和して動ぜず"ではなく"付和雷同"で意識として抗ったつもりでも時の流れに身を任せて状況に振り回された挙げ句の敗戦。

☆★☆

選びたい人がいないから選ばないのも付和雷同

選挙の投票率の低下でよく言われるのは、選びたい人がいない。選び方がわからない国民が選んでいるのですから、選べない決められない政治が形成されるのは道理です。

(予め用意された正解に早く辿り着く訓練を受けて育ったので、正解を用意されていない問いに対する考え方がわからない、子供が自分で考えようとしたら余計なことをするなと怒られた。

枠内に収まることに精一杯でシステムに順応した子供が大人になって教える側も教える側を指導する側も考え方がわからない。)

選びたい人がいないなら、消去法で選びたくない人をランキングして最下位の人に投票すればいい。(選びたくなくない順)

選べないから何も選ばないを続けていると、どうせ投票に来ないのだからと世論は軽視されます。

☆★☆

何も選ばないのは第三の選択ではない

どっちもどれも選ばないのは示された選択肢がおかしいから選ばないという考え方もありですが、ならば自分があって然るべきと考えるまだ示されていない新たな選択肢を掲げるのが第三の選択であり、面倒だから何も考えないやらないのは流されているだけです。

☆★☆

面倒だから何も考えない言わないでいると何も言えない世の中になります

普段から牽制されていると緊張感を育み、主体的に選択するのが習慣になりますが、牽制が重要でないどうでもいいことだったり、普段何も言わないクセに急に言い出すと鬱陶しくなり押さえ付けにかかります。そうなってから言っておけば良かったと後悔しても手遅れです。

☆★☆

つまらない面倒くさいという人に危機感を持たせるには

つまらない、面倒くさい、と言わせない世の中になることを望みますか。

(言ったのがバレたら制裁を受ける世の中)

面倒だから、つまらないから、と文句を言うのもご法度になります。

どんなに貧しくても困窮しても絶賛することを強要され文句はタブー。

勿論、結果がどうなっても強制的に引きずり下ろされるまでは責任を取りませんし、引きずり下ろした人が善政を行う保証もありません。