nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

デスティニープランでは結局のところ振り出しに戻るー運命論は責任転嫁の手段になり得る

デスティニー=運命

 

デスティニープラン発案の動機はトラウマ

デュランダルは何故デスティニープランを発案するに至ったのか。

デュランダルがこのプランを掲げるに至ったのは、遺伝子上の問題から子供が出来ないと判定されてタリアとの恋を諦めざるを得なかった過去。

もしもデュランダルが生まれる前からデスティニープランが実行されていれば、タリアとデュランダルが出会うことはなかったから別れの悲哀もなくデュランダルが絶望を味わうことはなかった。

 

恋愛問題以外にも「将来への不安」「自分に合った職業が見付けられない」といった、多くの人々を苦しめている問題が解消されることになる。

また、それぞれの人間が「自分に合った(ことになっている)」道を与えられる世界になれば、「他者よりも先へ、他者より強く、他者より上に」の思想も弱まり、キラやクルーゼやレイのような存在が産み出されることもなくなる。

「他者よりも先へ、他者より強く、他者より上に」の思想が戦争の大元になっている。

そうデュランダルは考えたのではないか。 

(劇場版ではラクスやオルフェたちも人の欲望の果てに生み出された存在に該当しました。)

 

その代わりにデスティニープランは「人々から自由意思を奪い、結果的に人間の可能性を摘み取るもの」でもある。

それでも人々の命が奪われ、悲劇が生まれ続けている現実。

「全てを救えないのであれば、自由意思や可能性を犠牲にしてでも滅亡を回避し人類の未来を救う」というデュランダルの理想‥更にファウンデーションが引き継いだデスティニープランそれ自体は、必ずしも「善」とまではいえないものの、「選択肢」としてはあり得るものだったのでは、と思わされてしまう。 

☆★☆

デスティニープランの施策下では

ナチュラル、コーディネイターを問わず全人類の遺伝子を採集、解析し、各自の適正職業が選択される。そしてその解析結果は各自に伝えられ、最適職種に振り分けられるというものである。

このシステムは基本的に強制であり、職業選択において自由意志は存在しない

遺伝子のみを判断基準とするため、後天的な努力によって職業を得た者などはその職を追われる事となる。

(ということは?)

☆★☆

コーディネーターはダメということになります

遺伝子操作は反則ということになります。

子供をパイロットにしたいから遺伝子操作をしてデスティニープランの下で適正判定が欲しいと遺伝子操作を金にあかせてやりまくる競争が始まります。

遺伝子検査で親の望んだ職業に選ばれなかったら「私の子供じゃない」とエゴ丸出しで親子の断絶が起こります。

デュランダルが止めようとした、〃他者よりも〃 の加速です。

☆★☆

遺伝子解析で刑務所送りも

遺伝子解析の結果、犯罪者になる畏れがあると解析されると刑務所或いは矯正施設送りにされます。

キラやラクス、アスランのような体制に楯突く畏れのある人物は遺伝子検査を口実にして社会的に抹殺されます。

(シンやレイ、タリアも安心できないね、残念だとか言われて。)

(疑いだすときりが無いね、アーサーは大丈夫だね、人畜無害だと思われて。)   

☆★☆

嫉妬と忖度で腐敗は進み体制が緩む

人は自分と身内がかわいい。デュランダルの掲げた理想は形骸化し、遺伝子解析が身内かわいさによる嫉妬と高官への胡麻すりで恣意的な選別が進むと有能で才能のある人物は閑職に追いやられ、規律が乱れ、社会が混乱して騒乱が始まり、戦乱の世の中になります。

恣意的な判定にならないように、人ではなく機械にさせても、システムにウイルスやバグを仕込まれます。

バグの場合は、単なるミスではなく意図的に仕組まれた犯罪の懸念もあります。

☆★☆

そうして振り出しに戻ります

ナチュラルとコーディネーターの争いが激化します。結局何だったのかということになります。

ラウ・ル・クルーゼアズラエルが生きていたら高笑い。それ見たことか。

☆★☆

デュランダルの意向に沿って腐敗しなかった場合はコーディネーターの自滅

遺伝子情報とは確率です 

(2019年8月31日のエントリーから転載)

 宇宙のことがすべてわかっているわけではない、空・海のことがすべてわかっているわけではない、陸上のことがすべてわかっているわけではない、地中のことがすべてわかっているわけではない、人体のことがすべてわかっているわけではない。

永遠に途上かもしれない。

遺伝子だけですべてを決めるのは危険です。

データ上で確率がないことに挑戦することを禁じられたら、過去のデータのない新製品、新サービス、新発明、新発見はできなくなります。

 

デュランダルの意向に忠実であろうとすると、余計なことを考えるのは探究心、好奇心があるからだと断じて遺伝子レベルから好奇心、探求心を奪われるように操作することになります。

 

最初から仕事を完璧にできる人はいません。

努力や向上心を支えるのは好奇心や探究心です。人の技術・技能に興味をもつことです。

何の関心もなく興味もわかないことに人は惜しみない努力を続けることはできない。

強制されてイヤイヤやっているのは努力ではなくて心は奴隷です。たとえ報酬を得て体は奴隷ではないとしても。

☆★☆

きれいな人を見て自分も努力してきれいになろうが禁止される
 遺伝子上無理です、とシャットアウトされるのがデスティニープランです。

密告されて矯正施設に送られますが、容姿ではなくて心が矯正されます。

先史時代の民主主義国家で非難された差別がコズミックイラで行われます。

(デスティニープランが実行されるとミーア・キャンベルは偽ラクス・クラインになれません、デュランダルがしたことの自己否定で矛盾です。)

☆★☆

好奇心、探究心を奪うと向上心、努力を奪われ、気力を失います
 

技能を高める気も、子育てする気も失って、プラントを維持できなくなります。

でも地球に戻る気力もないので地球との戦争は起こりません。

プラントで種としての滅亡を待つばかりです。

デスティニープランで確かに戦争はなくなります。戦争を起こす前に種として自滅するのですから戦争を起こしようがないのです。

(転載はここまで、但し人類の自滅をコーディネーターの自滅に変えてます。)

 

戦争を無くすためにコーディネーターを滅ぼす。

デュランダルはコーディネーターなのに自滅です。

なんという皮肉に満ちた計画でしょう。

目的は戦争で人類が滅びないようにするためだったのに、戦争以前に自分たちが自滅するプランだったのです。

作中でデスティニープランの発表で全コーディネーターがブーイングしなかったのがコワかった。

デュランダルの説明の途中で、キラが いけないっ と言ったのは当然です。

ブルーコスモスが賛成しなかったのは謎だった。

(ファウンデーションはどうしてデスティニープランを復活させようとしたのかな。コーディネーターを滅ぼしてアコードによるナチュラル支配を目論んだのかな、対抗相手がいないファウンデーション一強支配にしてファウンデーションによる平和を目論んだのかな。)

(平和のためだと綺麗事を言ってみんなを騙して、一強支配のための手段だったんだね。)

(騙すつもりはなくて、自分のすることが何をもたらすのか理解してなくて悪気はなかったんじゃないの。)

(それはナチュラル視点じゃないの。ウルトラスーパーコーディネーターであるアコードはそんな言い訳はできないんじゃないの。)

(認識力の相違って、宇宙世紀ニュータイプとオールドタイプみたい。)

☆★☆

腐敗して有名無実化して戦争の原因になるか、忠実に施行されて自滅するか

どっちに転んでもロクなことになりません。

(キラがデュランダルの説明の途中で把握して否定したのは、さすがコーディネーターの最高傑作だけのことはあるね。ナチュラルのあんたは20年かかったんだね。)

前回のエントリーは2019年だから5年かかったことになる。

☆★☆

決着はつかずに停戦のみ

人類は戦争と停戦を繰り返してきました。

100パーセント全部目的達成や完全勝利はありませんでした。

滅びないためには、途中で止める勇気が必要なのです。

 

クルーゼ「いくら平和を望んでも争いが続くから世界は虚しい」

キラ「何度花が吹き飛ばされてもまた植え直すよ」

 

正しさは地道の先にしかなくて、諦めてニヒリズムに陥ると滅亡への道を進むみたいな考えがSEEDにある。

☆★☆

デスティニー最終回

それでも一緒に死んでくれるタリア、果報者だよデュランダルは。

デスティニープランがあったら二人が出会うことはなかった。

☆★☆

運命論は責任転嫁の手段にもなり得る

責任を棚上げする手段にもなる。

犯罪を犯しても運命のせいにすればいい。それが定めだったのです。とか言って。

何かを決定するのが面倒になったら、運命だから無駄だと言って。勇気や向上心は否定されます。

運命に抗うことは人であることの核心に関わる概念です。

デスティニープランを否定して足掻くことは人であろうとすることの現れなのです。

☆★☆

ガンダムというタイトルの由来

1979年 最初のガンダム放映当時、アニメ誌のインタビューで富野喜幸監督がガンダムのダムは英語のフリーダム由来と言われていた。

それだけにガンダムシリーズの思想を冠した機体が登場したとフリーダムガンダムの登場が嬉しかったのです。