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nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

特攻がもたらした『憲法9条』

 

世界の憲法集

世界の憲法集

 

 

特攻について日本人の事情については多くが語られているけれど、その特別攻撃を受けた前線のアメリカ人兵士はどう思うか。

 

逆の立場になったら「なんでことしやがるんだ」「こんなクレージーな奴らとやるのはごめんだ。完全に武装解除して2度と戦えないようにしてやる。」と考えても不思議ではない。

(もしも日本軍が特攻を行わず、逆に航空母艦加賀にグラマンが機体ごと突っ込んできたら、「なんてことしやがるアメ公」と言っただろう)

 

しかし、統治するにあたって憎しみを口にしてはいけない。理想を語ろう。

かくして武装放棄をうたった平和憲法が制定された。

ところがソ連の支援を受けた北朝鮮が38度線を突破して朝鮮戦争が始まりました。

現実的な判断をするなら背に腹は代えられない。日本に再軍備をさせて共産陣営の攻勢に対応させよう。

しかし吉田内閣の日本政府は抵抗してきた。「国民の生活を改善しなければ国内が混乱する。(国内の左派が暴れますよ、ソ連を利することになりますよ。)再軍備をする余裕はない」と。

代わりにアメリカ軍を日本国内に駐留させることを定めた日米安全保障条約(1952年)が結ばれました。

その内容は内乱対応(日本国内の治安に米軍が関与する)の条項があり、防衛義務については明言されていない、日本側にとっては屈辱的な内容でした。

(因みに西ドイツでは1954年 再軍備に関する憲法改正は与党が3分の2の支持を得たことにより成立しました。国が東西分裂の状態にあったことにより国民の危機感が後押ししました。ドイツでは国民による直接投票ではなく議会の3分の2で改正できました、日本に対しては特攻による米軍兵士へのストレスが憲法改正のハードルを上げたのではないか、日本人には憲法を触らせないと)

後の岸内閣では防衛義務の明言及び内乱条項が削除された新日米安全保障条約(1960年)の締結が行われました。

日米安全保障条約の批准にあたっては激しい抵抗運動が起こり、アイゼンハワー大統領の訪日は中止され、締結後に岸内閣は退陣を余儀なくされました。

 

激しい抵抗運動の結果、日本国内の米軍基地が当時アメリカの統治下にあった沖縄へ移され始めました。在日米軍の沖縄への偏在化です。

(アメリカ軍人の駐留数は ドイツで5万3526人、日本で3万6712人(2011年アメリカ国防総省統計(洋上展開している人数は含まれていません 沖縄県の統計では70%が沖縄に駐留)

日米安保反対運動が意図せずして沖縄に犠牲を強いる原因のひとつになってしまった。

 

巡り巡って特攻は→日本の非軍事化→安保条約の締結と改定→沖縄基地問題にまで繋がっているのです。

 ※このエントリーは憲法9条がアメリカの発案という仮説に基づいています。事実はどうなのでしょう。