学校の歴史教育は石器時代、縄文時代から始まって中世に時間をとられ、明治時代以降は3学期の終りにかかり、時間がないからと駆け足で進んでいくので深く学ぶ機会はない。
今の生活、幸不幸に係る問題は石器時代ではなく、近現代史に原因があるのに端折っていいのだろうか、と疑問を呈しています。
本書は150年で起きた日本の変容を作者の雑学的知識も交えながら、途中からでも手軽に読み始められる。昭和と江戸と大正、明治を行きつ戻りつ読んでも差し支えなく、気が付いたら全ページを読破していました。
とはいえ戦争に負けたことに因る全否定の自虐史観と反発からくる賛美史観があり教え難い時代です。
大正時代は“兵役は甲種合格でもくじ引きをして当たったものだけが入営していました”、“甲種合格になったらくじに当たれ当たれと念じたそうです”
自虐史観では否定され、賛美史観では愛国心の発露という話になってしまうところを、“多少は殴られたりつらい思いはするかもしれないが、三食白い飯が食べられて、読み書きまで教えてくれる。さまざまの技術も習得できる”という現実的な理由があったことが説明されています。
江戸時代の大名行列で“「下にぃ下に」という先払いが許されたのは御三家だけ”というエピソードにハタと膝を打った。そりゃそうだ。外様大名が尾張徳川家の領地を通るときに「下にぃ」はありえない。他所の藩の領地を通るときも「下にぃ」なんて言ったら無礼だ、何様だという話になりかねない。
“土下座はほとんどなかった。”そんな無体なことしていたら260年も平和を維持できなかっただろう。時代劇だか教科書の挿絵だかを鵜呑みにして今まで考えてもみなかった。
“キリシタン弾圧は安全保障政策だったという評価もできる。”
これは欧米諸国に気兼ねして教科書には書けないのではないだろうか。と思う。
明治維新の廃藩置県で殿様が東京在住に抵抗しなかったのは家康の人質政策に遠因がある。
日露領土交渉で発揮された榎本武揚の外交手腕。
1997年の中国への香港返還はその99年前の李鴻章の交渉力に因るもの。
西南戦争を契機とした国民皆兵の定着から敗戦までに至る道
政治、軍、メディア、国民、諸外国、それぞれの思惑とボタンのかけ違いにより進行する事態。
戦争が終わった後にソ連が占守島に日本軍2万に対して8千という少ない戦力で仕掛けた
理由は?等々他のエピソードも含めて222ページに詰まっています。
歴史は嫌い、苦手、と言っていた知人に本書を読み聞かせると興味を持って、そういう話は好きということになりました。
筆者は歴史の名教師と呼べるかもしれない。