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その手をお上げくださいと言ったら
土下座を要求してもいない、そんな屈辱を与えるのは失礼な行為だ、見るに耐えないので、その手をお上げください。と言うと、許してくださるんですか?
損害を請求するな、という要求にすり替わります。
損害を請求することが悪いことのように話をすり替えます。
是か非か、どちらに原因があるのか、事の経緯と事実関係で決めることを有耶無耶にしようとする。
土下座は芝居、交渉の手段だったのだな、油断ならない。
こんなに謝っているのに許さないなんて人情がない、人間じゃない、許さなければならない、許さないなんて許さないという譲歩の強要です。油断なりません。
損害と体勢(土下座)は話が別です。
そんなことは要求していません。そのような屈辱的な姿勢は見るに耐えないからやめてほしいのです。
押し付けはやめていただきたい。却って嫌がらせです。
正々堂々と話し合いましょう。
(有耶無耶にしようとしても時間の無駄)
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大名行列ではない
時代劇で したーにー下にという掛け声が聞こえて居合わせた通行人が大名行列が通り過ぎるまで土下座をする。侍が上役に詫びるときや、町民や農民が役人に陳情するときに土下座をする。
その刷り込みで土下座が最大の礼儀作法だと思い込まれたのか。
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外国人には通用しない
すべてそちら側の問題であったと認めるのですね。
きっちり損害請求させていただきます。
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外国人だから分からないと吹聴するのは名誉毀損
相手が本当に外国人であっても、日本人であっても揶揄のつもりで あいつは外国人だから土下座が通じない と吹聴するのは外国人に対する差別発言にもなり、名誉毀損で損害請求に加えて慰謝料を上乗せされるというダブルパンチになります。土下座をきっかけにして。
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土下座をするのもさせるのもされるのも嫌
自分がされて嫌なことは他人には要求しない。大人として最低限の礼儀をわきまえているなら、土下座を要求する人は、自分なら土下座をする。という人です。
事実と経緯を明らかにして是非を問うことを避けて、感情に訴えて真相を有耶無耶にする逃げの姿勢と態度として共感できない。
それとは別のタイプで同じ立場になっても自分なら絶対にやらないことを他人に強要するのはサイテーです。
土下座を強いる側は、「力関係からいって、相手は拒否できないだろう」という思いがあるのでしょうが、強要罪の刑事処分を受ける可能性がありますし、相手が断われないことを計算して強要する態度が卑しい。
眼の前で土下座を見せつけられることは卑しさを覚えてしまう。飯が不味くなる。
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謝罪が上手なことと反省は別
反省を強要されてきた人は 謝ればいいんだろ 謝りさえすればいいんだろ と
上辺だけの許しを得るために反省文を書いたり土下座をします。「悪いことをしたら謝ればいい」と刷り込まれて物事を軽く考えて反省しない、反省したフリが上手になっているのです。
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なぜそのような大人になったのか
子供の頃から 心のしんどさ を受け止めてもらえず、「どうせ何を言っても無駄だ」 諦めと恨みを募らせて処世術として反省したフリが上手になったヨイコなのです。
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なぜそのような切り捨てが行われるのか
大人は‘人は強くあらねばならない‘、‘甘えは断じて許されない‘ という刷り込みを信じて、子供が辛い しんどい と恥ずかしい思いをしながら勇気を振り絞って告白した時こそ受け止める千載一遇のチャンスであるのに、そこで切り捨てられた絶望は想像を絶する。
そうして見せかけだけのヨイコを演じるようになった。大人の前ではヨイコ、見てないところではイジメる。
反省文が上手、職業が演技することでもないのに土下座が上手なのは心に傷があるのです。
強がって生きているので自分の傷に無自覚なのです。
その傷が堂々と出来ない原因です。
見せかけが堂々としていてもどこか哀しい。
口先だけの「心からの反省」は虚しい。
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土下座なんかされてもスッキリなんかしない
憎たらしいが堂々としていればいい、その方がファイトが湧いて来る。
土下座して怒りを逸らそうなんて卑怯な手を使わないでほしい。
昔は作法であっただろうに、誤った使い方をされて今では卑怯な手段に成り下がってしまった。
(時代劇で土下座をして油断させて、別の刺客に襲わせるシーンがあったような、今も昔も土下座は油断ならなかったんじゃないの?)
(土下座をしろっ て言う人は、私を襲って と言ってるのと同じ)
土下座は伝統だ、譲るわけにはいかない。と言うのなら、ちょん髷して、帯刀(銃刀法違反)して逮捕される?
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革命を起こした側が自分たちの権威を捨てたってスゴイ
勝った側は自分たちの権威確保に汲々とするものですが、明治維新を起こしたのも抵抗したのも共に侍です。
勝った側は廃刀令で武士の権威を捨てました。