nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

悪気なく寧ろ正義感に駆られて罪を犯す

自分が正しいと思っているから何をどこまでもやっても構わない。その考えはキケンです。

謝罪しているから誤りを認めているんだ、どこまでも、みんなが叩いてるから自分も叩いて構わない。

それは自分が弱いと自分で認めたくなくても証明しています。

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論破すると脳は快感を覚える

罵詈雑言を浴びせてディスっているのは怒っていても脳が快感を覚えて快楽に溺れているのです。

(その証拠に溜まっているものを吐き出して怒鳴るとスッキリするもんね。)

最初に論破した人は思考を経た結論であっても、便乗してるだけなのは快楽に溺れているのです。

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本人に直接言わないのは自分が間違っていることを認識しているから 

直接言えば逆に突っ込まれることを認識しているからです。

管理者に言うと逆に思い違い勘違いを指摘されるので(或いは過去に指摘された)隠れて、自分だけが思っていることを、みんなが言ってると噂を流します。

最終的には特定される自爆攻撃になり代償を払わされます。

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みんな言ってるみんなやってるに日本人はノセられやすい

みんな は日本人をノセるためのキーワードです。

(みんな言ってるって実は誰も言ってないことだよね。)

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革命という正義の後に暴力が蔓延る理由

ルイ王朝時代のフランスは重税に喘ぎ生活苦の庶民と税を免除され贅沢の限りを尽くしこの世の春を謳歌する特権貴族階級という社会の二重構造。

1783年に発生したアイスランドラキ火山の大規模な噴火により全世界で夏のない年となり、フランスでも冷夏による飢饉が発生した。1789年に至るまで例年のように火山の冬といえる異常気象が相次ぎフランス各地で食糧難を原因とした社会的緊張が高まっていた。

庶民の怒りは爆発しフランス革命が起こりました。

(天変地異が政変の切っ掛けに。)

(日本では浅間山が噴火して天明の大飢饉、日本とアイスランドでダブル噴火した年だったんだね。)

自由平等友愛を旗印にした筈なのに、マリー・アントワネットのギロチン処刑を皮切りに粛清の嵐が吹き荒れました。

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疑わしきは罰せられた

今日のフランスを含む民主主義国家では、疑わしきは罰せずが常識ですが、革命直後のフランスでは疑わしきは罰せられました。

革命は正義、正義を完遂するために革命に疑問を抱く者を見逃してはならない。

自分を守る為に自分が疑われる前に他人を密告して自分は革命の賛同者であることを自己アピールし合って、疑心暗鬼が人々の間に生じて革命の理想とはほど遠くギスギスした社会になってしまいました。

(自分は革命の賛同者です。良い子です。良い子アピールも度が過ぎると他人の生命を奪ってしまいます。)

(なんとなくブリっ子が敬遠されるのは肌感覚で良い子ブリっ子はヤバイと感じるからかな?知らない間に歴史感覚が身についているのかな?、祖父母、親の世代でヤバイと感じたことが孫の世代に遺伝してるのかな?)

(でも独裁制の国ではブリっ子にならないと自分を守れない。だからそれが理由で遅れているのに自分たちの方が進んでいると自画自賛を強要される。)

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革命時は他人の為に自分の命を犠牲、革命後は他人を踏み台にして自分が大事

命が惜しいからいつでも大人しくしていますなんて言っていたら、フランス革命アメリカ独立戦争も起こりませんし、明治維新もありません。

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フランス革命後のフランス国内では何が起きていたのか

フランス革命暴政の代名詞とされたのがロベスピエールです。

彼が政治の表舞台に現れたことによって、4万人が裁判すらなく即刻死刑にされたのです。

正義による革命は暴走し、ロベス・ピエールは大量殺戮者として歴史に名を刻むことになった。

 

しかし、ロベスピエールは、根っからの悪人ではなく、平和を愛し、弱き者を助け、人々からは「決して腐敗せぬ男」とまで呼ばれたまさに聖人と呼ぶべき人物でした。

そうであるのに、なぜ正義を貫こうとしたロベス・ピエールは殺戮者になってしまったのか?

(正義感の暴走でどこまでもやっていい、やるべき、やらなくてはならない、と自分を鼓舞した。後から見ると今風に言うと闇落ち。)

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 成績優秀でパリの名門学校(リセ=ルイ=ル=グラン(ルイ大王校))で頭角を現していくこととなる

 大学時代は、ルイ16世の誕生日に賛辞を朗読した。

(まさか後年、国王を処刑することになるとは当時は想像もできなかったよね、人の運命はわからないね。)

大学を卒業してからは、弁護士としての道を歩むこととなるが、弁護士時代は相手がどんなに貧しかろうとその人物のために全力で弁護をした。


弱い立場にある人々、抑圧された人々、貧しき人々を擁護した弁護士時代、 まさにロベス・ピエールは聖人のような心を持ち合わせた人物だったのである。

(それなのに‥)

(だから人々の支持でトップに立てたのに‥)

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 政治の世界に足を踏み入れたロベス・ピエールは狂っていく

 「自由と平等と友愛の名の下に、暴政を終わらせなければならない」

 

(それなのに自分が暴政を行ってしまった。)

(権力の闇に取り込まれて自分を見失ったんだね。)

 

恐怖にかられた人々は自分に疑いがかけられるくらいなら、誰かに罪を被せるという密告の嵐が吹いた。

 それらの情報は精査されることもなく次々と処刑は繰り返された。

(疑わしきは罰せずの原則はそのときの教訓で生まれたのかも。)

(その原則がなかったから暴走を止められなかった。)

(原則があっても人は理屈をこねて上位概念の上に上位概念を重ねて原則を無視するよ。日和見だ、その弱気を修正してやるとか言って。)


ロベス・ピエールは、平等な社会をつくるという理念を持っていた。筈であった。

彼は正義を貫くために、自分たちの理想に少しでも歯向かうと疑われた人を処刑し続けたのである。

(明確になってからでは手遅れになると焦って、疑わしきは罰して殺しまくった。)

(あまりにも人を殺し過ぎたので最後はロベスピエールが殺された。)


暴走した正義よりも恐ろしいものはない。悪いことをしているという認識がないのですから心にブレーキがかかりません。どこまでもやってしまいます。

(故 遠藤周作は悪魔ならぬ善魔という言葉を編み出した。)

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ロベス・ピエールは途中で引き返すことができなかったー誰も怖れて止めてくれなかった

フランス革命は、自由・平等・友愛の理想を実現するため、社会を抜本的に変えようとしましたが、その結果は政治は不安定化。社会は大混乱に陥り、自由・平等・友愛とはおよそ正反対の結果をもたらしました。

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革命後の国家の混乱

フランス革命以外にも、ロシア革命、中国の文化大革命カンボジアポル・ポト派による革命など、マルクス主義の理論にしたがって、国家を抜本的に変えようという革命は、ことごとく、悲惨な結果をもたらしてきました。

(資本論は長大で読む人によって解釈が変わるから、そこから思想闘争を契機に政治闘争が始まって内輪で殺し合いになったんだね。) 

(権力闘争を正当化するために思想闘争にすり替えられた面もあったかも。)

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他人事ではない

日本でもバブル崩壊後は1990年代や2000年になってからも、政治、経済、行政から教育に至るまで、「構造改革」という標語の下、さまざまな改革が行われました。


「日本を抜本的に変えないといけない」と叫ぶ改革派の政治家を、国民も支持しました。

(改革と名がついたら即善、ぐずぐずしている場合ではないと煽られた。)

(そうかな? 本当かな? と疑問を呈したらぐずぐずするなって怒られた。)

(疑問を呈すると戦時中の日本は非国民と批判され、文革中の中国では反革命分子を表す三角帽子を被らされて批判された。日本の軍国主義と中国の共産主義、お互いに価値観を否定し合っているのに、することは似ている。)

 

それなのに改革の結果、日本は、衰退の一途を辿りました。平成の時代は改革の時代でしたが、同時に衰退の時代でもありました。

(平成生まれは景気のいい時代を知りません。)

(改革を推進した人は、改革が原因ではなく別の要因だ、改革をしなければ、もっと悪くなっていたと主張するだろうね。)

(改革やっています、仕事やっています、アピールするための資料作りのために残業で子供に構っていられなくなった。)

(やっていますアピールするために配る、配るには人手と予算がかかる。控除で済まないところは配らないと仕方がないけど、済むところでもとにかく配る)

(それで人手がない、予算がないと言い出して止まる、止まる原因を作っておいて再始動するためには増税が必要だとか言い出す。)

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税はインフレ抑制の手段

お金が市場に溢れたままにして置きますと、お金の価値が下がりインフレになります。

お金の市場での流通を抑制する手段が税金です。

お金が市場に有り余っている状態ならインフレ抑制の手段として増税はありです。

しかし、日本ではデフレや不況のときに増税が行われ乾いたタオルをさらに絞る結果になりました。

(アベノミクスと消費税増税はマッチボンプだったね。 マッチポンプ→マッチで火をつけボンプで消火の堂々巡り)

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日本が衰退したのは、抜本的改革を怠ったからではなく、その反対に抜本的改革をやりまくって皮肉にも衰退を加速させた

18世紀末に著された、エドマンド・バークの『フランス革命省察

日本では1989年みすゞ書房刊、タイムリーなタイミングだったのに顧みられなかった、新訳が2020年PHPで刊行されたのは改革に疑念が生じた世相を反映している。

(早すぎたんじゃないの?)

(18世紀の本が20世紀末の日本でも早かったって?)

(古典にも教訓があるのだから、もっと早く出て古典から学ぶ姿勢を身に着けることが大事だね。)

改革で混乱したフランスが現代の日本に二重写しという歴史の警告です。

 

日本の政治家・経済学者の旗印は「改革こそ善」でした。


しかし、改革したのに正反対に日本が以前と比べて経済成長しなくなると、今度は、

「貧困問題があるのはまだ改革が足りないからだ」

などと言い、国民生活は二の次で、自らの理想を追い求め続けてきました。

(改革したら貧困ゼロになるという話しにすり替わっている。)

(ゼロにするとは言ってないけど改革が貧困問題の解決に話がすり替わっている。元々の趣旨はそこだったっけ?)

(ロベス・ピエールほど極端じゃないけど似ている。)

(日本では命までは奪わないけど、反対者は政治家としては殺された。)

(政治家に限らず、専門家やジャーナリストや官僚といった職務に対して圧力とかあったんじゃないの?)

意味も訳も分からずに反対だけ、サボるだけ、はよくありませんが、意見の口封じや議論自体を避けるのは危険な兆候です。

(次回に続く)