戦争は人間を狂わせる。戦争になったらルールも何もあったものではない。
戦争反対の言葉です。
ところが戦争を実行する側も同じ考え方をしていました。
国際戦時法があるのにルールがないと思い込みました。
戦争だから何でもあり、勝てば何をやってもいい、負けたら何でも言いなり。
それは本当か?
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国際法の創始
16世紀17世紀における宗教戦争で荒廃した欧州では、スペインの神学者にして法学者のスアレス、その影響を受けたオランダの法学者グローティウスらが国際法を創始したと考えられています。
自然法(正しき理性の命令)は慣習法として成立し、それが実定法として国際社会全体を拘束すると考えた。
グローティウスの自由海論(海は私有権の対象とはならず公共のものである)は当時の国際法的思考に大きな影響を与え、国家間の紛争、通商および外交関係を規律する法として発展、成立していきました。
(だから国際法廷はオランダのハーグにある。)
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明治時代は国際法の模範だった日本軍。
日露戦争当時は指揮官から兵卒に至るまで国際法の教育が行き届き、日本軍の戦いぶりは欧米で称賛を受けました。
日本海海戦で海中に投げ出されたロシア軍人を日本の軍艦、民間船、沿岸の住民が救助しました。
延べ6000人の捕虜が収容所(松山)で過ごしました。
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http://www.tv-tokyo.co.jp/zipangu/backnumber/20140407/
当時、シベリアには10数万人のポーランド人が取り残されていました。(ロシアに支配されていたポーランド人は独立運動に敗れてロシアに家族ごと捕われてシベリア開発に従事させられていました。)
親を失った子供たちもいました。そんな子供たちをポーランド救済委員会のアンナ・ビエルキェビッチ女史が助けようと働きかけました。
委員会は欧米諸国に孤児たちの救助を頼みましたが、各国の反応は芳しいものではありませんでした。外交関係を気にしていたのかもしれません。
アンナ女史の叔父は日露戦争で日本の捕虜になっていました。(ロシアの支配を受けていたポーランド人も日露戦争に従軍させられていました。)
松山での捕虜収容生活で日本人に親切にされたことから日本によい印象を持っていました。
日本なら助けてくれるかもしれないという淡い期待を抱いて委員会は日本に助けを求めることにしました。
アンナ女史は1920年6月に来日し、外務省を訪れ援助を懇請しました。
わずか17日後に外務省は動きました。1920年7月下旬、56人の孤児がウラジオストックから敦賀を経て東京に入り、渋谷の宿舎に収容されました。
1921年7月までの1年間に1~16歳の孤児375人、1922年3月 390人が
日本に運ばれ治療、静養の後に、
1921年はアメリカ経由で、1922年は日本船で故国ポーランドに帰国しました。
ポーランド民主化運動の立役者ワレサ氏は初の外国訪問先に日本を選びました。(1981年5月来日)
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昭和に入って日本は国際法に無知になりました。
なぜか?
「戦陣訓」(1941年(昭和16年)制定)
「生きて虜囚の辱め(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」
捕虜になるなら自決しなさい ということです。
これでは捕虜に対する敬意が生じる余地はありません。
坂の上に辿りついて慢心してしまったと言われます。
日本は神の国だ。神風が吹いてけして負けることはない。
負けることがないのだから捕虜になることはありえない。
誇り高い神の子が捕虜になることなどあってはならない。
自決すべし。
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捕虜の権利
捕虜は敵軍に捕まっても、戦時国際法の保護を受けます。
生存が保障され、虐待することは許されない。
明治時代の日本軍は国際法を順守しました。
捕虜になれる権利
捕虜になることができるのは正式な戦闘員です。
ゲリラやテロリストは捕虜になることができません。
市民の抵抗について
ハーグ陸戦法規 第二条
侵入軍隊に抵抗するため自ら兵器を操る者が、公然と兵器を携行し、且つ戦争の法規慣例を遵守する場合はこれを交戦者と認める。
(公然と武器を携行する者が捕虜の扱いを受ける権利を得る。
武器を隠し持っていたら国際法違反で捕虜の扱いを受けることは出来ない)
ハリウッド映画のヒーローのように一般市民が忍び寄って侵入軍兵士をアーミーナイフで刺したりしたら国際法違反になります。
捕虜になる権利がない人が兵士に危害を加えたら両手を上げても白旗を掲げても撃ち殺されて文句が言えない。
相手がルール違反をした場合は当方の違反も許される。
相手国がルールに違反した場合は報復として違反することも止むを得ないという法理です。
民間人に対する無差別殺人は禁止されています。
しかし、ドイツ、日本がそれぞれロンドン、アデレードを空襲したことで後の倍返しの理由にされてしまいました。
(ドイツ、日本がやらなければ連合国はやらなかったのか はわかりませんが)
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自衛隊は違憲、非武装中立 という意見があります。
じゃあ実際に攻められたらどうするんだ。と問われたら。
「無抵抗主義を貫いて降伏する。」
(ってことは次の段階として他の国の侵略を手伝うってこと?
降伏しておいて嫌と言ったら勘弁してもらえると思っている?
若者を戦場に送るな!と言って降伏する。しかし占領国によって若者は次の戦争に嫌も応もなく連れて行かれます。
日露戦争(1904年)ではロシアにポーランドの若者が連れ出され、元寇(1274年)では朝鮮の若者が元に連れ出されました。矢面に立つのは被占領国の若者です。…630年経って時代が変わっても国や民族が違ってもやることは同じ)
「レジスタンス活動で抵抗する。」
(レジスタンスって非武装でも中立でもないじゃん。実際に攻められた後で最初のポリシーを捨てるんだ。)
正規の戦闘員の存在を認めない立場は国際ルールに反しているという認識がない。
戦後70年経って平和主義で思想が正反対のはずなのに国際感覚は昭和の軍人勅諭を信じた人と変わらない。
思想が正反対なのに似た者同士。(だから反発し合うのか)
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「起きるかもしれない戦争に備えるべき」と言えば軍国主義者のレッテルを貼る。
平和を願えば平和が続くから願い続けましょう。
戦争のことを考えたら戦争になるから考えたらダメ。
日本は神の国、負けることを考えるのは非国民。
武器がない。食糧がない。人が足りないと泣き言を言うな、精神力で克服せよ。
念じれば戦争は起きない! 念じれば戦争に勝てる!
目標は正反対でも根は同じ。
開国前に先祖返りした状態を義務教育で是正するのが先決ではないか。
戦後も続く大人の犯した過ちを繰り返さないために、きわどい話は避けながらも国際ルールを守ることは伝えたほうがいいと思う。
それではまた。