nikoichixのブログ

新聞やテレビ、本を見て思ったことを綴っています。書いてみたらこんな展開になるとは思わなかった。まいっか。

平気で人を罵倒できるのは洗脳されている証

自分の良心に問うてみよう

週刊誌に書いてあったから、テレビで言ってるからみんなが言ってるから自分も一緒になって非難する。

人を罵倒することにまったく心が痛まないなら、洗脳されています。

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反論できない相手を叩き放題は醜い

皇族は国民を名誉毀損で訴えることはできない。

だからいくら叩いても平気だって卑しくないか。

汚いと思わないのか。

相手の羨ましいところにだけ目が向いて、相手が持たない権利については考慮がない。

反論できない相手として批判を抑制できないのか。

誰でも彼でも必ず反撃する権利がある筈だから反撃しないのは自己責任だと思っていないか。

それは自己責任というワンフレーズに洗脳されている。

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勉強させないための勉強会って意味あるの?

「これを一筋に信じなさい、他に一切耳を傾けてはならない、それは悪魔の誘惑です。」

自分と同じ考えに染めさせたいという誘惑です。

論戦を挑むと危険人物と看做されるから、聞いたフリをして忘れる。

何も反論されないから輪の広がりと勘違いし、離反されたら裏切りと解釈したり、裏切りを畏れて管理や行動の縛りが過剰になると事件になります。

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事件にされないために絶対敵な権力になろうとします。

一切文句を言わせないために絶対的な力を手に入れようとします。

言われるがままにしていると絶対的な力を与えてしまいます。

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毎朝、神棚と仏壇の両方を拝んでいる

(それって神仏習合に洗脳されているんじゃないの?)

認めよう、物心ついてからの習慣だ。それで安心する自分がいる。

(ヤハウェアッラーと両方拝んでいたら争いはないのにね。)

両方とも同一神だ。

(同じ神を信じているのに争っているってややこしいね。)

無神論唯物論も信仰の一種だ。思想家を神格化して指導者を絶対化して他の神を信じるなと言う意味において。

(同じ神を信じているのに抗争ってややこしいね。)

(日本人が当たり前のように、神様仏様と言うのは世界的には稀有なことなんだね。)

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信仰対象が異なっても内戦にならなかった日本

神か仏か、どちらかだけを信仰しなければならないことにすると、差引ならない事態に発展してしまいました。血で血を洗う争いになりかねませんでした。それを免れたのが聖徳太子神仏習合思想でした。

「いい加減だ、テキトーだ、許せない、純粋な信仰の証として一つだけを信じなければならない、何と言われてもたとえ殺し合いになってもと言いはしないが実際にはやる。」

それなら一つだけを信じるのは御免被ります。

初詣、七五三は神社にお参り、葬式、お盆の墓参りは仏教、クリスマスを祝い、ハロウィンで盛り上がる。お寺や神社だけではなく教会もモスクもある。

観光地化して一つに染まらない。それを不謹慎呼ばわりされる。

(ホント日本人てテキトーだね。)

テキトーでいいじゃないか。その方が争いにならないから。

(でも仕事はテキトーにしないんだね。)

なんでも生真面目一本槍では息が詰まる。

テキトーだけでは生活が破綻する。

状況に応じた真面目とテキトーの切り替えが幸福に繋がる。

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どんな場合も通用する普遍性を信じたがる

どんな場会でもこれさえあれば間違いない。

そんな都合のいい話はありません。

資本主義なら、社会主義なら、緊縮財政論なら、どんな場合でもいかなる場合でも通用する。

そんな十徳ナイフみたいな思想は個別のスキームに劣ります。

十徳ナイフとは、ナイフの刃以外に、ドライバー・はさみ・やすり・のこぎりなど様々な機能が付いている折りたたみ式ナイフです。ワインオープナーや栓抜き・缶切りが付いているものもあります。第一次・第二次世界大戦をきっかけに軍隊に大量に納められ使われてきました。省スペース、携行の利便性故に軍隊で重宝されました。平和時はアウトドア用品です。

でも切れ味は単機能のナイフに敵いません。

缶を開けるには、単機能の缶切りの方が使い易いです。

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財政緊縮派がMMT理論を忌避するのはアリとキリギリス

勤勉なアリであるべきだ、MMT理論なんてキリギリスだ、冬になったら凍えてしまう。イソップ童話の刷り込みです。

思想は一本槍ではなく状況に応じて使い分けるものです。

鉄砲を構えている相手に槍で突っこむのは無謀です。

インフレ時には金利を上げるは教科書通りです。

インフレの種類が資源の供給不足に起因する場合に金利を上げると輸入する企業は輸入するための資金が不足して供給不足と価格上昇が加速します。

今のインフレの原因は供給不足によるものなので、通貨をいじくり回すだけでは解決しなかったのです。

自由化の名の下の一本槍でライドシェアを自由化するとタクシーの運賃が下がることによってタクシー運転手の賃金が下がり、なり手がいなくて運転手がさらに不足します。賃金を上げる、運転手不足の解消に逆行しています。

(ライドシェア自由化って日本語に直したら白タク自由化だよね、営業会社ではない知らない他人のクルマに乗るのは何だかコワイ、横文字にして誤魔化さないでほしい。)

何にでもどんな状況でも当て嵌まる都合のよい思想、方針というものはないのです。

帯に短し襷に長しです。昔の人はいいことを言いました。