宮崎県知事選挙で、スーパークレイジー君という候補者名をアナウンサーが読み上げたが、日本語に直訳したら 超気違い です。
気違い は放送禁止用語 です。でも英語ならOKということです。
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英語でも禁止にしたらどうなる
候補者名をアナウンサーは読み上げることができません。万が一原稿に書いてあったら絶句するしかありません。放送事故になってしまいます。
(ニュース原稿書く人はどうすればいいの?)
ディレクターがピー音を流す指示をするようにト書きするしかありません。
(第二位は東国原英夫さん、第三位はピーッ。)
(ピー音を被せられて侮辱されたと訴えられたりして)
(本人に差別されたと訴えられたりして、放送禁止用語名で立候補をするのを阻止するのは憲法違反だとか訴えられたりして。
名前が公序良俗に反しているか否かと裁判で争いになったりして。)
(とにかく小綺麗な名前でなければ立候補禁止って差別とか言われたりして。どういう名前が立候補者として適切かという論議になったら、それ自体が差別という話になる。)
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英語教育義務化の一環だったりして
差別用語、放送禁止用語も英語なら言っていいって人権に配慮しているとは言えない。
差別したければ、言いたければ英語で言え ということです。
(英語で いじめ が始まるんだね。)
(先生に注意されたら、英語で言い返せ、そうすれば英語を効率よく覚えられるはずだ、学習効果が上がるはずだ、なんだかな~。)
(それって国が 差別やいじめ を勧めているようなものじゃない。)
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放送禁止用語は別に国が定めたものではありません
国が定めると 言論の自由の侵害になるからです。
放送局が自主的に定めたものです。
それに国が合わせることは、放送局が定めた基準に国が合わせる前列になってしまいます。
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クレームがきた言葉=放送禁止用語
スポンサーのCMイメージがある以上、および腰になるのは仕方がないとも言える。
さらに地方によって放送禁止用語が変わる場合もある。かつて力道山やジャイアント馬場と熱戦を繰り広げたプロレスラーのボボ・ブラジルは、「ボボ」という言葉が九州地方の方言では放送禁止用語にあたり、実況では「ボボ」が消されたという逸話もある。
(ピーッ ブラジル。)
年々NGワードは増え続け、過去の名作やヒット曲が流せない
かつては映画やテレビで普通に使用されていた言葉でも時代を経るごとに規制され、放送禁止用語のインフレーション。その結果、いわゆる“ピー音”ばかりになってしまうということで地上波では再放送すらされなくなってしまった。
(でも需要があるから衛星波で放送される、規制することで逆に視聴欲がそそられてしまう。不快な表現がありますがとか注釈を入れて放映。)
(見ちゃダメと言われたら余計に見たくなる。)
1960年代、70年代に歌われたフォークソングの中には、差別的表現があるということで放送できなかったり、歌謡曲でも、歌詞に“不適切”な言葉があるということで放送できない曲は膨大な数にのぼるんじゃないか。
(“卑猥”とされる表現があるとの理由で放送されなくても、テレビの外ではフツーに日常的に使われてたりして。)
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何でもかんでも規制するということでは基本的にありのままを記録するといったドキュメンタリー番組などは、いっさい制作することができなくなってしまう
とにかくクレー厶は避けたい、誰一人の気にも触ってはいけない。
(その前提自体ありえない、気分次第で憂さ晴らしにイチャモンつける人はいるんだから。)
用語の直接使用を避けて、婉曲的に表現したり、代替表現を使用することで、本来の趣旨がわかりにくくなり、逆に不必要な誤解や陰湿な好奇心を助長させることにもつながっているのではないか。
(所謂、制作者の意図とは逆にとらえられる。)
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誰にも一切文句を言われたくないを貫き通すとヒーリング映像やインストゥルメンタル曲しか放送できないことになってしまう
(スポンサーに気遣った結果が逆にスポンサー離れに)
視聴者の感性や想像力を著しく損なうことにもなる。テレビ離れが年々進んでいるのは、ネットやSNSの普及はもちろんだが、過剰なまでの自主規制による無難な番組作りがその要因の一端となっているのではないか。
(でも炎上することはあるね、マニュアルにないから想定外だったとかなって、逆に想定力が落ちてしまったんじゃないの。)
メディアの復権は、“自主規制”という風潮といかに向き合うか? いかに逆手に取るか? にかかっているのかもしれない。
(また途中から話が変わったね)